脱力法と擬人法の詩
楡久子 詩集『北陸からやってきた』(詩遊社)
この詩集はプロ野球のピッチャーで流行りの脱力法と、詩的言語による擬人法の巧妙な使い方とが渾然一体となって創作された詩群だと、一応は総括することができるだろう。野球の脱力法とは力感の抜けた投球で球速との差異を有効にする投法の事、ここでは相手つまり読み手に威圧感を与えず、構えさせることなくポエジー効果をあげることを狙いとした詩法の事で、擬人法とは物事をひとに例える方法のことである。それがどのように渾然一体となっているかというと、次のようにである。〈風が/草の種を蒔いたので/鳥たちは/やんややんやの手拍子で/雲を集めて雨を降らせる/手拍子ってたって/羽をうつんだけど/声をそろえてうたうんだけど〉(『手拍子』一連目)、〈青い鳥/イソヒヨドリ君/高くきれいな声で/鳴いています/胸をはって/青いチョッキと茶色のズボンで〉(『イソヒヨドリ君』一連目)。前のでは物語の文体が童話的で軽い調子であり、鳥が手拍子で〈雲を集めて雨を降らせる〉となり、後のは「イソヒヨドリ」を「君」づけして、その体の模様を〈青いチョッキと茶色のズボン〉と表現している。どっちもユーモラスでほのぼのとした味わいを醸しだすことに成功している。
詩人が中学三年の時に引っ越しを体験した堺での最初の授業の事を書いた詩作品がある、『転校』である。〈室生犀星の寂しき春を/読むように言われ//(中略)//心を込めて読んだ〉のだが、〈クスクス笑い〉が聞こえてきた。詩作品では、〈堺では相手のことを自分と呼ぶ〉を前面に表出しているが、裏面では詩人と関西とでは使われているイントネーションが違っているのだ。そのことが、表題『北陸からやってきた』というタイトルの由来になっている。また詩作品『生母』での、〈夏や春休みには/伯父伯母の家に行った//(中略)//伯父伯母だと/思っていたが/実の両親だった〉という展開も衝撃的だった。それが絶唱である詩作品『父の背 母の背』に繋がる。〈来たよ!/わたしが玄関を開けると/玄関に時間差でゆらゆら出てくる/ふたり//背中には小さな神様がいて/歩行を手助けしてくださる//座布団をのっけたような/父の背/母の背〉(全行)。情景が見えるようだ。「神様」が〈歩行を手助けしてくださる〉に真理を射貫く眼と万感の思いが感じられた。