透明な家族
世間はお盆。
幼稚園に通っているころ、夏休みにはよくおじいちゃんの家に遊びに行っていた。そのころはまだひいじいちゃんもいた。私のひいじいちゃんは3歳の時に高熱で視力を失ったんだけど、そんな不幸は微塵も感じさせないほど何でもできる人だった。1人で出かけるのなんて朝飯前だったし、手に職をつけるためにあんま師の免許を取って自宅で仕事をしていた。いつも大きな声で笑っている明るい人だった。
私と弟が遊びに来ると、
「あいかもちゃんか、大きくなったね」と体中を触り成長を確かめるのがお決まりだった。
私が小学生になったころに老衰で亡くなったのでそこまで思い出はない。でも、お盆になるといつもひいじいちゃんの事を思い出す。
地域によってお盆の風習は違う、親戚同士集まってご飯を食べるとか、思い出話で盛り上がったりとか家族の分いろんな過ごし方が。私は正確なお盆の過ごし方は知らない。小さいころ見たお盆の風景が全ての知識だった。おじいちゃん家は田舎で代々引き継がれている過ごし方でみんないつものように支度をしていく。
13日の晩、
「今日はばあちゃん(私にとってのひいばあちゃん)が帰ってくるよ」
とおばあちゃんが言いながら仏壇の前にたくさんのお供え物を並べる。それは生前好きだった食べ物だったり、煮しめだったり。テーブルいっぱいに置かれる。そしてお饅頭・・・外側がお餅の。出迎えの時にはこのお饅頭を作るのが決まりなのだそう。
夜も深くなり、蝋燭をもったひいじいちゃんが縁側に座る。帰る場所が分かるように灯りをともして待っているんだそう。その背中は最愛の妻の帰りを待つ夫の姿だった。
しばらく経って、蝋燭の火が風で揺れた
「おかえり」
ひいじいちゃんはそう言って仏壇の部屋に入っていった。
透明なひいばあちゃん
久しぶりに帰った我が家で用意したものを美味しそうに食べているかな?
私が産まれる前にはもう天国に行ってしまったその人になぜか親しみを抱く。幽霊は見えなくて怖いもの、お盆の幽霊は温かいものだった。
15日、ひいばあちゃんが天国に帰る日。今度はスポンジ生地のお饅頭を作る。
「帰る日にはこのお饅頭を持たせてやるんよ」とおばあちゃんは慣れた手つきで餡子を生地の中に入れていく。蒸しあがったまんじゅうを仏壇に供える。「また来年会いましょうね」とみんなで手を合わせる。
おじいちゃんのお盆の過ごし方だ。当たり前に一緒にいた人と離れ離れになるのは本当に悲しい事。決してもう現実に会えない、でも透明であってもその人を感じられるのは嬉しい事。ひいじいちゃんも年に一回ひいばあちゃんを感じて数日を過ごす事がどれだけ大切な時間になっただろう。今はきっと天国で二人仲良く過ごしているに違いない。
♢
今年で大好きなおじいちゃんが亡くなって8年経つ。
「お盆には行けないけど、今週の土日にお参りしに行くね」母に電話でそう伝える。
「今日、おじいちゃんが帰ってくるよ」と母が電話口で言った。
今から煮しめと酢の物を作るそう、おじいちゃんの好物だ。
透明なおじいちゃんは美味しそうに食べるだろう。
私がいたらきっと「あいかもも食べんか」と言うんだろうなぁ。
1年に1回大事な人を感じられる時間
『リアル黄泉がえり』