生きている証拠なんていらない
NOTEで毎日投稿をはじめてもう60日が経過した。
自分を取り巻く世界が少しずつ変わっていっていることを感じる。例えば毎日1つ1つのNOTEを暇さえあれば読み漁ったり、パソコンの前に向かっていなくても頭の片隅にはNOTEが居座っていて意識して一日を過ごすようになった。最初は何を書いていいのか分からずに苦しみながら投稿していたけれど今は少しだけありのままの言葉で手を動かすことが出来ている。
心の中にある分かってもらえない思いやもがきながらも変わりゆく気持ちを書き連ねていければと始めたNOTE。でも最近はこう思う、
「私はここに居るんだよ、生きているんだよ」
って誰かに気づいてほしくて書き始めたんだと。
毎日部屋に閉じこもっていた自分。自分がどう見えているのか気にしすぎて人に会うことが怖くなっていた。
でも1人の世界に浸っていると、もう誰もわたしのことを忘れてしまっているのではないだろうかと会わなくても不安になる。
私が生きている証拠を文章を通して残していたように今になって感じる。スキの数がまるで私のことを見つけてくれた数のように思えて、家にいても誰かとつながっているんだと思えた。そうやって自分を正常に保とうとしていた。
弱い人間の私は、人に認知されていないと生きている実感が湧かない。どこまでも誰かにもたれて、自分で勝負するのをあきらめていた。そんなもんだから脆い心が出来上がってしまったんだ。
生きている証拠なんてなくていい。私は今も懸命に生きている。2つの自分の目がそれを片時も離れず見守り続けている。かっこいいところも、悪いところも全部焼き付けている。
他の人には一部の私しか見えない、なのに人の評価が何で自分のすべてになるのだろう?
仕事や家庭での評価は私の演じている役割でしかない。自分という人間は私にしかわからない。
客観的に俯瞰して見れるように文章を書いていこう。
私は今何を見て、何を考え、何を思っているのか。そういうものを書いていきたい。飾らないありのままの言葉が誰かに届いていたらいいなと思う。
まずは自分のために文字を綴っていこう。この先も自分を大切にするために
厚く、強固な心になれるかどうかは分からないけど。ボールみたいな柔らかい心にはなっていきたいな。