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「頑張ってしまう自分」と「頑張りたくない自分」
そのうち苦しくなるのに、どうしても頑張ってしまう自分が出てくる。
わたしが頑張れば―――
みんなで協力してやらないと―――
そうやってどこまでも自分を追い込んで、どうにもならなくなった時にはじめてきつい思いをしていることに気づく。ほかの人が大変な思いをしていると、何かできることはないだろうかとおせっかいを焼き、自分のことはそっちのけで手伝ってしまったり。面倒見のいいひとに見えるかもしれないけど、そうする事でしか自分の存在意義を見いだせていないだけ。誰かの役に立たないといけない、困ったときはお互い様だからサポートしないといけない。常識ではあるけどわたしの引き受ける量は度を越えていた。自分をよく見せたいという思いが先行してしまい過剰に頑張ってしまう。それはだれのためではない、わたしのためだった。自分を誇示するためにしていることは哀れな姿でしかなかった。
頑張って、頑張って、いつの日にか糸が切れるように思考停止になる。
他人との境界線が薄く、何でも自分のことのように考えてしまう。
仕事ができなくなったわたしはまさに、自分の能力以上のことをしていたがために心身共に疲れ切ってしまった。休職中の生活の中で復帰したらもっと自分をいたわりながら適度に仕事をしようと固く誓った。仕事のスタイルを変えなければまた疲弊して身体が言うことをきかなくなるとわかっていたから。人とは深くは関わらないようにしよう。自分の仕事量は増やさないようにするだとかそんな小さな決まりを自分の中に掲げていた。
仕事の話になったのも、わたしは新しい職場で明日からボランティアとして働くから。働くといっても給料が発生しないリハビリのようなものだ。今日はお世話になる病院に行って話し合いをしてきた。
前のNOTEを読んでいる人は知っていると思うけど、わたしの職業は看護師。命を預かる現場は厳しい言葉が飛び交う。そんな職場にまた復帰できるか不安な気持ちがあった。ボランティアというだけあって、責任のないお手伝いをするような感じ。上司も優しく対応してくれ「少しずつやっていけばいいから」と言ってくれた。
明日から2~3時間ボランティアをするということで話は終わった。
帰り道の車の中でわたしは頑張って期待以上のことをしないといけないと無意識に考えていた―――。
もう心が折れないように変わろうと思っていたのに、みんなによく見られたいわたしは頑張ろうとしてしまう。また同じことの繰り返しだと心で自分を叱った。
頑張ってしまう自分が染みついてしまっている。理屈でどうこうなるものでないのだろう。わたしはいつでも人の目を気にしている。誰かの評価がまるでわたしの生きている証のようになって”どう生きるか”ではなく”どう見えているか”が一番になっていた。
どんなに頑張っても合わない人もいるし、批判する人もいるのに。自分の力では成しえないところに目標を立てていた。
きっと嫌われることが怖いんだ。心はこれでもかというくらいボロボロになっているからもう傷つきたくはない。わたしの大事なものがなくなってしまいそうで・・・。
もう人に好かれようとしない、まずは自分を大切にすること。
自宅に帰りわたしはわたしに言い聞かせた。
もう頑張らない
そう意識しようと。
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