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人口動態とデザイン
『UXデザインの法則』第2版がオライリーより出版されました(2025/1/27)。
『UXデザインの法則』は、UXデザインを行なっていく上で依拠できる心理学の法則を、豊富な事例やデザイナーが培ってきたプラクティスとともに説明しています。とりわけ第2版ではAIを意識した紹介の仕方や事例にアップデートされています。
わたしは歴史的背景に触れた増補部分を担当したため、これを機にUXデザインとその法則となる心理学が求められるものの変化について、すこし俯瞰した目線で個人としても考えてみてみました。
訳書では、デザイン心理学小史という一節で、プロダクトやサービスにおいて心理学が参照されてきた歴史を振り返っています。航空機や原発の事故、人を楽しませる家電、コンピューターとの関わりや学び方、モバイルの使い勝手に自動車の中の情報体験、ソーシャルメディアとの適度な関わり方と、ヘッドセットの中の空間コンピューティングから小売り店舗のようなサービスまで。
社会の要請の中でUXデザインと心理学が解くテーマも移り変わっていきました。
そうした数あるテーマの中で、日本にいる私が関心を持っているのは、UXデザインとその心理学が次に解くべき課題としての「人口動態」です。
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人口動態とデザイン心理学
日本の人口動態は、人口減少、生産年齢人口の減少、高齢化、世帯構成人数の縮小という特徴を持っています。2040年までに東京都人口規模の1,100万人相当の労働力が不足するという試算結果もあります。
これらの変化が産業における人手不足、生活者のニーズの変化・細分化といった事象に表出しています。
とはいっても、日本や世界における人口の増え方・減り方をUXデザインと心理学の力で大きく変える議論をしたいというわけではありません。人口動態の変化を与件として受け入れつつ、UXデザインと心理学が解くテーマとして、人口動態の変化の結果である人手不足、生活者のニーズの変化・細分化への対応が立ち現れています。
事業者は自動化に対して大きな投資をしています。
工場や倉庫はロボットが動き回り、小売や飲食店ではセルフレジを見かけることも珍しくありません。
セルフレジは自動会計機と呼ばれることもあります。企業側からみれば、従業員なしに会計が終わるので自動ですが、生活者からみれば、もともと供給側が行なっていた動作を一部負担することになるため、労働が供給側から需要側に移転されています。
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セルフレジには、会計を行う手順が埋め込まれており、労働の手続きを製品にしているのです。
クラウドを介して提供される会計ソフトなども、労働のやり方を手続きにしていると言えます。
そこには、機械やソフトウェアと生活者のインタラクションがあり、初学者がいかに使いやすい製品を生み出すか、というUXデザインと心理学があります。
ここでのUXデザインと心理学は、人の行動についての関心が中心でした。
正常と決められた手順があり、その手順から逸脱しないようにユーザーを促すのです。
「セルフ化」が期待される人間の能力
しかし、人間が行なっているのは労働だけではありません。労働の移転をいかに機械やソフトウェアが支援し、セルフ化を後押ししたとしても、それだけでは十分ではありません。
人間の能力を、労働・仕事・活動の3つの分類で説明することがあります。
ここでは、
労働とは、タスクを完了すること、
仕事とは、この世界に残る何か新しいものを生み出すこと、
活動とは、人と人とが関わり合うこと、
としましょう(ハンナ・アレントの『人間の条件』に依拠しつつ、大幅に単純化しています)。
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例えば、会計ソフトには、会社設立の機能があります。会社設立に伴う書類の作成を支援し、人に頼まなくても自分で会社設立をできるようにするものです。
会社を設立することで、いままでになかった新たな会社が生まれます。これは仕事に当てはまるでしょうか。
一方で、会社設立に伴う決まった手続きを踏むことについては、定型でなにか新しいものが生み出されたわけではありません。したがって、手順通りに遂行することは労働だと言えるでしょう。
会社設立に伴い、人と人とが関わり合い、対話を行うことは活動のように思えます。
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手続きとしては、定款に記載される会社の「目的」を記載してください、となるのですが、目的に何を書くべきか、については、手続きには含まれないためソフトウェア自体の支援対象ではありません。
会社の目的を記載するために筆を動かす行為そのものは労働ですが、何を目的とするかは活動によって決まってくるし、記載内容を練り上げそれを成果として定款に書き加えるのは、会社設立が仕事であるためには欠かせない要素です。
当然、会社を起こそうとしているのだから、やりたいことがあり、会社の目的は自明である。だから、その手続きを支援する、というのは理にかなっています。
しかし、定款に記載すべき目的を自分の言葉で練り上げ記載できているひとがどれだけいるでしょうか。
目的がうまく書けない時、経験の蓄積された士業の人間やメンターが目的の言語化を手助けします。彼らは話を聞き、質問を投げかけ、時には代わりに作文することもあるでしょう。
設立メンバーで侃侃諤諤、議論を行うこともあるでしょう。このように会社設立にあたっては活動が伴うこともあります。
人手不足はこのような領域においてもセルフ化を要請するでしょう。
つまり、従来の技術は労働の移転を後押しするものだったのに対して、仕事や活動の領域においても、初心者が経験者の手助けなしに仕事や活動を行えるようにする技術が求められています。
文章や画像、音声をモデルが定めた確率に即して生成する生成AIは、AIが生み出した生成物自体が創造性の産物か、という議論はあるものの、人がそれを活用し今までになかったことを生み出したり、人とAIが会話をすること自体は、従来考えづらかった仕事や活動の領域においても技術が大きな働きをなしとげることを否定できなくなってきました。
サービス業の比率が高い社会における人手不足の進行は、生成AIに大きな期待が集まる理由となっているのです。
デザイン領域としての生成AI
話をUXデザインと心理学に戻します。
労働のセルフ化におけるUXデザインは、ふるまいのデザインでした。どんな見た目であるべきか。なにを押したらどうなるべきか。形のないものに形を与え、手続きに姿を与えるのです。
したがって労働のセルフ化における心理学は、人とコンピューターのやり取りにおける心の働きについての関心、どうやったら失敗しないのか、どうやったらわかりやすいのか、が関心が中心となります。
では、仕事や活動のセルフ化におけるUXデザインとその背後にある心理学は、どのようなものになるでしょうか。
まず、生成AIにおけるデザインの領域についての特定が必要です。
生成AIは、従来の指示待ちであったインタラクションを意図の投げ合いに変えます。
生成AIができあがるには、1)事前学習(プリトレーニング)と2)事後学習(アラインメント)を経て、それを3)プラットフォーム(生成AIを利用するためのチャットインターフェースなど)や4)プロダクト(SaaSへの組み込みなど)に組み込んでいく工程が存在します。工程それぞれで体験のあり方が変わります。
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ユーザー体験を決める要素として、まずプロダクトのインタラクションは重要です。従来は指示を与えられるのを待っていたプロダクトが急に意図を読み、意図を受け付けるようになるのですから、そのやりとりも変わります。
チャットインターフェースで構成されるプラットフォームでは、従来のドリルダウンで探索されていくWebサイトのあり方とは異なるインタラクションが探索されていくのかもしれません。書籍という形式が順序という秩序を持っていたところへ検索は一足飛びに該当箇所へワープする手段を提供しましたが、いまや参照先がもっていた文章の並びそのものが解体され、再生成されてしまうのですから。
出力されたものの意味が意図通りであるか、意図が心地よいのか、気味が悪いのか、不快かといった要素は事後学習の内容が強く左右します。しかし、そもそも事前学習の対象に過不足があれば意図に応えることができません。
生成AIにおける体験は、全ての工程が強く寄与しており、学習の仕方を切り離してデザインをした、と言い切るのは難しいように思います。
また、ユーザーの入力した語句を事前学習に利用したり、意図の感じ方についてのフィードバックを取得し、事後学習に利用する場合、再帰性の理解や学習プロセスそのものの体験の考慮が必要になります。
そのとき、支配的だった広告のあり方、画面上の「不動産」の陣ばりはどのように変化していくのでしょうか。どの文節は広告由来のもので、どの文節は公共のもの由来なのでしょうか。全てがネイティブ広告となっていくような世界となったとき、われわれはどの回答を有償(Paid)、どの回答を無償(Unpaid)と見分ければよいのでしょうか。
AIのUXデザインに求められる心理学もまた、プロダクトが中心だった時代とは違う角度のものになっていくでしょう。感情表現や感じの良さの起源といった、モチベーションに関する心理学や発達過程の心の働きに多くのヒントがあるのかもしれません。
感情と生成AI
ある調査によればアメリカの不動産エージェントは、2023年の時点でその7割が生成AIを活用していた、という調査結果の報道もあります。わたしが現地で見聞きした不動産エージェントの生成AIの活用方法は「より人間らしさ」を活かすために、生成AIに頼るというものでした。忙しい時、わたしたちはメールやチャットの文章について推敲しきれないことがあります。そうしたとき、伝えたいこと、相手の状況、いままでのやりとり、といった要素を全て考慮しきれないまま書いてしまったつっけんどんな文章は相手を怒らせ、悲しませてしまうこともあるでしょう。生成AIに必要な要素を伝え、書いた文章は、同じ時間をかけたものでも、十分に「人間らしい」温かみのある文章にできます。それは、円滑な不動産の取引を成し遂げる不動産エージェントの成績を高めることにもつながるのです。現地では、公民権運動に参加した詩人、マヤ・アンジェロウ(Maya Angelou)の「I've learned that people will forget what you said, people will forget what you did, but people will never forget how you made them feel.(人はあなたが言ったことも、あなたがしたことも忘れてしまう。だけど、あなたに対して抱いた感情を忘れることはない。)」という言葉ととともに、上記のメッセージが伝えられていました。
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場の空気を読み、人の意図を叶える。
その時、AIは心理学の成果を果たしたようにふるまうでしょう。
しかし、本当にそれは心理学の成果を踏まえたものでしょうか。
それとも、単に事後学習用に集められたデータを計算している統計・コンピュータサイエンスの成果なのでしょうか。
もはやそのような区別は意味をなさないのかもしれません。さまざまな学問がもたらすアイディアを学習データの作成やモデルの設計、プロンプトの記述に活かし、何がうまくいくのかは結果から学ぶ。リサーチアンドディベロップメントのディベロップメントにこそ重心がある、ということなのでしょうから。
人口動態の変化は、人が人らしくあるための行いについても、サービス従事者から、AIを介したセルフ化の活動に向かわせていくでしょう。その中で、心理学が果たす役割、価値が生まれるプロセスもまた、大きくアップデートされていくはずです。そして、複雑極まりない政治の駆け引きからポルノグラフィまで、さまざまな局面で、仕事と活動のあり方に変化を及ぼすための鍵は、人の心の働きの解明と再現にあるはずです。
人が減る時代のUXデザインと心理学について考えてみたい。
そう思われた方はもしよろしければ、ぜひ、版を重ねた『UXデザインの法則』を手に取っていただき、まずはプロダクトデザインと人の心の働きを理解した上で、仕事と活動の領域に足を踏み入れつつある技術と人の心のやり取りについて、思いを馳せていただければと思います。
また、デザイン分野が人口動態や地政学を含む戦略的分野と交差する領域について、仕事や活動がセルフ化する時代のリテールのあり方、AI時代のインターネット広告のプロトタイピング…本稿でも出てきた、たくさんの検討事項が存在しています。これらの実践機会を得るための戦略デザインチーム Stratnauts(ストラトノーツ、と読みます)を立ち上げています。
お話があれば、ウェブサイトからお問い合わせください。