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UX地政学 試論
『UXデザインの法則』という本を訳したとき、自分はアメリカ人が書いた本を訳すことでアメリカ流のものの考えを知らず知らずのうちに広めているのだな、と感じました。細菌学者が未開の地に飛び込み、そこから新薬を開発する様に、日本の人間が日本に自生している体験をとらまえ、それを応用したグローバルプロダクトを作り出すには、どうしたらよいのか、そのためにUX地政学という考え方を思考実験してみました。
地政学では、政府が関税をあげたり規制をかけたり、あるいは補助金をつけることで、地理的あるいは政治的な障壁を作り出し、それを突破しようとします。UX地政学では、わたしたちが自然だと思う馴染みの感覚(「カスタム」)に対して、政府が関税をあげたり規制をかけたりしなくても、UIへの違和感や、優れたUIの連続によってつくられるいままでにないユーザー体験の発明によって、地理的あるいは政治的な障壁を乗り越えたり、地理的あるいは政治的な障壁を作り出したりします。以下では、UX地政学の基本的な考え方と、それの背後にある「UXデザインの法則」である人間心理について分け入ってみたいと思います。
「日本人」らしさよりも「人間」らしさに興味が持たれる時代
ある雨の日、古書店の前に100円で並んでいる文庫本を見てみると、日本人とは何か、日本の文化的特性を知ろうとする本が多く感じました。
昭和と呼ばれた時代には、『粋の構造』や『空気の研究』、司馬史観や網野歴史学など「日本人らしさ」に関する卓越した論がいくつも著されました。
国境はないとも言われるITビジネスが世界を席巻する今日、日本人論が衰退しているようにも感じられます(cool Japanは「論」というよりかはむしろステレオタイプにあてはまる事例集の趣です)。もはや、人間のシンプルな原理原則が重要であり、国別の差異は、誤差に過ぎないのだと。ITジャイアントたちの成功は、人間のシンプルな原理原則をとらまえたイノベーションであり、ガラパゴス島の我々は、内省にかける時間など無意味であり、積極的に普遍的なものに適応していかなければならない。そう捉えられているように思います。
Google のトップページはどこの国へ行っても同じ、シンプルな窓があるだけです。
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ヘブライ語のGoogle
言語の差こそあれ、ユーザーインターフェースの使いやすさという面では人類に差はない。そう訴えかけているように見えます。機械学習の隆盛もまた、国別の差異など誤差であると主張するかの様です。積極的な情報開示が得られ、そのデータを基に学習していけば、学習モデルそのものには国別の差異などなく、強力な効果を発揮できる。優れた技術は特性や差異をどんどん「誤差項」にしていくように感じられます。
スタンフォード大学で生まれたパースウィシブテクノロジーは、Instagramのような画像を中心とした、言語の介在の少ないグローバルプロダクトを生み出しました。国や文化を超えた人間の普遍的な心理を知るものこそ、この世に大きな影響力を持てるのだと、グローバルプロダクトは主張しているかのようです。
しかし一方で、わたしがグローバル共通と思っていたのとは異なる挙動をするUIに直面することもあります。
コミュニケーションサービスLINEをビジネスコミュニケーションの分野に展開した、LINE WORKSのUIを見てみましょう。
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どうやったら「チャット部屋」の一覧を大きく表示できる?(LINE WORKS)
わたしが直面した課題は「どうやって左に並ぶ、「チャット部屋」の一覧を大きく表示させれば良いのかわからない」というものです。わたしには、「+」ボタンを押すと、新しい「チャット部屋」が開き、歯車アイコンを押せば設定画面が開きます。ダブルタップ(クリック)でもありません。
正解は、左上の「三」(グローバルナビゲーションの左端)です。
わたしのなかでこの「三」は、「ハンバーガーメニュー」ということばと結びついているので、メニューだとおもっています。
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ですが、「三」は、この場合「一覧」を表しているのです。
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しりあいづてになぜこのようなUIなのかをきいたところ、UIのディレクションは基本韓国で行っており、韓国だとカカオトークをはじめとして「三」が、会話一覧を呼び出すためのアイコンになっている、とのことでした。
UX地政学
しかし、ここまでで、これらはUIの文化的差異なのであって、UXでもないし、地政学でもないのでは、と思われるかもしれません。
まず、UIとUXの関係を考えてみましょう。UIはインタラクションを大きく変えます。ユーザー体験は、プロダクトやサービス、人と人との対話の連続です。インタラクションの組み合わせがUIを成り立たせています。
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不整合なUIはUXという1つの連なりを分断します。優れたUIはUXという一連の体験をつなぎ、加速させます。
いわゆる地政学は、地理的な連続性に対して主に政府が介入策を持つ政策決定が効果を及ぼし、つながりのネットワークをときには断ち、ときには強く結びつけることにあります。
関税を発動し、国境線を強化し、入国を制限し、他国の製品を禁止します。補助金をつけ、人脈をつなぎます。
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つまり、UXというひとつの地続きに対して、細かなUIが、まるで政府が関税を発動し、国境線を引くかのように、あるいは、補助金を発動するかのように、UXを促しもし、押し留めることもあるのです。
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このようにUX地政学では、わたしたちが自然だと思う馴染みの感覚(「カスタム」)に対して、政府が関税をあげたり規制をかけたりしなくても、UIへの違和感や、優れたUIの連続によってつくられるいままでにないユーザー体験の発明によって、地理的あるいは政治的な障壁を乗り越えたり、地理的あるいは政治的な障壁を作り出したりします。従来、言語や商習慣の影響は意識されてきました。しかし、UX地政学では、デジタルプロダクトのUIもまた言語のようにこれらに強く影響を与えていると考えるのです。
UX地政学が高度に発動した例を見てみましょう。中国です。中国は、米国のITサービスの国内での展開を禁止し、遮断しています。万里の長城に準え、金盾(グレイトファイヤーウォール)と呼ばれています。これは、言論統制の側面もあると言われていますが、一方で強力な経済政策でもあります。国内の産業を育成し、雇用を確保し、税金を海外に持ち出される機会を作り出しています。守りの側面だけではなく、中国のIT企業は海外に輸出できるUXを作り上げました。
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中国で発達したUXを考えてみましょう。
米国で書かれた数年前のUX書籍において、QRコードはさほど優れた技術ではありませんでした。AppleのiOSではQRコードを読み込むためには、QRコードアプリをインストールしないといけなかったのです。
つまり、QRコードは、手間というインタラクションの壁によって阻まれ、誰でもが使える選択肢ではなく、それは悪いUX(Bad UX)だったのです。
しかし、中国企業は、QRコードをどんどんと採用しました。QRコードで決済も認証も医師の診察もあらゆるものの入り口になっています。
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あるECサイトでは、PCで表示される商品の一覧から商品を選択すると、ただQRコードが表示されます。モバイルファーストでカエル跳びに成長した中国のITではQRコードがデファクトスタンダードなのです。
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中国には数えきれない人口がおり、その市場に対応するために米国企業の製品はQRコードに対応する必要があります。現在、AppleのiOSはわざわざQRコードアプリをインストールしなくても、カメラアプリをかざすだけでQRコードをよみとることができます。
日本に金盾はないけれどUXの壁がある
我が国は、中国のようなテクノロジーの長城をつくりだしてはいませんが、それでも全てが米国発のITプラットフォームに準拠しているわけではありません。米国発IT企業の重要な商圏であるとともに、それとは異なるITの商圏を構成できています。国内IT企業は必ずしも主導的な立場ではなく、市場によっては国内NO.1の座を海外企業に奪われていますが、国内発のIT産業が成立しています。
明確に護送船団を組んでいるわけではないものの、楽天やZホールディングス、メルカリのような企業が存在しているのです。
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その障壁となっているのは、言語、商習慣などさまざまなものが挙げられています。実際、GAFAと呼ばれる企業は、これらの壁を技術で乗り越えることを目指しているのでしょう。そうなれば、壁はまた一段と薄くなります。
しかし、先述のようにUX地政学を構成するのは、言語や商習慣だけではありません。わたしたちが自然に受け入れているユーザー体験にもその証拠を求めることができるでしょう。
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わたしたちは「ごちゃごちゃ」した体験を自然に受け入れています。写真中にあるドン・キホーテ の店内の混み合った陳列棚から、求める商品を見つけたとき、自分の能力を誇らしく感じます。
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日本のECサイトである楽天は「脱出ゲームに近い」といわれることもありますが、もしかしたらこのごちゃごちゃUXこそが日本ITの生み出したUXの壁なのかもしれません。
わたしは「UXデザインの法則」である心理学のいくつかに、その壁の証拠を見出すことができると考えています。これら紹介する心理学は、その壁を低くすることもあり、高めることもあります。
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壁を作り出す「UXデザインの法則」
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ヤコブの法則は「ユーザーは他のサイトで多くの時間を費やしているので、あなたのサイトにもそれらと同じ挙動をするように期待している」というものです。
UX地政学という視点でこの事象を考えてみましょう。
合理的なものよりも使い慣れているもののほうが使いやすい例として、タイプライターのキー配列が挙げられます。
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このように、使いづらいとされている古臭いシステム(例えば、日本医師会が誇るORCAが挙げられます。ORCAは、GUIに見せかけたCUIのため、入力後にエンターキーを押さないでカーソルアウトすると入力されたことになりません)であっても、全てがORCA様のUIであれば、一度、ORCAを使い慣れてしまえば使いこなせてしまうでしょう。たとえば、ある国の義務教育で誰しもが「ORCA標準UI」なるものを学習した国があれば、「成績の優れた者たち」はそれを優れたUIだと感じる様になるでしょう。
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つまり、ある人が生涯で接するサービスを規定するであろう言語圏や国の様な範囲においてUIの仕様が統一されていれば、それは必ずしもグローバル標準である必要はありません。UIの特異な類似性がUX地政学上の防壁となるのです。
このように考えてみると時たま批判される、ドン・キホーテ(ドンキ)の陳列棚の様に雑然とした楽天のごちゃごちゃしたUIというのも、「予想通り不合理」ならぬ「戦略的ごちゃごちゃ」とでもいうべき、楽天の競争力の要因となっているのかもしれません。上述のORCAは、その使いづらさのゆえにORCAベンダーという医療事務にORCAの利用方法をレクチャーする企業群を抱えており、多くの雇用を生み出しています。しかし、上述の中国の事例の様な国際的な競争力を生み出すには至っていないのが現状です。つまり、次なる人間心理を掴むトロイの木馬が持ち込まられれば脆くも崩れる壁なのかもしれません。
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次に、「意思決定にかかる時間は、とりうる選択肢の数と複雑さで決まる。」というヒックの法則について考えてみましょう。複雑さは意思決定のコストになります。だからといって、必要以上に単純化しすぎてしまうと、
認識することすらできなくなってしまいます。
ビジュアルランゲージの始祖、オットー・ノイラートのつくりだしたin/outのアイソタイプをみてみましょう(オットー・ノイラート『ISOTYPE』BNN、2017年)。
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そう、言語に頼らなければ世界平和に近づくと説くノイラートすら、in/outの文字は必要だったのです。
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しかし、どうでしょうか。右と左に明確な序列が存在している文化があるとします。そうすれば、右と左の順序は明確ですから、そこに時間の動きを共通理解として持つことができます。
その様な文化圏では、in/outは明白でしょう。
右と左の優位性に関する序列を自然界から素朴に学ぶのは非常に高度なことのため、儒教のような教育が求められます。なにをもって単純化しすぎかを考えるには、教育練度が関係しています。複雑すぎるものであっても、教育が伴えば、それを使いこなすことができます。
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左大臣と右大臣、どちらが偉いかご存知でしょうか
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次に「見た目が美しいデザインはより使いやすいと感じられる。」という美的ユーザビリティ効果を考えてみましょう。
『UXデザインの法則』を読んだ読者は疑問に思ったのではないでしょうか。引用されている携帯電話は、どちらが「美しい」携帯電話なのだろう。
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時の流れは「美しい」の定義を変えてしまいます。
「ガラケー」は確かに使いやすかったのです。ポケットの中でも、その手触りで文章をうったりメールをすることができました。しかし、ガラケーはiPhoneより美しかったでしょうか。おそらく当時は美しかったのです。しかし、流行りをものにできたでしょうか。当時を思い返すと、数年やそこらで廃れるはやりではなく、スマートフォンという新概念には圧倒されてしまったように思います。
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以上のように、UX地政学において障壁を作り出し、同時に障壁を取り壊しているのは、我々がもつ心理学的な法則です。
ダイバーシティは文化侵略の学習エンジン?
このようなUX地政学の視点から、ダイバーシティを考えてみましょう。米国は、多様な人種の多様な文化を受け入れ、ダイバーシティを是とした価値観から、全世界を飲み込む強力なユーザー体験を作り出しています。それをグローバル標準とするべく、政策レイヤで失いつつある世界のリーダーシップをITにおいて実現しているとも捉えられます。
より多様な文化を学習し包摂した強力なユーザー体験は、UX地政学の壁を越えるトロイの木馬となることができます。多文化を吸収した強力なUXの前には、スタートレックのボーグを前にした地球連邦のように抵抗は無意味(Resistance is futile)なのでしょうか。
わたしはそうではない、と考えています。
例えば、「日常の中で高度に規格化されているがグローバル標準と異なるもの」として、住宅があげられます。住宅という空間が我々の思考行動に与えている影響は、我々が意識するよりもはるかに強いものです。
もう一度、ヤコブの法則を思い返してください。ウェブ上のインターフェイスで使われている意匠は、リアルワールドに実際にあるものが原型になっています。すでにオンラインで受け入れられている意匠は元の意味を離れ、コンセンサスとして機能するようになっています。
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しかし、ITはさらに領域を広げています。画面の中から日常生活へとどんどんと領域を広げています。かつて建築家のフンデルトヴァッサーは、衣服や住宅、社会環境や地球環境も、人間の拡張された身体の皮膚であると言いました。
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われわれは、馴染みのもの(カスタム)を見に纏っています。これらのものに目を向け、ITのフロンティアに目を向ければ、いままでの借り物の知識では解けなかった問題を世界でいちはやく解くことができるでしょう。ITはこの先、社会環境や住宅、街へと今まで以上に入り込んでいきます。そして、そこで用いられるUXを産業として捉え、応援することができれば、国という単位でみれば輸出可能な製品、あるいは、政策ツールという目で見ることもできるのです。
作り手はそれを国を背負った国粋的な活動であるとは思っていないかもしれません。しかし、その本来の価値を惑わさない範囲において政府や他の産業が健全な「グローバル国産UX」を養成することは、ひとりではできないことを実現するのに欠かせないのでは、と思っています。
わたしは大アジア主義者でもアミニズムの信奉者でもありませんが、ノンポリで素朴、無批判なUXを超えて、どろどろと欲望が渦巻く、しかし力強いUXというものの見方(リフレーミング)をしてみてもよいのではと、『UXデザインの法則』を訳しながら思いました。われわれが米国発のUXをせっせと学習し、それを受け入れているからこそ、それはさらに普遍性を獲得できます。心理学の法則(laws)は、物理法則のような普遍性を持ちつつも、それを受け入れる人たちの間だからこそ成立する様な、法律などの社会契約としても機能しているのです。
そして、その背後には人間の普遍的な心理があるのだということも最後に付言しておきたいと思います。あと、『UXデザインの法則』もどうぞよろしくお願いいたします。
出典一覧:
サービスブループリンティングの例 https://www.nngroup.com/articles/service-blueprints-definition/