建築論の問題群05〈日常/聖〉 建築家 磯崎新と「聖なるもの」(2)
西村謙司(日本文理大学教授)
3 .建築家 磯崎新と「聖なるもの」
2023年10月7日、大分市アートプラザで故磯崎新氏追悼式が行われた。アートプラザは、磯崎の初期作品で日本建築学会賞を受賞した旧大分県立中央図書館(1966年)を改装した複合文化施設である(1998年)。2022年に登録有形文化財に指定された。内部は、ペアウォールに挟まれた垂直空間に上から自然光が差し込み、カスケード状の床面と響き合 って奥行きのある内部空間を形成している。その最奥部に祭壇が設えられて追悼式が行われた。あたかも設計当初から自らの葬送空間を想定していたかのように違和感のない祭礼空間となっていた。大分県立中央図書館を世に送り出して以後、磯崎は世界中に多くの建築作品を創作している。その外観はシンプルな板面状の壁によって構成されているものが多いが、内部は、天空から降り注ぐ光に満ちあふれた囲繞空間で構成されており、見方を変えれば、「聖なる空間」として建築されていると見ることができるものが多くある。
その磯崎の遺稿集のタイトルは、『デミウルゴス 途上の建築』となっている。「デミウルゴスの語り」(田中純、『現代思想 磯崎新』、2020年3月臨時増刊号)では、「聖デミウル ゴスは磯崎が《建築》と表記するメタ概念としての『建築』と対になって登場」しており、「磯崎という建築家の自画像」とも言われている。このことは、「プラトン的立体」(『手法が』)を課題として設計手法を模索した当初期から最末期まで、磯崎にとって、プラトンの 『ティマイオス』に著された「デミウルゴス」が重要な指標であったことを示す証拠とも言える事実を伝えている。田中は、磯崎のスケッチブックから「わがデミウルゴス」と記した磯崎の内的発露を示す手稿を見つけ、磯崎にとって「聖デミウルゴス」がただならぬ存在であったことを論じている。
4.「聖デミウルゴス」とは何ものか
「デミウルゴス」は、プラトンの著作『ティマイオス』に登場する宇宙の造物主とされる神的存在である。以後、「デミウルゴス」は、西欧において<建築家>の理想像として尊ばれ、その姿に近づくべく人間「建築家」は努力を積み重ねてきた。リデル・スコットの『古典ギリシャ語-英語辞典』を確認すると、『ティマイオス』で「デミウルゴス」という言葉が「宇宙の造物主」の意味で用いられる以前は、この語は、「生産労働者」や「職人」など、ものづくりに関わるどちらかというと下級階層の職能を示すものであったが、プラトンによって、崇高な立場にまで高められたことを知ることができる。それ故、この言葉は<世界の創造者(聖なる者)と職人・工匠(人間)の双方を意味する両義的存在>を意味している と解される。磯崎が『デミウルゴス』で「天皇」の住まいをテーマとしたのもその両義性を踏まえてのことであろう。
世界・宇宙・国づくりをテーマとするプラトンの3部作『国家』、『ティマイオス』、『クリティアス』の中核をなす『ティマイオス』では、生成するものとしての宇宙(コスモス)をつくる「デミウルゴス」に焦点が当てられ、その内実が語られている。しかし、実際にこの書の中で「デミウルゴス」という言葉が用いられているのは、たった2カ所である。それが 以後2000年以上にわたって西欧の建築家の間で議論の的になっている。
その 2 つの文章のうち、重要なものを引用する。ここにデミウルゴスの内実が語られているからである。
「デミウルゴスが常に同一を保つものに目を向けて、そのようなものをモデルに用いて、それの形や性質を仕上げるのであれば、すべてのものは、必ず立派なものとして作り上げられる」(28a)
「常に同一を保つもの」は、ここではāeíの訳語であるが、『辞典』では、「常に、永遠に」などを意味する語とされている。また、この文章の前に、プラトンは万有の2種について語っている。その1つは、理とともに知性によって捉えられる「常にあるもの、生成しないもの」(同一のもの、永遠)であり、それに対して、感覚とともに思いなしによって捉えられる「常に生成し、決してあるということがないもの」(生成するもの)があるとする。つまり、デミウルゴスの特異性は、「常に同一を保つものに目を向けて」つくることにあるが、その「同一を保つもの」は、知によってしか捉えることができない<永遠なる普遍>を指しており、言わば、「聖なるもの」である。「建築家」の理想像を示すデミウルゴスが最も指示するのは<永遠なる普遍>āeíであり、それ故に、「聖なるもの」の究明なくして、デミウル ゴスのような<建築家>になることは叶わないのである。ここに、古来、建築作品が「聖なるもの」として建てられてきた所以がある。
デミウルゴスがつくるのは、我々の生活環境を支える「宇宙」(kosmos)である。そして、 その「宇宙は生成したもの」とも言われている。「生成されるものはすべて、必ず何らかの原因によって生成しなければならない」(28a)と言われているので、デミウルゴスは、宇宙の生成原因という関係にある。加えて、「(宇宙を生成した)造り主(デミウルゴス)はおよそ原因となるもののうち最善のもの」(29a)とされる。それ故に、「宇宙は生成したものの中でもっとも立派なもの」(29a)となるのである。つまり、宇宙は、最善の者であるデミウ ルゴスが原因となって生成したので最も立派な物とされているのである。「建築家」という職能を有する人がデミウルゴスに学ぶべきことは、この点にある。デミウルゴスは、我々の生活環境を支える宇宙の原因であり、造り主なのであるから、当然、最善のものでなければならない。そして、そのデミウルゴスに倣って「建築家」も「最善のもの」を目指して自ら のあり方を糺す必要があるのであろう。そのように、「建築家」が最善の者デミウルゴスを理想とするが故に、その住み手は、<最善の似像としての>宇宙(建築作品)に身を委ね任せることができるのである。そうでなければ、人は、宇宙を超えて生きることはできないのであるから、いき場所を失うことになる。それ故、加藤邦男は、ロジックを反転して「最善の似像としての建築作品を制作して見せる者は、最善の人格すなわち神的な資格さえも獲得 しうる」と言う。
参考文献
・磯崎新:『デミウルゴス 途上の建築』, 青土社, 2023
・田中純:「デミウルゴスの語り」(『現代思想 磯崎新』, 青土社, 2020年3月臨時増刊号所収)
・Henry George Liddell, Robert Scott : "A Greek-English Lexicon (English Edition) Kindle 版", 2019
・加藤邦男「プラトン、『ティマイオス』における宇宙論的建築家像」, 『建築史学』12, 建築史学会, 1989
・プラトン, 岸見一郎訳:『ティマイオス/クリティアス』, 白澤社, 2015
・プラトン, 種山恭子訳:『ティマイオス, クリティアス』, 岩波書店, 1975