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連続研究会報告/(レビュー) 第3回 自然
日時:2019年6月15日
場所:京都大学吉田キャンパス百周年時計台記念館国際交流ホールⅢ
パネラー:
入江正之:天空へのいざない、生長する樹木
能作文徳:人新世(Anthropocene) 建築の生態学的転回
杉山真魚:グリーン
田路貴浩:ピュシス
まとめ:田路貴浩
基調講演 入江正之「天空へのいざない、生長する樹木」
■イントロダクション
スペイン・カタルーニャの近代建築勃興時に活躍したアントニ・
ガウディ(1852-1926)がどう自然を表現したか、建築家としてどう自然をとらえたかが話の主題である。これはガウディの全生涯における「大きなテーマだった」。ガウディは、かつてはアール・ヌーヴォーの文脈でとりあげられることが多かったが、MoMAのキュレーターやホセ・ルイ・セルトらが、その自由で恣意的に見える形態には法則があると紹介した結果、モダニズム建築の中での位置づけが考えられはじめた。そして、ガウディの建築思想の背後の「自然」という概念が捉えられるようになった。
ガウディの「自然」に関する言説として、主な資料に『日記装飾論』(1878)という、聖堂建設のための「最も大部」な「実践的建築論」がある。ほかに、ガウディが後輩へ口頭で語った言葉の記録も残されている。その対話の際、ガウディは「その場でメモをするな」と言ったが、結果として残された記録は強く印象に残る言葉になっている。
ここではガウディの「自然に対する態度」を探るわけだが、建築との関連が大きな問題となってくる。そこで作品と態度との重ね合わせが必要である。また、スピノザのデカルトに対する態度はガウディの自然観と共通点があり、そこから作品への態度の投影を考察できるだろう。
■ガウディの言葉
ガウディは、「自然という書物」とか、「木、これは私の師匠だ!」といった言葉を残している。これは、一般の書物は解釈が多様で曖昧だが、自然はそうではないという認識を示している。ギリシャ的考え方ともいえるもので、ガウディの言説にはノモスもピュシスも現われないが、その差異をガウディは感じていたのではないか。また色彩については、その「コントラストは生命を与える」と述べており、この考え方は自然を観察して得られたものであるし、プロポーションについても、自然のそれの研究から、「私たちにある直観力を与える」ものと述べている。ほかに、ヴィオレ=ル=デュクの『事典』をガウディはかなり読んでいたし、他にも学生時代にいろいろな本を読んだはずだが、それを凌駕するのが自然だと考えていた。
■『日記装飾論』について
『日記装飾論』を見ると、ガウディは装飾を「まとめる」ものと捉えていたことがわかる。この資料の「観念の詩」の部分は、バルセロナで留学中に読んで感動したが、それは「形態の美しさは、私たちが眺めている形態に正しく反映している観念の詩poesi' a del ideaである」という一節である。これは事物を表象としてとらえて写すのではなく、観念の詩としてとらえ、どう写していくかが問題であることを示している。この考えは、スピノザの言う「観念の原因たりうるのは観念だけ」という命題と同じ考え方ではないだろうか。ほかに、「賢慮は総合であり、生命あるものである」という言葉から、私(入江)は「生命」とは何かを思念してはならないと考えている。つまり、建築制作との関わりにおいて、「生命」や「観念」を捉えなければならない。スピノザによると、その原因を指定するだけで「満足してしまう」ことは危険であるが、ガウディも「自然」「生命」「総合」についての言語的措定を行ったうえで制作に反映して行く、つまり制作の素材としての「ある原因」に「満足してしまう」ことをみずからに許さなかった。
■有機体と自然について
ガウディは、「有機体すべてがその生命のために不可欠」であることと同様に「自然についての観念」も不可欠であるとすれば、「単純化された形態」つまり「総合的形態」を持つことが重要だと述べている。これはガウディ自身の規範といえる。つまり、「一切の齟齬」のないまとまりを目指していたのだと考えられ、その実現がサグラダ・ファミリアだといえる。スピノザには次のすばらしい言葉もある。「何かを知っている者は、自分が何かを知っているということを知っている」。ガウディは自然に対してこの言葉のどおりに向かいあった。知らなければならないこと、すなわち自然が前景化されており、それをわれわれはさらに深めなければならない。
また、スピノザによるペテロに関する記述は、「ペテロ」を「自然」に入れ替えても成り立つ。その文意は、本質の「理解のためには、観念そのものを理解する必要はない」ということであろう。國分功一郎『スピノザの方法』によれば、スピノザの『デカルトの哲学原理』では「内容の扱い」にスピノザの思想が現れているという説があるが、先の「観念」と関連づけ、「事物と観念は同じ存在」である、つまり別の仕方で同じものが現れているものと考えられる。したがって、ガウディのいう自然は事物であり観念でもある、つまり「観念の詩」であった。
■実作について
ベリェスガールの住宅はRC造が可能になった時代の作品であるにも関わらず、もともと中世の遺構があった敷地に造られた、あたかも中世の城のような住宅である。しかし、それ以前の作品とは同質ではないし、かつ「歴史様式の再利用ではない」。伝統的煉瓦工法を採用しているが、実際には、内部に鉄の引張力を使っている。外部は中世的だが、内部は近代的なのである。この建物では、当地で採れる石を部材に用いている点で土地と建物が一体となり、土地のテクスチャが建物のテクスチャになっている。これが土地に結びつく「大地」性であり、さらに塔による土地から離れる「天空」性もある。こうした運動の生命が、「観念の詩」の現れである。
続いてグエイ公園についていえば、これが、先の観念のさらに大きなスケールでの実現といえる。竣工当時でもすでに、「空間のシークエンス」がすでに設計されていた。当時の批評では、この公園は「大地の鋳型」と言われてもいた。たとえば、階段つきあたりの岩壁は、自然そのものと、多少加工された人肌に馴染んでいる部分と、両方の仕上げが併置されており、両者のヒエラルキーが表示されている。また列柱についていえば、タイルで柱と大地とを見切っているといえる。ここでは、スラブの造作と展望の観点から、「天空」への志向が見られる。
カザ・ミラは、これも表象の模倣ではなく、そこに塔があることや、屋上では暴風雨という風に巻き立つことから「天空」とのつながりがある。またグエル教会は、不可視のフォルムを力として表現したものといえるし、サグラダ・ファミリアは、さまざまな作品での経験の展開である。
【発表1】
能作文徳 「人新世(Anthropocene) 建築の生態学的転回」
これまでの人間の文明発展は完新世という比較的安定した時代を舞台としてきた。しかし、人間の活動が地球に及ぼす影響が肥大化した現代において、「人新世」という言葉によって人間と自然あるいは人間と地球の関係を模索していく時代へと突入している。「人新世」における建築の在り方とはなにか考えていく必要がある。
■人新世の三つの段階
・産業革命:風力、水力といった自然エネルギー(蓄積不可能、偏在)の動力化から蒸気機関と石炭(蓄積可能、移動可能)によるエネルギーの動力化へと移行することで、エネルギーおよび動力の民主主義化と資本主義化へ。
・大加速 1950-:人口爆発、近代農業、都市化、戦争を通して産業化が加速する。例えば「緑の革命」(農業機械、化学肥料、品種改良の導入)によって、農業の効率化が進んだ一方で、技術依存の連鎖(農薬開発と農薬耐性種の開発)や、技術導入の可不可による格差、生態系の攪乱、環境汚染が生じた。また、度重なる戦争によって技術発展が加速され、戦後それらの技術が矢継ぎ早に生活領域に導入されていったことも大加速の背景にある(アウトバーン、アルミニウム、原子力発電)。
・気候変動 2000―:人間の活動が地球への負荷を極度に高めていく中で気候変動が生じ始めた結果、地球と人類の統治という視点や環境変動を経済にどう組み込むかという視点が生まれている(グリーンエコノミー)。ここには地球全体(地表、岩石圏、成層圏、人工衛星)をマネジメントしようとする権力の発生が見て取れる。
■人新世における新たな思想の展開
人新世は自然と人間という二分法の限界として捉えられ、民主主義という人間中心主義から、人間ならざるものも含めた政治秩序の形成が必要とされる(B.ラトゥール『虚構の近代』)。また、人工世界への自己完結の結果、近代にはその内部での人間の疎外が問題とされたが、人新世においては、もはや人工世界そのものの崩壊の危機(二分法の崩壊)にある。人工世界の形成の在り方はこれまでの構築の論理から、「無数の破片と小片の寄せ集め」の論理への転換が求められる。(篠原雅武「人新世」『現代思想』2019年5月臨時増刊号」)。
■建築の生態学的転回
「無数の破片と小片」を紡いでいくことを建築設計において実践することが、近代以降の自己完結型のあるいは全体性を志向する建築からの脱却へとつながるのではないか。また、そこで要求されるのは、発展・安定といった人工世界像ではなく、不安定な環境の中でのサバイバルである。しかしそれは、地球を対象とする権力や自然をも人工世界のうちへと回収しようとする機構とに対峙するための手段でもある。
【発表2】
杉山真魚「グリーン」
■イントロダクション
最近、「グリーン」という言葉の意味が変わってきた。現代には低炭素社会とか地球環境への配慮といった状況があるが、われわれも身近なグリーンを考えるべきであろう。ソーラーパネルの並ぶ「グリーン」には違和感を覚えるし、「グリーンビルティング」という技術的な「グリーン」の例として「あべのハルカス」がある本で紹介されていたが、それは低炭素社会におけるグリーンの一例であろうか。最近では、住宅地の屋根もソーラーパネルに占められている。
増田友也の晩年(1980年頃)のノートには、「住居(oikos)への目」と記されている。また、「ge-stell」すなわち集-立(総かり立て体制)が「oikos」の周囲に書かれており、ge-stellへの懸念を増田がもっていたことを示している。そのノートには「ergon」(仕事)という語も書きつけられている。これは今でいうエネルギーの語源である。そこで今回は、これまで建築論では等閑視されてきた、卑近なge-stellや、主にエネルギーについてとりあげる。
■エネルギー消費と住宅政策
エネルギーの消費量は、1973年と2015年とで比較すると、運輸や家庭の分野ではあまり減少しておらず、節約に「かり立てられている」。それが、太陽光パネルの導入につながっている。そこでグリーンビルディングとしての住宅について考えてみる。まずZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)というのがある。ネット・ゼロエネルギーとは、実際は現状からエネルギー消費を2割削減し、そして消費エネルギー以上のエネルギーを自分で作成するという考え方である。LCCM(ライフ・サイクル・カーボン・マイナス)住宅は、ZEHより環境基準が厳しく、CO2排出量でネット・ゼロでなくマイナスを目指すものである。しかしCO2排出量での決定には「違和感」がある。
木造住宅の推進は、木材がCO2を吸収する炭素ストックになるという性質をもち、また植林と廃棄とでCO2量をうまく均衡させられるという考え方だが、「木材がかり立てられている」といえる。ここまでが、量ではかれるグリーンビルディングである。
■全体への洞察と科学
藤沢令夫『「ギリシア哲学と現代』では、「知られざる全体への洞察」が科学的知見で深まることや、「善く生きるための有効性」へも科学的思考によってつながると述べられている。つまり、デカルト主義とロマン主義の対立をやめ、その両方を含み持つ考え方が適切である。
■グリーンの諸相
「グリーン」の分類を行なった。まず知的グリーン、物的グリーンの大きく2つに分けられる。前者がここまでみてきた量で測れるグリーンであり、後者が身近な環境におけるグリーン、たとえば森林、農地、花壇、街路樹等である。後者の物的グリーンは増田のノートにもあったエネルゲイアに関連し、すなわち、かり立てられる仕事ではなく、目的連関の外にある仕事である。この物的グリーンに人は「愛着」をもつことができ、つまり「私」の活動が介在するということで、これが喜びとなるし、「他者」への気付きにもつながる。
そこでさらに、第3のグリーン、内的グリーンが考えられる。これは、自然の成長力や有機的つながり、そして自然の全体性などへの関心につながる。そしてこれがあるために、我々は自然に惹かれるのではないだろうか。この内的グリーンが、藤沢のいう、まだ十分に知られていない「全体」ともいえるのではないか。
■建築デザインとの関連
知的グリーンへの配慮としては、設備のみに省エネルギーを頼らないということで、たとえソーラーパネルの色を提案するといったことが考えられる。物的グリーンの再構成としては、住宅とその周辺の「とりまくもの」の引き込みをめざすということで、遠くに見える山を設計に取り込むとか、手間のかかる部分をつくって愛着を誘発するといったことが考えられる。内的グリーンについては、それを想像することで、生と死への感覚へつながるため、その感覚が鈍化することの防止になる。
現在、私(杉山)が住んでいる岐阜には、一見平凡な風景があるが、その平凡さの中にヒントがあるとも考えられる。平凡ではあっても、そこへ住みつこうとするとき、自己の周囲の風景に深い関心を向けることになるだろう。
【発表3】
田路貴浩 「ピュシス」
森田慶一、増田友也の建築論を批判的に継承することによって、建築には「イデア」「造形原理」「条件」の三つのアルケーがあり、さらにそれらを「始源」が支えるという構図としてとらえられるのではないかという仮説を立てることができる。
■森田の建築論
森田は、建築を「原理(アルケー)を知る工匠の技術」と捉えたうえで、ウィトルウィウスの建築書から、建築のアルケーを見出すとともに、それを内在的原理(「造形原理」)と在外的原理(「条件」)に区分する。そのうち、「造形原理」としての内在的原理の探求を進め、ウィトルウィウスからさらに発展させて、強・用・美に聖を加えた四つによって体系的に「造形原理」を論じた。それは建築の自律性と全一的な建築論を目指すものでもあった。
■増田の建築論
一方の増田は、博士論文において原始的な生活をおくる民族の住居や儀礼空間の分析を通して、まさに建築の生まれ出ずるところとしての「始源」へと思考を巡らしていく。それは、増田が最終講義にて、森田の建築を「造形原理」にとどめてしまった思考を批判的に捉えることへと至った。森田が、自然物においてイデアが現実態へと転じるのを神(造物神デミウルゴス)による制作術としたのに対して、増田はそこにピュシス(自然がアルケーを自らのうちにもち自己生成する力)を見る。つまり、人間の建築製作を「イデアの模倣」から「ピュシスの模倣」として読み替える。そして、森田が建築を「原理を知る工匠の技術」と訳したことに対しても疑義を唱える。増田はハイデガーを参照して、技術すなわちテクネ―とは知ることであり、建築することとはアルケーを知ることであるとする。すなわち、増田の探求は建築のアルケーからイデアへ、さらにピュシスへと、あるいは「到達不可能な始源<origin>」へと向かった。そして、増田自身が最終講義を締めくくる際に述べたように、そこには建築とは何かという問いが存在するとしても、もはや何に向かって建築を造るのかという問いが介在する余地はなかった。
■建築のイデアとしてのピュシス
しかし、その問いに対する答え、つまり建築を造る目的とはなにか、その手掛かりとなるのが、増田が「始源」へと遡行していく過程に通り過ぎた、「イデアの模倣」を「ピュシスの模倣」へと転じた地点である。これを素朴に建築のイデアをピュシスとして探求すると解釈するならば、建築の究極的な目的は自然にあるといえる。つまり、増田のいうピュシスという「非・建築」を「始源」とする建築は、ピュシスという「非・建築」をイデアとしてもつのである。
(田路貴浩)