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建築論の問題群02 〈建築の自律性と他律性〉                流れ、その見えざる規則―坂牛卓氏の設計論「〈物〉/〈間〉/〈流れ〉」によせて―

片桐悠自(東京都市大学)

本稿は、建築学会建築論・意匠小委員会での「建築論の問題群」第3回ラウンドテーブル(2022年5月15日、東京理科大学神楽坂キャンパス)における坂牛卓氏のレクチャーを承けて、過去の建築における理論的作品とともに、氏の建築論を読解するものである。レクチャーの内容については、同氏による前稿(日本語版英語版[English version])を参照されたい。
 坂牛氏はこれまで〈物〉と〈間〉が建築の設計における二つの基本的な構成要素であると論じ、それらに内在する関係性から生じる建築表象に関心を抱いてきた[1]。近著『建築の設計力』(2020)においては、〈物〉は建築家が図面で表記する部位、〈間〉はそれらに囲まれた部分であると説明しているが[2]、さらに、三つ目の基本要素として〈流れ〉を定義する。〈流れ〉は、建築図に収まらないが、建築設計者が想定する様々な動き、人・視線・熱・風・光・音・匂いなどが含まれ[3]、それらの相互の連関において、建築が形づくられる。
 ここでは、坂牛氏の〈物〉/〈間〉/〈流れ〉の一解釈として、いくつかの史的事例の建築表象を分析することで、3つのキーワードの相互の連関を読み解いてみたい。具体的には、ノリの地図、ザンクト・ガレンの修道院平面図、リゴーリオの古代ローマの図の三つを取り上げる。それぞれを〈物〉/〈間〉/〈流れ〉のうち二つの連合と対応させ、解釈を試みる。


I. ノリの地図:ロジスティクスとしての〈物〉/〈間〉

Fig.1 Giambattista(Giovannibatista) Nolli, Nuova Pianta di Roma, 1748. (Public domain)

 18世紀半ばに、ジャンバティスタ・ノリによって描かれた「新しいローマの地図Nuova Pianta di Roma」は、当代のローマのアクセシビリティを可視化したものであり、空間の内外を分け隔てなく、建物を黒く、教会内部・中庭・道路空間等を白く抜き、近代的な都市空間を前景化したものとして知られる。
 この地図を参照するのは、坂牛氏の用語である〈物〉/〈間〉をよく説明する事例であると思われるからである。黒く塗られた建造物は、〈物〉であり、即物的な建築の表現である。それは、物体として存在し、近代の建築図面における“太線で囲まれた部分(もしくは黒く塗りつぶされた部分)”に相当する。白く抜かれた空隙は、〈物〉と〈物〉の隙間=〈間〉である。
 「ノリの地図」は〈物〉と〈間〉の関係を明示している一方で、実はここに「流れ」を読み取ることは難しい。建築理論家ピエル・ヴィットーリオ・アウレーリが、この地図をピラネージの『ローマのカンポ・マルツィオ』と対置させたように、「ノリの地図」には18世紀的な科学主義、都市空間をコントロールするための論理が隠れている[4]。誰でもアクセスできるトレヴィの泉やパンテオンも、“関係者以外立ち入り禁止”の修道院や貴族の邸宅の中庭も、皆一様に白く表示しているのである。いわば、この地図は、都市空間における“パブリック/プライベート”の区別を示すものではない。いわばロジスティクスとして拡張し続ける都市空間の原理を示しており、その意味で都市空間の物質的拡張という〈流れ〉の暴力性をも可視化しているといえるだろう。

II. ザンクト・ガレンの修道院平面図:場としての〈間〉/〈流れ〉

 坂牛氏は〈流れ〉の対概念として、「淀み」の重要性をも指摘しているが、〈流れ〉を部分的に制御したところに「周囲と隔絶した自律した空間や世界が生まれやすい」と述べている[5]。この言を参照するなら、中世の修道院という場は、まさに都市の拡張という暴力的な〈流れ〉を隔絶した「淀み」の場であるともいえるだろう。プロポーションと対応するような用途を参照することによって、共同生活の場という建築的な「淀み」としての修道院が開示されているのであり、〈流れ〉が可視化されている。
 9世紀前半に書かれたとされる“最も古い建築平面図”、「ザンクト・ガレンの修道院平面図」(Fig.2)は、中世以前に遡れる建築の理想的な修道院の平面図である。この修道院図は、そもそも聖人の自伝の裏紙として、たまたま残っていた図であり、計画自体の謂れははっきりと記されていない。スケールをもたないこの平面図からは、即物的(ザッハリッヒカイト)な建築形態を復元することは難しいが、大聖堂を中心に様々なプロポーションをもった〈間〉が記され、それぞれに用途がアトリビュートされているという[6]。

Fig. 2 Plan of Saint Gall. early 9th century. (Public domain)
Fig. 3 Plan of Saint Gall, redrawn in 19th century. (Public domain)

 大聖堂のエントランスには、二つの円形の塔があり、客舎は両側の塔の脇に据えられている(Fig.3)。巡礼者は、羊小屋・牛小屋・豚小屋・馬小屋・小屋番の納屋を横目に通り過ぎながら、塔へと向かって堂内へと入る。堂内は、袖廊のついた十字形平面であり、右手側に回廊、左の袖廊に写字室(書庫)が付属しており、巡礼者はおそらく、二つの塔を起点に、宿坊と、大聖堂、回廊を行き来する。
 大聖堂を囲むように、時計回りに、学校、修道院長舎、療養所、墓地、菜園、工房、食料加工所が配され、プロポーションと配列から機能を指し示す、近代的なエスキースが、この修道院図には示されている。共同生活の場として、人の動線としての〈流れ〉だけでなく、豚や牛や馬の〈流れ〉、生命が食物と化す〈流れ〉、また修道院にかかわる人々の入院・葬儀・埋葬といった死を表象する〈流れ〉すらも想起される。

III. ピッロ・リゴーリオのローマ図:モニュメントとしての〈流れ〉/〈物〉

 「ヴィラ・アドリアーナ」の発掘や「ティヴォリのエステ家別荘」の設計で知られる建築家ピッロ・リゴーリオは、《古代の都市イメージAntiquae urbis imago》(1561, Fig.4)を描いている。古代ローマのモニュメントが積み重なるように配置されたこの図は、ル・コルビュジエが「プランという幻想に対抗するかのような」と評したことで知られる。ここでは、道路はほとんど描かれていないにもかかわらず、積み重ねられたモニュメント群が、おおよそのローマ都市内の配置を指示することで、人間の道行き、〈流れ〉がおおよそ見て取れる。この図について、建築家ジャンウーゴ・ポレゼッロは、このローマの都市図を「乱雑に配置された本の山、思い込みによって、間違った位置にある図書館」と評する[7]。ポレゼッロの喩えには、リゴーリオの古代モニュメント解釈の自由さへの評価が現れており、「意味と方法が成長する」都市図として、モニュメント=〈物〉が前景化し、読者へと作用する。

Fig.4 Pirro Ligorio, Antiquae urbis Romae imago, 1561. (Public Domain)

 リゴーリオの《イマーゴ》は、「ノリの地図」とは異なり、一方ピラネージが描いた「カンポ・マルツィオ」に似て、全体的な“プラン”に対抗する、都市の図である。リゴーリオの「モニュメントの山」の濃い筆致には、操作的な都市空間上の動線はない。モニュメントとモニュメントの関係、〈物〉と〈物〉の関係には、地図を読む人間の視線の〈流れ〉が措定される。
このリゴーリオの《イマーゴ》に、坂牛氏による石上純也評を関連付けることもできるだろう。『建築の条件』(2017)によると、石上氏の「小さな図版のまとまり」の薄い色味は、ほとんど書き手の主体というよりは、筆致として残された痕跡が崇高さを帯び、ほとんど書き手の主体性を失ったかのような表象を伴うことで、読み手に作用する[8]。その都市の認識は、読者自身の選択へ、リゴーリオ/石上純也といった主体から切り離された疵痕/記憶の凝視へと委ねられる。


IV. ヘーゲル/ロッシの〈流れ〉:記憶としての「今そのときの瞬間」

  最後に、建築家アルド・ロッシの〈流れ〉への言及をもう一つの補助線として、結びに変えたい。興味深いことに、ロッシは、〈流れ il fluire〉を、ヘーゲル『美学』におけるゴシック建築の内部空間の定義と結びつけ、設計競技案趣旨文の冒頭に置いている[9]。先行する私的なノートに、ロッシは以下のように記している。
「“...今そのときの瞬間とは、その流れにおいてのみ見ることができるものであり、あらゆる事象の上に、限りなくとてつもない空間が恒常不変の形態と構築物としてそびえ立つ。il momentaneo diviene visibile solo nel suo fluire e su ogni cosa si elevano gli spazi immensi, infiniti con la loro solida forma e costruzione sempre eguale.”[10]
ヘーゲルの分析から、私たちは、啓蒙主義の建築において声高に叫ばれている機能主義と順応主義とはかけ離れてゆく。他方で、建築、影、神秘的空間を下敷きとしたゴシックの大聖堂ドゥオーモの分析は、ブレを思い起こせるものである。実際、“その流れの中にのみ、今そのときの瞬間が見えるところとなるとてつもない空間”」とは、もっとも美しい建築の定義の一つであり、私たちが知る限りのもっとも美しい建築の一つであるのだ。
建築とは、その変容における体験の形態であり、記憶であるのだ。そしてヘーゲル的ジンテーゼは、ある歴史的な、詳細な観察から生成する。ゴシックの大聖堂と、その大聖堂の属する都市のジンテーゼである。」[11]

 ここに、坂牛氏による「流れは〈超越的〉である」という言及を考察する手がかりがあるように思われる。それは、建築が自律した生命を表象し、都市を形作る根源的なものとなる「デ・キリコ的瞬間」[12]として措定できるかもしれない。つまり、「その流れil suo fluire」でしか見えない「今そのときの瞬間il momentaneo」とは、まさに、記憶であり、「淀み」によって〈流れ〉が可視化される瞬間である。
 同一の大聖堂で、死者が運び込まれると同時に、婚姻の儀が執り行われ、他方でミサが行われる大聖堂こそが、ヘーゲルにとってのゴシック建築の定義であり、ロッシが引用し、「“その〈流れ〉の中にのみ、今そのときの瞬間が見えるところとなる」と強調したものである。ゴシック建築の内部では、”崇高”とも言えるような神秘性の元に、“非-崇高”な人間の世俗のアクティビティが取り囲まれている神秘の場所である。ここでロッシはE-L.ブレの建築論における「建築、影、神秘」に関連づけ、大聖堂の記憶としてのあり方、「都市の建築」としてのあり方を強調するが、これはまさに「淀み」としての建築を表現しているといえるかもしれない。
 「今そのとき」という一瞬のなかに、建築自体がモナドと化す観察者の体験-記憶が存在する。因果律を超越した、「今そのとき/記憶」のなかに、すなわち「淀み」の中にある〈流れ〉の中で、見えない規則が存在するのだ。



[1] 氏の博士論文をもとにした著作『建築の規則』(2007)では、「物」は、ウィトルウィウスからアルベルティが論じてきた「数比的“物”」、ならびにモホリ=ナジ・ラースローのバウハウス教育における色彩・材料・テクスチャといった「質料的“物“」が措定される。一方で、「間」は、建築部位の間で構成される「内部空間」や、建築同士を「物」として捉えた場合の隣地といった外部空間を含む。; 坂牛(2008), p.48-62.
[2] 坂牛(2020), p.382.
[3] Ibid, p. 41.
[4] AURELI(2011), p.115.
[5] 坂牛(2020), pp. 48-49.
[6] 「ザンクト・ガレンの修道院平面図」の復元模型を含む詳細については、日本語訳された以下の書籍も参照;ブラウンフェルス(1974).
[7] POLESELLO(2000), p.102. trans. from Italian to Japanese by the author.
[8]「夥しい数のちいさな図版が詰め込まれてできている。まずそれらの無限性が数学的崇高を帯びてこちらを圧倒する。加えて小さく、色味が薄れた無数の文字群はすでに意味をなすシンボル機能を失いかけ、我々に凝視を迫る。[…]ここで石上が提示するモノは、無限の砂粒のごときものであり、それらは主体的表現の一部ではなく、砂粒状の「疵痕」のなかに入り込む受容側である者=他者の想像力の中に現われるものである」: 坂牛(2017), p.106. 
[9] 「ヘーゲルは、ゴシックの大聖堂ドゥオーモの内部空間について、“その流れの中にのみ、今そのときの瞬間が見えるところとなる[dove il momentaneo diviene visibile solo nel suo fluire]”場であると記している。これは、中庭と通路、開放されたロッジアをもつ大規模建築である。これらのモニュメントを私たちが通り過ぎるとき、都市空間を感じるのだ。そうした例としては、マントヴァのドゥカーレ宮殿、パヴィア大学、ヨーロッパの数多くの都市的複合体が挙げられる」;ROSSI, Aldo,"Trieste e una donna. Concorso per il Palazzo della Regione di Trieste 1974", L'architettura di Aldo Rossi, Franco Angeli Editore, 1976, p.242. trans. from Italian to Japanese by the author.
[10] ヘーゲル(1973), p.1587. ロッシの引用を元に改訳.
[11] ROSSI(1976), p.242. trans. from Italian to Japanese by the author.
[12] ディヴィッド B.スチュワート氏は、篠原一男、坂本一成氏から続く坂牛氏の建築のあり方を「東工大スクールの“機械” TTT(Tokyo Tech Tradition) machine」として論じ、「デ・キリコ的」と評した; STEWART(2016), p10-19. 更に付言すれば、この論に先行してスチュワート氏は、ロッシの建築について、「合理主義の特異な解釈はそれ以前の都市構造の考え方とは矛盾するものであった」と論じ、「イデオロギー的機能」を見出している。氏によると、ロッシの自律的な建築という主張は、建築の観念論的機能にふりかかった危機に直接対応したものだという点を強調する。「この危機の性格からして建築家は資本主義の経済機構全体の動きに巻き込まれないようにするためにあらゆる犠牲を払って独自の役割を果たすことを余儀なくされるのだ。」; STEWART(1976), pp.107-111. その意味で、彼が東工大スクールの「機械」を「デ・キリコ的」と論じたのは、いわゆるル・コルビュジエ的な「機械のタイポロジー」というよりも、東京というカオスの内部で、カオスに対抗する「都市の建築」であるということであろう。都市という外形との関わりにおける自律した“デ・キリコ的”「淀み」は、「物」と「間」を表現した建築写真・建築図面から脱離してしまった「流れ」を可視化する際に、謎めいた痕跡として想起される。

参考文献
[i] 坂牛卓『建築の規則―現代建築を創り・読み解く可能性』, ナカニシヤ出版, 2008.
[ii] 坂牛卓『建築の条件:「建築」なきあとの建築』, LIXIL出版, 2017. 
[iii] 坂牛卓『建築の設計力』, 彰国社, 2020.
[iv] 坂牛卓, Architecture as frame and reframe, 三恵社(Sankeisya), 2016.
[v] 坂本一成「坂牛卓の空間観」Architecture as frame and reframe, 三恵社(Sankeisya), 2016, pp.8-9.
[vi]ディヴィッド B.スチュワート,「坂牛 卓 見えざるものと先見性(“Taku Sakaushi: Enigma and Vision”」, Architecture as frame and reframe, 三恵社(Sankeisya), 2016, p10-19.
[vii]デイヴィッド・スチュワート(STEWART, David)「アルド・ロッシの建築に見られる観念論的機能の表現("The Expression of Ideological Function in the Architecture of Aldo Rossi")」、au (65), pp.107-111.
[viii] W.ブラウンフェルス『西ヨーロッパの修道院建築 : 戒律の共同体空間』渡辺鴻訳, 鹿島出版会, 1974.
[ix] ヘーゲル『美学』20a(第3巻の上), 竹内敏雄訳, 岩波書店, 1973,
[x] AURELI, Pier Vittorio, THE POSSIBILITY OF AN ABSOLUTE ARCHITECTURE, The MIT Press, 2011.
[xi]POLESELLO, Gianugo, “Città, monumenti antichi e nuovi monumenti: il progetto per la Camera dei Deputati a Montecitorio", IL PROGETTO DEL MONUMENTO - TRA MEMORIA E INVENZIONE, Edizioni Gabriele Mazzotta, 2000.
[xii] ROSSI, Aldo, "Una diversa prospettiva ideologia"(1971), Aldo Rossi SOUNDINGS (Series of Theory and architectural Openness), AIÓN, 2017.
[xiii] ROSSI, Aldo, "Trieste e una donna. Concorso per il Palazzo della Regione di Trieste 1974", L'architettura di Aldo Rossi, Franco Angeli Editore, 1976.

片桐悠自(かたぎり・ゆうじ) 
東京都市大学建築都市デザイン学部建築学科講師。2012年東京大学工学部建築学科卒業。2014年東京大学工学系研究科建築学専攻修士課程修了。2012-13, 2014-15年パリ・ラヴィレット建築大学留学。2017年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、博士(工学)。2017-21年 東京理科大学理工学部建築学科助教(岩岡竜夫研究室)、2021年4月より現職/主な論文に“Circle, Triangle, and Square”(2018),「穿たれた立方体」(2021)。

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