理論と実践:哲学界のロックスターと不登校プリンセスの対決!(3)
なぜマルクス・ガブリエル人気は存在しないのか
この見出しはドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの著書『なぜ世界は存在しないのか』のパクリで、THEY(最近は性の多様化に配慮して、彼や彼女ではなくTHEYを使っています)は、日本で宣伝されているような偉大な哲学者ではないという意味です。
日本ではマルクス・ガブリエルが『天才哲学者』や『哲学界のロックスター』といったリングネームで取り上げられ、THEYの出演する日本のYouTube番組は数万から100万人台の視聴者がいます。更には、ガブリエルの思想や哲学が資本主義や世界経済を根本から変えるといった宣伝すら行われています。
しかし、これらは日本のマスメディアが捏造した虚像に過ぎず、マルクス・ガブリエルは哲学界にも経済界にも、大した影響は与えていません。
これはガブリエルの母国語であるドイツ語や、スペイン語のYouTubeコンテンツの視聴者数を見ても明らかです。彼のドイツ語のYouTubeの無料講座の視聴者数は1,000人程度で、スペイン語のトークショーの視聴者に至っては、100人~500人に届かない程度です。
ガブリエルが注目を浴びたのは、THEYの著書が10万部越えのベストセラーとなったことが切っ掛けです。しかし、この10万部越えは『哲学書に限定すると異例のベストセラー』というだけのことであり、他の分野のベストセラーほどの影響力はありません。
日本ではディスカヴァー・トゥエンティワンの『超訳 ニーチェの言葉』が哲学書っぽい書籍としては異例のミリオンセラーになりましたが、この本が、哲学界や日本経済や資本主義に何の影響もないのと同じです。
ガブリエルのトークショー(日本の番組は一応インタビュー形式になってはいますが、インタビュアーが、ガブリエルが話したい事しか質問しないので、ガブリエルの独演会みたいな感じです。よく言えばソフトインタビューと言えなくもありません…)は、哲学を学んだことが無い一部の人々の間で評価されていますが、多くの専門家からはガブリエルの主張は陳腐なものと相手にすらされていないのが現実です。
THEYが有名になった切っ掛けの著書『世界は存在しない』は、初めて哲学に接する人には、革新的に感じられるかも知れませんが、本質的には哲学の古典的テーマである存在論や現象論についての再解釈に過ぎません。
ガブリエルは『世界』という概念は、全てを包含する究極の集合としては成り立たないと主張しますが、これは真新しい発想ではなく、集合論や数学的論理学会では1900年頃に議論されていた内容です。
AI無理倫理学のnoteでは、アラン・チューリングの話を何度か取り上げていますが、数学と哲学と計算機科学と理論計算機科学の間には綿密な関係があり、数学者が哲学者でもあることは少なくありません。
ガブリエルが主張している程度のことは、アラン・チューリングよりも一世代前のベルトランド・ラッセル(1872~1970年:イギリスの哲学者、論理学者、数学者、社会批評家、政治活動家)が『ラッセルのパラドックス』として、全てを包含するような集合問題を提唱しています。
ガブリエルの他の主張も、例えば、『意味の場(field of sense)』の概念は、現象学や認識論の古典的なテーマを取り上げただけであり、本質的に新しい洞察を提供しているわけではありません。
ガブリエルがあたかも自分で考えた画期的な概念のように語っている『ソフトパワー』も、ハーバード大学教授のジョセフ・ナイのベストセラーで世界的な流行語になった『ソフトパワー』を劣化させた程度の内容に過ぎません。
要するに、ガブリエルの主張は、これらの既存の哲学理論などを新しい言葉で再構築していだけに過ぎず、THEYの哲学が真に革新的な哲学問題や、解決策を提唱したのではありません。
分かりやすく説明すると、尾崎豊の♬ I LOVE YOUを尾崎紀世彦、布施明、小田和正、桑田佳祐、玉置浩二、中森明菜、本田美奈子、宇多田ヒカル、EXILE、コブクロ、福山雅治、川崎鷹也、尾崎裕哉(尾崎豊の息子)、BENI(英語版)などなど多数の歌手がカバーしているのと同じです。本田美奈子バージョンはアレ過ぎてイラっとしますが、筆者的にはBENIバージョンはありです。
ガブリエルのトークショーによって新たに哲学に関心を持つ人が増えることには、一定の価値があると言えなくもありません。しかし、哲学の基礎が分かっていない『無知』なYouTube視聴者などが、30~60分程度のガブリエルの浅はかな使い古しの哲学概念の切り貼りトークを観て、何かが分かったような気になるのは、弊害の方が多いでしょう。更に、情報倫理やAI倫理の観点からは、THEYの主張はでたらめ過ぎて、『無知』の観察対象にしかなりません。
これはAIの第一人者と祭り上げられていたAIに詳しい松尾豊さんのYouTube番組を観てAIを誤解したり、グレタの気候正義運動に賛同してしまう『無知』な中二病と大差ありません。
小学生程度の知識であれば、ひろゆきレベルの話でも、『論破王』に見えてしまうのと同じです。
日本にはガブリエルが人類のあるべき未来を語っているように勘違いしている『無知』な人々も多いですが、THEYのこれまでの言動を検証すれば、ガブリエルが如何に単に流行でしか物事を論じていないタレント学者か分かるはずです。
ガブリエルは、気候変動問題、ESG投資、新型コロナなどが流行ると、流行りに合わせて、それぞれのテーマについて詳しく調べもせずに何でも哲学風に語り、AIが流行れば使い古された哲学的な概念で都合の良い部分だけを、AIに当てはめて解説しているだけです。
ガブリエルは、気候や環境やエネルルギー、感染症、投資や経済、情報通信やAIの専門家ではないので、それぞれの分野の専門家の観点からは、THEYの主張の大半は、技術的か論理的に的外れか、哲学的には陳腐な話ばかりです。
ガブリエルの『倫理的資本主義』も一見斬新な概念のように日本のマスメディアでは宣伝していますが、金融機関や企業の倫理問題やモラルハザードは、2008年のリーマンショック(これは和製英語で日本国外では、the financial crisis of 2007–2008か、単にthe financial crisisと言います)の時に、さんざん議論されていた話題を繰り返しているだけです。
では誰がガブリエルの陳腐な話を流行させているのでしょうか? ガブリエルの致命的な論理破綻は、倫理的資本主義を具現化して成功している企業の実例として、倫理問題だらけの、ファイザーとビオンテックとZoomの三社の社名を挙げてしまったことです。
AI無知倫理学会では、グレタ・トゥーンベリに『気候正義の不登校プリンセス』の称号を与え、『哲学界のロックスター』マルクス・ガブリエルとのドリームマッチを期待していましたが、『前科者の気候正義の不登校プリンセス』になってしまっては、このドリームマッチは実現しない可能性が高いでしょう。
ガブリエルのマルチリンガル能力について
ガブリエルが母国語のドイツ語のほかに、英語やスペイン語を話せることに驚く人もいますが、ドイツでは欧州諸国言語が複数話せる人など珍しくもありません。筆者の友人のドイツ人は、全員五か国語以上話せます。部下も全員が、日本語、英語、ポルトガル語、スペイン語、中国語、マレー語、アラビア語などのマルチリンガルです。
欧州言語が母国語の人が、日本語や中国語やアラビア語を習得するのは、困難ですが、複数の欧州言語を覚えることは、それほど困難ではありません。
例えば、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語は、ロマンス語派に属し、ラテン語から派生した言語なので、この三か国語を母国語とする人が、それぞれ自国語で話をしても、ほとんど意味が通じます。寧ろ、薩摩弁と津軽弁の会話の方が意思疎通は難しいでしょう。
ドイツ語、オランダ語、英語はゲルマン語派に属しているので、これらの言語を習得するのも、日本人が英語や中国語やアラビア語を学習するのとは比較にならないくらい簡単にです。
ちなみに、スペイン語を母国語とする国は21ヵ国あります。スペイン語を使う人口は、約5億~6億人いて、日本語を母国語とする人口の約五倍程度がスペイン語を話せます。スペイン語を公用語とする国は、メキシコ、コロンビア、アルゼンチン、スペイン、米国などの5か国が上位にランクインしていますが、ロサンゼルスやアメリカ西南部では、英語よりもスペイン語を話す人の方が多いくらいです。
そのスペイン語のトークショーですら、以下のように視聴者は500人もいないので、ここでリンクを張ってしまうと、視聴者の累積数が一桁あがって1,000人台になっても不思議でないレベルです。
スペイン語を母国語にしている人口は、日本の5倍程度なので、これが日本のキャプション付き番組なら累積視聴者数は100人以下で、いいね!の数は2程度のものです。
まともに哲学や倫理を学んだ人が、ガブリエルの話を聞いたり読んだりすると、どのような反応になるかを以下に紹介します。
知識人が期待するのは、やはり『気候正義の不登校プリンセス(グレタ・トゥーンベリ) vs. 哲学界のロックスター(マルクス・ガブリエル)』の『無知対決』です。両者とも物事の本質を理解せずに、適当なことを言っているだけなので、エンターテイメントとしては、最高のタッグマッチです。重要なことは何かを学ぼうとして、THEYの話を聞かないことです。ひろゆきと松尾豊がAIのトークショーをしているのと同じくらい的外れなエンターテイメントでしかありません。