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バーボンと煙草と未来のサイボーグ猫:(ショートショート編のAI倫理問題に関する考察)

『バーボンと煙草と未来のサイボーグ猫』シリーズは、一見単なるおバカな素人連載小説に見えますが、このシリーズはAI無知倫理学のエッセンスが詰まった連載小説です。
 
 このシリーズでは、未来のサイボーグ猫(AI)が、主人公に対してどのように影響を与えるかを描くことで、AI倫理問題について考えるテーマを提供しています。今回のショートショート編では、以下のようなAI倫理問題の視点が得られるように執筆してあります。
 
(1)  著作権問題の回避
 碧い未来のサイボーグ猫は、生成AI画像にしたり、『未来の世界の猫型ロボット』と書いてしまったり、猫型ではなくネズミ型ロボットで名前がミッキーだったり、猫パンチを打つロークという設定だと、知的財産権問題ギリギリですが、『碧い未来のサイボーグ猫』なら許容範囲だと、筆者は判断しています。

 猫パ~~ンチ!(ビデオ)

  芥川龍之介の著作権も既に切れているので、比較的安心して使えるパロディーネタです。ここで注意しなければならないことは、『サイバーパンク桃太郎』のように、著作権切れの作品をパロディー化して作った作品でも、同じようなことを誰かが先に公開していると、著作権問題が発生する可能性が高いことです。

  AIの著作権問題は、AIの能力と使用の増加に伴い、増々重要になっています。特にAIが作成する文学、音楽、画像などの著作物については、著作権法の枠組みの中でどのように取り扱うべきかという問いがあります。
 
 AIが生成する著作物については、伝統的な著作権法の枠組みでは厳密には著作権が発生しないという考え方が一般的です。なぜなら、著作権は人間の創造的な労働に対する保護を提供するものであり、AIはその創造的な意思決定能力を持たないからです。
 
 しかし、これは新しい問題となり、法律家や政策立案者はAIが創造した作品の著作権保護について、今後どのように対応すべきかを検討しています。著作権法がAIの作品を保護しない場合、それらの作品を使用する際の権利はどのように取り扱われるべきか、またAIが人間の著作物を元に新しい作品を生成する場合、元の著作権者の権利はどのように保護されるべきかといった問題があります。
 
 また、AIを使用して生成された作品が誤解を招く可能性もあります。例えば、AIが人間の著作物を元に新しい作品を生成した場合、その作品が元の著作者の意図やスタイルを反映していない可能性があります。これは元の著作者の名誉や評価に影響を及ぼす可能性があります。
 
 このような観点から、AIの使用には倫理的な配慮が必要です。特に、AIを使用して生成された作品の著作権や元の著作者の権利については、適切に理解し、尊重することが必要です。
 
(2)  AIはツールである
 物語の中で、主人公はショートショート自動作成器(AI)を使用して自分の作品を作り出します。これはAIがあくまでツールであり、それ自体が創造的な作品を生み出す主体ではないことを示しています。主人公がAIから得られたアウトプットを自身の創造力に結びつけていることが分かります。
 
(3)  AIは人間に新たな視点を提供する
 物語では、AIが提供するショートショートのモデルが主人公の創造力を触発しています。AIは既存のパターンや方法を超えて、人間に新たな視点や考え方を提供することができます。
 
(4)  AIと人間のコラボレーション
 この物語はAIと人間が協力して何かを生み出す可能性を示しています。主人公はAIから出力されたアイデアを基に自分自身のショートショートを作り出しています。
 
(5) AIの限界
 ショートショート自動作成器が生成する物語には限りがあり、それが主人公にとって一つの強みとなっています。この点はAIの能力には限界があるという事実を示しています。現時点での生成AIでは、AIは学習データからパターンを学び取り、それを元に新たな出力を生成しますが、これは人間の創造性の模倣であり、AIが自発的に新しいアイデアを生み出すわけではありません。
 
 多くのユーザが、『AIが理解』あるいは『AIが創出した』と思っていることは、実際には『AIが情報を理解』しているのではなく、特定のパターンや構造を『学習』したものを、出力しているだけです。
 
 AIが一見独創的なアイデアを創出しているように見えるかもしれませんが、それはAIが学習したパターンに基づいているだけで、AIが自発的に、完全に新しいアイデアを生み出すということはありません。また、AIが生成した内容が人間にとって理解し難い場合、それは学習データやアルゴリズムの複雑さによるものであることが多いです。
 
 哲学的な観点からは、『理解』が何かを定義すること自体が困難であり、古代ギリシャ哲学時代から現代哲学に至るまで、『理解とは何か?』や、『知性や認識とは何か?』に対する明確な回答は得られていません。

(5)  AIの使用には倫理が必要
 主人公が自分の作品を作るためにAIを使用するという点は、AIの使用には倫理的な配慮が必要であることを示唆しています。AIの出力がどの程度まで原作者の作品として扱うことができるのか、そのような作品が他人に誤解を与える可能性があるのかなど、多くの問いが生じます。
 
 これらの要素はAI倫理の観点から重要です。AIはあくまで人間のツールであり、それを適切に使用するためには倫理的な配慮が必要であることを理解する必要があります。また、AIは創造的な作品を生み出す可能性を持っている一方で、その出力は人間の創造性によって更なる価値を得ることができます。つまり、AIが生成する内容には限界があり、完全な創造性や革新的な発想は人間の領域であるという考え方を物語は示しています。
 
 また、物語はAI(サイボーグ猫ミッキー)と人間との関係性についても示唆しています。ミッキーは主人公の作品作りを助ける存在として描かれていますが、彼自身が自己意識を持ち、感情を表現するかどうかは明示されていません。これは、AIがどの程度まで人間に近い存在として扱われるべきか、また、それが可能かどうかという問題と関係しています。
 
 AIに倫理的な配慮をすることは、AIの出力が原作者の作品としてどの程度まで扱えるのか、そのような作品が他人に誤解を与える可能性があるかどうかなど、様々な視点から重要となります。この物語からは、AIを正確に理解し、適切に扱うことがAI倫理の重要な一部であることが理解できます。

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