草むしりと五蘊盛苦(ごうんじょうく)
実家でアーシング生活4日目。
今日は玄関先の草むしりをすることになっていた。
昨晩父親に「明日オレがやっておくよ」と言ってしまった手前、後には引けない。
家の前には芝生が生えたゾーンがあるのだが、その芝のすきまから、細長い草がヒョロヒョロとたくさん伸びていて、通るたび足元にまとわりつくのだ。
あまり見映えもよくなかった。
30℃近くまで気温があがるという予報にビビり、午前中からはじめることにした。
幸いそのヒョロ長い草は、軍手をした手で根元をつかむと、わりとカンタンに引っこ抜くことができた。
きれいに根っこからとれたときの感触はなかなか気持ちいい。
順調に端から庭は片付いていった。
昼を回るとやはり暑くなってきたので、ちょくちょく休みながら作業を進める。
おやつを食べて「よし、もう少しやるか」と庭に出た頃だろうか、違和感に気づいた。
草をつかむ手に力がうまく入らない。
普段することのない作業の繰り返しで、手先、指先に疲労がたまり、握力が落ちていた。
そして厄介なことに、長めの草は最初のほうに抜き終えていたので、比較的短い雑草だけがあとに残っていた。
つかめないことはないが、同じ要領でやってもうまく力が伝わらず根っこが残ってしまう。
まさかこんなことになるとは。
それにおおかた抜いたと思っていた場所でも、草は無数と生えていて、あとからもう一度見ると抜き残しが気になってくる。
暑さと、慣れない作業の疲労感が追い打ちをかけてきた、そのときだった。
「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」という言葉が頭をよぎる。
ああ、きっとこの草草は人生における苦悩と一緒だ、と。
「五蘊盛苦」は四苦八苦の最後に説かれる総括的な教えです。
五蘊とは5つの集まりで、人間は肉体である色と精神である受・想・行・識とが和合して構成されています。
まさに煩悩具足の私たちの在り方そのものを示しています。
家の中で寝ている時などには、トラブルに巻き込まれたり苦しみにさいなまれたりすることは少ないのですが、外で活発に活動すると、様々な軋轢を生じて苦しみに遭遇することが増してしまいます。
だからといって、何もしないでじっとしている訳にはいきません。
より良いことを求めて努力しなければならないと考えて、頑張らざるを得ないのです。
http://www.senjuji.or.jp/hitokuchi/103_110.php より引用
何度抜いても際限なく生えてくる目の前の雑草と、生きていくかぎりなくなることはないあらゆる悩み。
その悩みを根っこから消すことは難しくとも、少しでも解消していこうとする姿勢が大切だ。
草むしりも同じで、根っこから抜くことにこだわりすぎることはない。
そして絶えない悩みであるならば、そのひとつひとつ、草の一本一本にに固執しても仕方ないのだ。
少し離れて庭全体、いわば人生を見渡して、草むしりの前より美しく、過ごしやすくなるように整えられたならば、それは大きな前進であるだろう。
悟りの境地に行き着き、草むしりを完了した。
自分できれいにした庭は何度も通りたくなるし、ずっと眺めていたくなる。
そんな人生って素敵ではないかと、現在だいぶ握力の弱くなった手でこの文字を打っている。