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中学剣道の思い出

先日会社の同僚から、週末に訳あって群馬の笠懸という町に行くことになった、ついては土地勘のない場所なので周辺の美味いランチ情報を教えてほしい、と相談がありましてね。おれ自身もそこまで笠懸に土地勘があるわけではないんですが、お隣の桐生市という街には何度か行ったことがあるので、桐生のおいしいお店を教えて差し上げたわけなんですけれども。

笠懸といえば、おれが剣道少年だった中学生の頃に、たいへんな剣道の強豪として知られていた学校があって、当然名前をよく知っている町だったものですから、思いがけず記憶の蓋が開いてしまいました。

わが中学校では毎年ゴールデンウィークの時期になると、連休のうち2泊とか3泊とか使って、片品村の武尊、「ほたか」と読みますけれども、尾瀬や日光白根山に接するような山村で、スキーや登山なんかする人はよく知っていると思いますが、その武尊にある小学校の体育館を貸し切って合宿していたんです。

3年間毎年行われたこの合宿の中で最も強烈に記憶に残っているのが中学1年生のころのこと。中学1年生は厳しい練習メニューについていけませんから、むしろ邪魔になるだけなんで初日は外で声出しの練習をさせられるんです。腹から声が出るようになって初めて練習に参加させてもらえるってことで、体育館の外でまだ雪の残る広いグラウンドを、「ファイト、ファイト」と掛け声を出しながら日が暮れるまで走り続けるというものでした。

ファイトファイトって、あの昔のアニメとかで、ブルマの女子高生がキャッキャやってるような感じのやつあるじゃないですか。「ファイッ♡オッ♡ファイッ♡オッ♡」みたいな。最初あんな感じでいいのかな、と思ってやってたんですが、すごく怖いおじさんの先生がやってきて「お前らナメてんのか!?」と怒鳴られたんです。もっと腹から、声帯がちぎれるくらい声出して走らんかい!と言われました。

少し頑張ってファイトファイトとお腹から声を出して走るもののまだ足りないようで、もっと全力で!!と怒られたので、最終的には「ファオファオファオファオ!」と、リズム的にはそう、パトカーのサイレンくらいの感じで声を出して走ったのでした。

それでおじさんは、ヨシ!おじさん感動した!と言い、満足げにどこかへ去っていったんですが、あれっおじさん行っちゃうんだ?と思いつつ、走り終えて体育館に戻ってもおじさんの姿がなかったんです。結局おじさんとはそれっきり三年間会うことはなかったんですが、えっ怖!今思うと何だったのあのおじさん!?顧問の先生でも保護者でもないのは間違いなくて、だとすると誰だったんだよ!!近所のおじさんとかだったのかな?近所に住んでるだけの、全然関係者でもなんでもないおじさんにおれめちゃくちゃ怒鳴られながら走ってたの!?何!?


急に背筋が凍ってしまいましたが、話を元に戻します。


合宿での練習の厳しさはもとより、集団生活の中で社会性を身に着けていくというのがもう一つの合宿の主旨で、夜になると近くの民宿を借りてみんなで共同生活を送っていたんです。

我々の属していた剣道部は田舎の中学校でも割合大所帯な部活でして、30人とか40人とかが所属していたんですが、宿舎としていたのが村の小さな民宿でしたから、当然それだけの人数一人ひとりに個室をあてがうことができなかったんです。なので宴会場として使われるような一番大きい部屋を一部屋借りて、そこに布団を敷いて全員が雑魚寝をするスタイルで寝泊まりをしていたんです。


体育会系の部活では「3年神様、2年人間、1年奴隷」などとよく言われますが、神様と奴隷が同じ部屋で寝なくてはいけなかったんです。これがすごく嫌で、夜なんかみんなが寝静まった時間に、おしっこがしたくなって目が覚めちゃったときなんかもう最悪ですよね。トイレに行くためには寝ている3年生の先輩を跨いでいかなくてはならなかったんです。

ご就寝あそばれている神を跨いでいくってことですから、もし、万が一まさに跨いでゆこうとする瞬間に神が目を覚ましてしまったらこれはたいへんなことになりますから!そのまま宿舎の裏手に連れていかれ、「剣道精神注入棒」でおしりに風穴が開くまでしばき倒されたっておかしくないわけです。


剣道精神注入棒って、それってつまり竹刀じゃんとか思うじゃないですか。そんな生易しいものなわけがなくて、神が持ってる道具といえば、川を二つに割るための堅い杖。しかもそこに日本昔話の鬼が持ってる感じのチクチクの棒の、チクチクの部分がくっついているやつに決まってるじゃないですか。あのー中学入学早々4月に、おれは神こと3年生の先輩にうっかりタメ口をきいてしまったばかりに、体育館の裏に連れて行かれて剣道精神を注入していただきましたから?だからおれのおしりは今も二つに割れてて、あと穴が一個開いてるわけなんですがね。今度しばかれたら、おしりが四つに割れちゃう!ってなってますから。おしっこがしたくなって目を覚ましても、夜が明けるまで耐えなくてはならなかったんです。これが一番辛かった!!


そんなこんなで思いがけず辛かった合宿の記憶が蘇ってきたっていう話なんですけれども、この語り口だと練習よりも夜の方がインパクトが強かったことになっちゃうんですけれども、この話をnoteに書こうと思ったのは別の理由があるんです。


実はこの合宿、我が校以外にも隣町の中学校のみなさんも一緒に参加していたんです。その隣町の中学校の方にとても可愛がってもらったのが、辛かった記憶よりも強く残っています。


おれは小学2年生から剣道をやっていたものですから、両校で練習試合をする段では他の1年生たちとは別に、2年生とか3年生の輪に混ぜていただくことができたんです。その際、隣町の中学校の先生、アサミ先生という方だったんですが、1年生なのにすごいねえすごいねえとずいぶん可愛がっていただいたんです。


それで、休憩時間中に1年生はお茶とポカリスエットを皆さんに配る雑用をしなくてはならなかったんですが、褒められるとすぐ調子に乗るところは今も当時もたいして変わっていなくて、アサミ先生にもお茶とポカリをお持ちせねば!と思って、エントランスで隣町の学校のみなさんが集まっているところに持って行ったんです。


その時喋ったこともよく覚えていて、「お茶とポカリをお持ちしたんですが、ポカリは人気だからすぐなくなっちゃうので、僕はポカリを飲んだ方がいいと思います」なんつって、ウケを狙って別に言わなくてもいいことを言ったりなんかしましてね。すると、輪の中にいたうちの一人、おれよりも一つ年上の方なんですが、試合見てたよーとか、強いんだねーとか、すごくフランクに話しかけていただいたんです。

またその方がすごく優しくて、それから数日間、すれ違うとおしゃべりをしたり、同学年の人たちと繋いでくれたり、また合宿が終わった後も大会なんかで会うと仲良く話しかけてくださったりしたのです。

それまで一緒に剣道をする人っていうのは、同じ学校の部員くらいしかいなかったものですから、違う学校の生徒と剣道を通して交流するのは初めての経験で、とても新鮮だったといいますか、その方には、何か剣道という共通項から世界を拡げていただいた…というと大仰ですが、自分にとってすごく大切なきっかけを与えてもらったと思っています。


剣道には「交剣知愛」という言葉があってですね。中学時代のおれは、剣を交えて愛なんか知れるわけがねーだろ、と馬鹿にしていたんですが、この言葉の本当の意味を知ったのはそれからずいぶんあとになってからでした。

この場合の愛ってLOVEのことじゃなくて、「愛(おしむ)」と読むらしいのです。愛しむとは「愛惜」と同じく「大切にして手離さない」ということを意味していて、交剣知愛の「愛」の部分は、海外で剣道のエッセンスを伝達する際は、英語で"Regret"と訳されています。

つまり、剣を交えることで「あの人ともう一度稽古や試合をしてみたい」という気持ちになること、あるいはそうした気分になれるように稽古や試合をしなさい、という昔の偉い先生の教えだというんです。

この真意を知ってからは、剣道から離れた今でも好きな言葉のひとつとなっています。別にこれって剣道に限った話じゃなくて、趣味でも仕事でも、自分が何か真剣に打ち込んでいるものにも当てはまると思っていて、おれは日頃noteであることないこと書いてますけど、これをメモ書きとか単なる記録だと思ったことなんてなくて、ネットの海に投げ込む以上は、当然その先にいる読み手のことをいつだって意識している。おれがものを書くことの動機として、やっぱり「人と繋がりたい」みたいな気持ちが大きくて、このアカウントの文章を読んだ誰かの何らかの心に響くものがあって、何らかの反応があって、今度はおれがあなたの書いたものを見に行って、そうやって繋がりが生まれる状態を理想としてやっているんですけど、これもひとつの交剣知愛の形だと思うんですよ。交えているのが剣か言葉かの違いでしかないし、この繋がりを愛しむ心の根底には、かの先輩にすごくよくしてもらった記憶があるんだと思うんです。


ってここまで書いて、意外と剣道やってた頃に学んだことって、思った以上に自分の芯になってるな、とちょっと驚いているんですけれども。で、すっかり話が脱線しまくって、20年近く前の合宿の話を今更noteに書こうと思った理由について、まだ触れていませんでした。


おれ今度作品集出すじゃないですか。実は昨日くらいまでは告知をnoteでしかしてなくて。一冊でも多く人に届けるためには、ほんとはインスタとかツイッターとかあらゆるチャネルを使って告知すべきなんだろうなとは思うものの、全然気乗りしてなくて。なぜかというとこの作品集って、現実を生きているおれのエピソードトークを、さんしさんというnoteアカウント上での仮想人格が喋ってるものじゃないですか。さんしさんという人格をスピーカーにしてるからこそ語れることがあるっていうか、現実のおれと作品集の内容を結び付けられるのがちょっと恥ずかしいって気持ちもまあまああるんですよ。だから現実世界のおれの人格が運用してるSNSで告知するのとか全然やりたくないなと思ってて、本を出すよ~ってのもごくごく少数の仲良しにしか話してなかったし、それすらもまだちょっと気恥ずかしさがあるんですけれども。

ただ後になってから、何らかのきっかけで本件の情報を誰かがキャッチして、お前本とか作っちゃってんじゃんと言われる恥ずかしさと秤にかけたときに、やっぱ一度は事前にリリースしといたほうがまだダメージが少ないんじゃん?と思ってインスタのストーリーにアップしたんです。


そしたら先ほど話に出てきた、中学時代にすごくよくしてくださった隣町の先輩からメッセージをいただきまして。ずいぶん久しぶりにコンタクトが取れた喜びと、そのメッセージの文面があの頃と変わらず優しくて、なんか嬉しくなってまた記憶の蓋がパッカパカ開いたものですから、こうやってnoteに書いて残しておこうと思った次第です。

作品集きっかけでこんなことも起こるんですね。もっと早く告知をしておけば良かったな。そんな感じです。


お知らせ

2025年2月8日(土)に、やっとインスタで告知したでおなじみの、初の作品集となる「憧れの街」を刊行いたします。

上京してから現在に至るまでの、「おれにとっての東京」をテーマにした、全19本のエッセイ集です。1月25日中のご注文で送料含め500円でお届けします。これは別に言わなくてもいいことなんですけど、この送料の設定は手動で切り替えるシステムで、1月26日になった瞬間におれがちゃんと起きててシステムの切り替え操作ができる自信がないので、厳密には1月26日の朝におれが起きて、システムを切り替えるまでは送料無料ということになっています。ほらね別に言わなくてもいいでしょ。

以降は送料が別途かかります。7億円くらいかかります。やっぱ初の作品集大事にしたいんで、確実にお届けしたいんで、銃撃にも耐えられる現金輸送車でお送りしますから。クール便のオプションもつけて、飛脚を一人雇ってお送りしますから。飛脚が現金輸送車に乗ってクール便でお届けしますんでね。それなら別に飛脚じゃなくても良くない?

いや、これはマジの部分をちゃんと伝えた方がいいやつだ。ほんとは送料270円です。よろしくお願いいたします。

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さんし
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