愛だの恋だの言うおっさん

男の人をこよなく愛するおっさんです ・人を好きになることの可笑しさや面白さ ・老母との…

愛だの恋だの言うおっさん

男の人をこよなく愛するおっさんです ・人を好きになることの可笑しさや面白さ ・老母との二人暮らしのしんどさ愛おしさ ・メンタルを患ってからリカバーするまで、その後の安定をキープするための奮闘 など 今後も細く長く書き続けるため、ひとことでもコメントいただけると励みになります

最近の記事

おちゃべり

 琵琶湖畔のホテル、一階のカフェ。休日の午後賑わう中でも、ひと際異彩の盛り上がりを見せるテーブルが。若くは見えるが年齢不詳、地に足ついてない感じのふたり。 「なんかここのカフェって、珍しく女のお客さんほとんどおらへんことない?」 -明らかに中年男の域には達しているけれど、痴女丈のTommy Hilfiger短パンをスポーティーに着こなす関西弁男は、ばっちり脱毛済んでますという隙のなさ。North faceのアウトドア・デイバッグ、俗に言うホモランドセルが重そう。  「確

    • 代償としてのさみしさ

       さみしくてどうしようもない時がある。大好きな田中圭がテレビでいつものように輝いていても、オリックスの田嶋くんが無失点で勝ち星を挙げても、おすそ分けの生クリームどら焼きが存外おいしくてもやっぱりさみしい。度を越したさみしさに私は神経症的な不安で頭いっぱいになり、生きるのが苦しくなるほどの混乱に陥る。 さみしさはそう、いつも視界すれすれの外側にいて、気づけば影のように静かについてくる。    私には離人症の気がある。正確に診断を受けたわけではない。でもたぶんそうなのだと思

      • おかえりと言わせて

          今年に入った頃からだろうか、私が母に「ただいま」と声を掛けても、あまり返事をしなくなった。夕飯の準備に集中して聞こえていないのかと思って再度「ただいまっ!」と言ってみる。わかってるがな、というように「おかえり」と言う時もあれば、返事しているのか無視しているのかわからないあやふやな時もあった。思えばこの頃から母は体調を崩し始めていたのかもしれない。    春も終わりの頃、主治医より母の様子がおかしいと連絡が入り、急遽検査を受けることとなった。私も仕事を休んで付き添った。血液

        • タイムスリップおばけ

           台所の棚の奥から、未開封の玉ねぎドレッシングが出てきた。賞味期限から推察するに、去年の淡路島旅行で母が購入した、たくさんのお土産のひとつだ。買い主の母は入院中で不在のまま、家に帰ってこられる目途も立っていない。 母を囲んで子と孫の、家族総出で行った淡路島では、温泉に入って、うずしおクルーズ船に乗って、近所に配るたくさんのお土産を買って帰ってきた。そこからまだ一年も経たないのに、母が病院を転々としながらリハビリ生活を送るようになるとは思いもしなかった。こんなことならもっと色ん

          男がいないと趣味のひとつも持てやしない

            ファミレスに行ったとき、最後までメニューを決められない人ってどこにでもいる。大して好き嫌いやこだわりもないのに、延々とメニューを凝視して。そもそもファミレスのメニューに大ハズレなんてそうそうないし、もしも選んだものがイマイチだったとしても、「もひとつやな」とか言いながら食べてればいいのに。些細なことでも損したり後悔するのがイヤな、くだらないセコさが原因でいつも決断力に欠けている人、誰であろうそれは私のことである。    仕事で選択に迷う場面は多いけど、悪手を取っても自分の

          男がいないと趣味のひとつも持てやしない

          親の寿命と子の通信簿

            私の勤める薬局は、50年ほど前に造成された公営住宅内にあるため、90代以上の超高齢者の患者さんも少なくない。皆さん耳が遠かったり足がおぼつかなかったりするけれど、思考はクリアな方も多く、それだけで尊敬の眼差しを向けてしまう。  毎月目薬の処方箋を持って来てくれる91歳の女性。隣の市営住宅で独り暮らしのようだけれど、いつもシルバーカーを押して元気に来てくれる。私の母は現在76歳。母は15年後この女性と同じ歳になっても、同じように元気に居てくれることは難しいだろうなとつい比較

          親の寿命と子の通信簿

          芸術が教えてくれること

          半年ほど前からピアノを弾くようになった。取り立てて秀でたもののない平凡な人間なりに、芸術を楽しんでみたいと思ったのだ。 隣町の美術系高校の吊り広告に、こんなことが書いてあったのを思い出す。   「生きることは愛すること 芸術はそれを教えてくれる」   小学生の頃、ピアノを習い始めた姉が羨ましくなった私と妹は、続いてその門を叩いた。しかしながら結局、ふがいない私たち姉妹は、誰一人として弾けないまま現在に至っている。その間ピアノはリビングの隅で埃をかぶっていたわけではなく、私は大

          芸術が教えてくれること

          友達欲しさに、恋愛に手を染める

          友達が欲しくて欲しくて欲しくて仕方なかった。小さなころからずっと。 女きょうだいの中で育った私は、幼少期の大半を姉妹あるいは隣家の三姉弟に遊んでもらっていた。身内としか関りを持たずに育った私は、教室で仲間を作ることが苦手で、友達関係を上手く築けずにいた。小学生の頃は、できもしないのに野球の輪に入れてもらっては、デッドボールを避け切れずに泣いて帰ったりした。当時男子の間で流行っていた、ガンダムやキン肉マンに一切興味がなったから、共通の話題で盛り上がることもできなかった。暇を持て

          友達欲しさに、恋愛に手を染める

          紫原明子さんを知っていますか   「大人だって、泣いたらいいよ    紫原さんのお悩み相談室」

            八年前、三十代前半でまだまだ世慣れていなかった私は、誰にも言えないことで、ひとり悩み苦しんでいました。大好きで大切だった彼氏からスキンシップを避けられるようになり、ついにはセックスを拒まれるようになってしまったのです。  NHKの朝の番組で特集が組まれる現在ほど、当時セックスレスは一般的にオープンな話題ではなかったですし、相手のあることなので、彼氏を知る友人には相談できずにいました。それでも恥を忍んで昔からの友人に相談しても、下手だからなのかな?どうしたら上手になる?色

          紫原明子さんを知っていますか   「大人だって、泣いたらいいよ    紫原さんのお悩み相談室」

          もしもあの日に戻れたら

            おなかが痛くてトイレに駆け込む。子供のころから腸が過敏で、ちょっとした心配事やストレスですぐにおなかを下す。おなかが痛いときは何かしらピンチに陥っている時なのだからか、普段は「結局神様なんかいねえよな」とか言っているくせに、トイレでだけは腹痛に身をよじりながら神様に祈ってしまう。  「おなか痛いよう、このところ辛い日が続くよう、神様しんどい、助けて……」  トイレの神様は毎日きれいにしてたらべっぴんさんにしてくれるって歌ってたけれど、他人の悪意や乗り越えられそうもない仕事

          もしもあの日に戻れたら

          ちょっと体重が増えただけ

            子供のころからやせている人に憧れていた。私自身は決して肥満児というほど太ってはいなかったが、ぽちゃぽちゃした自分のおなかが好きではなく、プールの授業ではひょろっとした手脚の子やまっ平らなおへそ回りの同級生を密かに羨ましく思っていた。  自分がぽちゃっとしているから、というわけでもないのだが、理想とする男のタイプも「ちゃんと食べてる?」って心配したくなるような、やせっちょで臀部にも肉がついてなさそうなにいちゃんおっちゃんばかりだった。    私自身は身体を動かすことは好きだ

          ちょっと体重が増えただけ

          踊り場に暮らす

            喉が渇いたら水を飲むように、尿意を催したらトイレに行くように、朝になったら目を覚ます。近くで小鳥が鳴いている。もう目覚まし時計をかけなくなってどのくらいになるだろう。機械音で睡眠の中から引きずり出されることに耐えられなくなって目覚ましを一切なくしたら、自然と朝の光で目が覚めるようになった。万が一寝坊してもまあそれはそれでいいや、と腹をくくってしまうと意外なほど寝過ごさない。  とはいえじゃあそこから機嫌よく朝の支度に移れるかと言えば全然そんなことはなく、鬱フェーズに入って

          うつ病って言えなかった

            ご多分に漏れず、時々生きることが辛くなることがある者の一人だ。いや時々ではない、結構な期間、周期的にダメな時期が来る。私は双極性障害があるらしく、いわゆる躁うつ病の一種ということなのだ。~らしく、~ということなのだ、などと回りくどい表現をついしてしまうのは、長きにわたってこの病気にかかづらわっているのに、未だに自分のものとして捉えられていないせいなのだろう。    十何年以上もかけた治療と投薬のおかげで、それなりの社会生活は何とか送れている。朝起きて夜きちんと眠ること、日

          うつ病って言えなかった

          がまんした涙 ため池 そっと放してやりたいけれど

           親水公園で泣いてた子、さっきまでの賑やかさが嘘みたいにすやすや寝てる。僕もよく泣くすぐ泣く子どもだったけど、子供が人前で泣かなくなるのって何歳からなんだろう。大きくになるにつれて、感情に任せて涙を見せずに生きていけるようになるけど、これっていつからなのかな。  そう言えば僕も泣き虫だったけど、いつの間にか全然泣かなくなってた。僕らの子供の頃は「男が泣くのは親が死んだときくらい」とか言われていた時代だったから、そういう雰囲気も影響してたのかも。泣かないということは弱小な自分

          がまんした涙 ため池 そっと放してやりたいけれど

          面白れぇヲカマ、って言われたかった

           私は見た目もぼんやりしているし、これまで運動神経も良かった試しがない。関西人ノリでボケられても、瞬発力がない上そもそもそれがボケなのかどうかの判断もつかない私には、上手いツッコみで返すことなど至難の業だった。  そんな際立った特長もない私が全市共通小学生読解力テストを受けたとき、校内で唯一の満点を取った。元々勉強は得意だったけれど、皆の中でナンバーワンと賞賛されるのは初めてのことで本当に嬉しかった。だからというわけでもないが、人づきあいが苦手で独りでいる時間が多い私は、小さ

          面白れぇヲカマ、って言われたかった

          手をつないで

           その日私は、彼氏と明石で玉子焼き(明石焼き)の有名なお店に来ていた。左利きの彼がオーダー用紙に記入するのを見て、ふと昔のことを思い出した。  江國香織の小説にいた、彼氏と手をつないだまま食事ができるよう、左手でごはんを食べる練習をする女の子。江國香織らしい何とも独特で浮世離れした世界観に笑ってしまったけれど、現実世界の私にとっては恋人と手をつなぐということはもっと現実離れしたできごとだった。  あの頃若いゲイは、いや若くないゲイだってみんな二丁目や堂山や木屋町のゲイバー