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《感想》海のはじまり①

【海のはじまり】

▶連続ドラマ



人生は正解も不正解もなくて自分だけの道を探して見つけて歩くしかないのだと思った。


妊娠してしまうこと自体は
男側が無理やりとか、女側が意図してとか、そういう場合を除いてはどちらも悪くない。
だけど、それと同じだけどちらにも責任がある。
どの避妊方法を用いたとしても必ず妊娠する可能性があるということだけは忘れてはいけないし、その先の責任を考えなければいけない。

私は女だから、もしもの時に「男は逃げることができる」という考え(被害者的意識)に同意しつつも、妊娠して出産することを女だけが可能である以上は「女が主導権を握ることができる」という考えも持っている。
妊娠・出産問題にあたっては女が可哀想という考えが強いし、実際に性犯罪で女が可哀想な立場になることが多くあるからそれも正しいけれど、全男が悪いわけでも、全女が可哀想なわけでも、逆に全女が悪いわけでも、全男が可哀想なわけでもないことをずっと意識として持っている。
「堕ろしたはず」の子どもがある程度大きくなって突然現れた「真面目な男」の夏と、「表向き堕ろした」子どもを産み育てる「女だけができる行動をした」水季、そして母数としては多いだろう自分と相手の同意の上の決断だけれど「身体と心に傷を負った」弥生の三者がいることが、他の「妊娠してしまった」ことから始まる作品とは少し違う視野のもつドラマだなと思ったし、私がずっと考えてきたことに近いことを含むドラマだなと思った。

若い人たち、ましてや高校生や大学生のように学生という身分を持つ者の妊娠は当事者同士の問題で済むことではないからどうしても悪いことのように捉えられがちだけど本当にそうだろうかということを、学生でありながら産むと決めた水季と社会人であっても堕ろすことになった弥生の対比によって改めて考えさせられたし夏と弥生の元カレ(稲葉友)によって学生同士の付き合いだから命に真面目に向き合えないとか社会人同士の付き合いだから真面目に向き合えるとかではないことをはっきりと示していたと思う。

途中まであれだけ真面目に見える夏がずっと偽善者にしか見えなくてどうしても好きになれなかったのだがその理由は、海(泉谷星奈)のことを打ち明けた時に夏の母(西田尚美)が夏に対して言った言葉が全てだと思った。
夏は真面目だし、海のことを受け止めようと真剣に向き合い頑張っている。そのこと自体は否定しようのないとても素晴らしくて良いことだけど、結局海の命が宿った時から海を家族に打ち明けるまでずっと隠せたらラッキー、安堵くらいの気持ちがあったのだろうしそうやって生きてきた。でも、女側はそんなことできないから。産むなら隠し通すのはほぼ不可能だし、親に隠して堕ろすことはできても事実として身体にも心にも傷がつく。
男女の違いだから認識の違いが出ることは仕方ないと思う一方で夏のその軽さがどうしても引っかかっていた自分は知らぬ間に水季の側に立って見ていたのだとそこで気付いた。

けれど、水季の責任も大きいことが話を重ねる毎に浮き彫りになってくる。
妊娠したことは夏にも責任がある。
しかし、妊娠を告げられたとき夏は逃げなかったしある意味で水季の言い分を尊重して堕ろすことに同意し同意書にサインをした。
男性である以上水季の身体や心の傷と同じ傷は負えないにしても、この時点で、夏の責任はしっかり果たしている。
産むという選択をして命を育てた水季は人としては素晴らしいが、夏に内緒で産み育てたのであればどんな理由があれど最後まで内緒にし続けるという選択があったのではないかと考えさせられた。
この思いは最終回が終わっても私の中で変わることなく、水季が堕ろすと夏に断言して夏に意見を言わさず、そして産むことを隠す決意をした時点で死んだからと言って夏に明かすのは違うと思う。
海のためを思うなら水季がまだ生きていた頃に、水季と海と夏の3人で会うべきだったと思う。
そういう選択肢があるのにも関わらず水季のしたことは海のためという名の自分のためにしか思えなかった。
実際、みんなに幸せになって欲しいと言いながらたくさんの人の幸せを奪った決断をしたのは水季なのに、その水季や水季の母・朱音(大竹しのぶ)が海が産まれた時に夏はいなかったと夏を責める思いがそこかしこにあるのが私には許せなかったのかな。

弥生と夏の家族以外の人物の優しさは私には偽善に思えてしまった。
みんな「海のために」「海の自由意志の元に」というけれど、いくらしっかり者とはいえ小さな海に様々な選択を委ねて選択させるというのは本当の意味で優しくなくて、大人の責任逃れのように思えたから。
夏の小さな頃の経験から勝手に決められたくないという気持ちはわかるのだけど、全て自分の選択でこうなったという責任を将来の海に擦り付ける結果にならないか?
いつか海が自分の人生に迷ったとき、後悔がうまれたとき、「夏のせいで」「おばあちゃんのせいで」という甘えや現実逃避をする可能性をなくしてはいないか?
と思ってしまってどうしても大人たちのずるさのように見えてしまった。
自由を与える教育方針も海の選択に任せる見守り方も良い事だけどまだ小学生になったばかりの海に対する自由にしては重すぎて私の思う自由とは違ったからむしろ残酷に見えた。
夏と津野と南雲家の対立だって海を盾にしただけでそれぞれの水季への思いや悔しさや悲しみをぶつけているだけにしか見えないことが多いし、そこに海に対する純粋な愛はどれだけ含まれているのだろうか?
弥生だけは弥生の意志で未来を選択し、弥生のせいと言われても仕方ないという責任が海との関わりで見えた。その先に弥生と友だちになるのも会うのも海に任せることこそが私の思う海に対する自由。

誰が正しいとか間違っているとかはなくて、とにかくどの人の人生も選択も正解なのだけど、合う合わないは確実にあって。
根本的に家族を信頼できず生きていた弥生と家族に反抗しながらも家族を信頼して生きてきた水季の考え方は違うし、強く生きていくという概念も違うのだと思う。
私はたまたま弥生寄りの考えだったからこそ、水季のやっていることが強そうに見えて結局周りの助けありき、周りに甘え利用することありきの行動に見えて水季が勝手な人間に思えたのだと思う。

つまるところ、このドラマを見て様々な捉え方があって賛否両論があることがこの脚本の正解であるのだと思う。

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