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《感想》ラーゲリより愛を込めて

【ラーゲリより愛を込めて】

▶映画



こんなの映画館で観れないよ、というほど号泣した。


戦争をしても何も良いことはないなんて分かりきっていることだけど改めてどんな理由があれ戦争をしてはいけないと思った。

日本は敗戦国だからどうしても「やられた」側の悲しい部分ばかりが残されている。もちろんそれも事実だけど「やった」側であることも忘れてはいけないし本当は伝えていかないといけないことだと思わされた。
戦争をするということは仕掛けた側、仕掛けられた側に関わらず絶対にやられた側にもやった側にもなる。喧嘩両成敗ではないけれど絶対に罪を犯すし犯されるそういうものなのだと。


戦争で亡くなった人がいるから今がある、というのは正しくないのかもしれない。実際そう言ったことで炎上していた案件もあった。
ただ、戦争があったことも戦争で亡くなった人がいることもこの先永遠に変わることのない事実ではある。当時を生きた人たち、当時死んでいった人たちは、想像を超える恐怖の中日々を過ごしたのだろうから正しくなくとも戦争で死ぬことに意味を見出していたのではないだろうかとも思う。だから生き残った人たちが生き残ったことに苦しむことになったのだろうし。
人はどんな環境、境遇の中でも正しくとも正しくなくとも何かしら意味を持たそうとする。それは脳のある賢い人間だからこその恐怖心の回避方法で、自然なことなのだろう。

戦争の真っ只中が悲惨だったことは想像しやすいけど終戦してすぐに元通りになんてならないことは当たり前なのに終戦が悲惨な日々の終わりのように取りあげられることが多い。
戦後、日本だけではなく全ての国で色んな混乱が起こった。どうしても焦点が当たりにくいけどそんな現実に翻弄された人々がいることを忘れてはいけない。
酷すぎること、惨すぎることは当時の人々が消し去りたいことでもあっただろうからすでに消えた事実もたくさんあるだろう。物語にもならないような現実があっただろう。
だからこそこの作品は原作とともに後世に残していくべきだ。

それから、知識や経験は何にも変え難いものだし誰にも奪われないものだとよく言われるし言うけど、その本当の意味を教えてもらった気がする。身ぐるみすべて剥がされても私が消え失せない限りは絶対に誰にも何にも取り上げられたりしないもの。私が存在する限り有形としての物が何もなくても誰かに何かを与えることだって可能なのだと教えられた。

命は燃え尽きてしまったけど、みんなの記憶の中に生き続けて最愛の家族の元へ届けられた山本幡男(二宮和也)の遺志は家族はもちろん届けた仲間たちのその先の生きる糧になっただろうな。




二宮和也、松坂桃李、桐谷健太、安田顕そして北川景子が素晴らしい演技をするのはもちろん知り尽くしたところだが、中島健人が私の知っているケンティーとは程遠くてびっくり!
元々「Soranji」が好きでよく聞いていたけど、この映画を見てから曲を聞くだけで泣きそうになるので気軽に聞けないよ…。


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