《感想》終りに見た街
【終りに見た街 2024】
▶︎特別ドラマ
有名な物語と知らなかったので
今回の令和版がはじめての視聴。
脚本・宮藤官九郎に
大泉洋と吉田羊がタッグを組むなんて
面白いに決まっているという軽い気持ちだけで見た。
序盤からリズムが良いしタイムリープするあるあるな物語だな、くらいの軽い気持ちで見ていたので衝撃を受けた。
宮藤官九郎が手を入れているので、これまでの原作者が書いているもののニュアンスからは少し違っているところもあるのかもしれないが、それでもこの時代とこれからの時代に戦争は他人事ではないことを、終わった過去の話ではないことを伝える強い強い思いが伝わってきた。
宮藤官九郎が得意とする、面白くて軽い物語の中にとてつもなく真面目で重い「考えろよ」と投げかけてくる構成がさらに刺さった要因かもしれない。
終戦80年を目前に、私が小さい頃にはまだまだ存命だった戦時中を知っている人がどんどん減っている。戦時中まだ小さくて記憶がほとんどない人や、戦争経験者から当時の話を直接聞いたことがある人だけが戦争の悲惨さを伝える唯一の頼りである。
日本にとって戦争はもう過去の話になっている。
だけど、世界には戦争はこの瞬間存在しているものである。
そして、そう思いたくないけれど、世界にはまだこれからも存在してしまうものである。
それは日本も例外ではない。
憲法がどうだ、とかそういうことは一旦置いておくとして(本当に戦争が始まる時憲法だけでは戦えないから)今ある平和を守り続けるためには、過去の教訓だけではなくて、今もしも戦争が起こってしまったらどうなるかという想像力も必要なのではないだろうか。
私たちは知っている。
過去の戦争は負けたことを。
過去の戦争の悲惨さを。
過去の戦争が奪った命を、日常を。
過去の戦争が正しいことなど何一つなかったことを。
でも、それを知っていても、もしもこの作品の世界のように戦時中に放り込まれたら、太一(大泉洋)やひかり(吉田羊)や敏夫(堤真一)のように事実だけを伝えてひとつでも多くの命を守ることを優先させるだろうか。
それとも、信子(當真あみ)や稔(今泉雄土哉)そして新也(奥智哉)のようにその瞬間にとって大切なことを優先させるだろうか。
これどちらもありえる選択なんだろうなと思った。
なにより、子どもたちが戦争を肯定しているような言動をしているのを否定しているのは平和ボケしている人間なのであって、本当に人間が戦時中に放り込まれた時、自身の心を守って生きていくためには戦争をしていること自体を正当化させることしかないのかもしれないと思いさえした。
もちろん、子どもたちが若さゆえの純粋さで戦争を肯定する教育に染まりやすいということもあるけれど。
戦争が何も生み出さないことを知っていても、もしも戦争が起こったら「私は関係ないので何も協力しません」では済まない。
生きるか死ぬかがかかったとき、人間は理屈ではなくてただ生きることのできる道を本能で探す。たとえ死にたいと願っている者さえも。
だとしたら、戦争がダメだと分かっていて、天皇が神ではないと分かっている現代の私たちでもやっぱり同じことを繰り返す可能性はあるのだ。
「戦争は悪いこと」
そう刷り込むことは大事だけれどそれだけではなくて
「戦争は絶対に起こしてはいけないこと」
それを揺るがない土台としておかなければいけない。