《感想》幸運なひと
【幸運なひと】
▶︎特集ドラマ
このドラマの脚本家・吉澤智子さんの実体験をもとに作られたドラマ。
がんと子どもと仕事
という人生において大きくて重い出来事に
同時にかつ限られた、それもかなり短い時間で向き合わなければいけない夫婦が題材。
ドラマ自体は1時間半でとても短いはずなのに1時間半とは思えないほどの重みある作品だった。
人生は有限ということはみんなが知っているし、死は病気になったからとか余命宣告されたからとか関係なく、いつやってくるかわからない。
それなのに、日常の中ではどうしても忘れがちになってしまって自分にとって人生を左右するような重要な決断であればあるほど後回しにしてしまう。
がんがこの夫婦に訪れるまでは確実に拓也(生田斗真)も咲良(多部未華子)も向き合うことから何かしらの理由を作って逃げ続けていたんだろう。
がんが人を前向きにした、とか
現実を教えてくれた、とか
よく聞くキラキラした話は
色んなことがあった後の結果論であって
そんな綺麗な話では済まされない。
ただ、時間が有限であることから目を背けられない状況になったからふたりは現実と向き合わざるを得なくなっただけ。
ふたりで幸せに生きようね、みたいな綺麗事ではなく、拓也と咲良が迫ってくる時間に焦らされた感が描かれていたのは吉澤さんの実体験があるからだろうな、と思う。
最後の拓也の命の授業の言葉も
明るさとか綺麗事が並べられているだけではなかったからこそ心に残っている。
死が題材になっている作品は
感動するかどうかが大事だと思うし
それは商売でありエンタメである以上当然必要になってくる。
生死がかかっているリアルな世界はそんなに綺麗なわけがないし、感動も奇跡もたくさん転がってもいないからリアルを描きすぎると重すぎる。
だから作品として見るには、リアリティがなくても良いかもしれない。
それでも、あの命の授業で
「エゴが生きること」
という話が出たのはリアルに近い気がする。
このドラマで言うと、がんで延命治療をすることも、子どもを持つことも、仕事をがんばることも全部所詮はエゴだと言われればそれまでなんだと思う。
生きるためにやらざるを得ないこともあるけれど、それでもそもそも生きることさえエゴだと言われるとエゴなのかもしれない。
誰かのためとか何かのためとか色々理由をつけて動くけど、どんな理由をつけてもそれはただの責任転嫁のような理由付けでしかなくて結局はエゴなのかもしれない。
エゴって悪い言葉のように使われたり捉えられたりするけれど、拓也が命の授業で使ったエゴは良い意味だったんだと思うし、それって素敵じゃないかと思えた。
自分のエゴで、自分のわがままで人生の選択をする。その代わり、その責任は最後まで自分でとる。
エゴで生きて、エゴをぶつけ合える相手と生きる、これが幸運なひとなのかも。
幸せや幸運に正解はないから死ぬまで自分の幸せは探し続けるのだろうけど、自分にとっての幸せの候補がひとつ増えたような世界が広がったような気持ちにさせてくれる作品だった。