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金色の魚
朝、いつものように玄関の水槽で暮らす金魚にエサをやってから、家を出た。この日は、小学校4年生の道徳の授業を参観した。
教材は「金色の魚」。
無欲な漁師のおじいさんが、漁に出て金色の魚を捕まえた。
魚は突然、「何でも願いをかなえてあげるから、助けて」と話しはじめた。
「なにもいらない」と言って金色の魚を逃がした話を、粗末な家に帰っておばあさんに伝えたら、「ちょうど桶が壊れていたところだから直してもらってよ」と言われた。おじいさんは、逃がした魚に伝えに行き、家に戻ったら桶が直っていた。
そこからおばあさんのお願いごとはどんどんエスカレートしていく。おじいさんは、おばあさんの言いなりで、ガキの使いのように、何度も金色の魚にお願いを伝えに行く。綺麗な家、お金持ち、果ては「女王様になりたい」と。
そして最後に「海の王様になりたい」というお願いをしたら、結局、元の木阿弥。おばあさんは壊れた桶を抱えて、粗末な家の前にぼんやり座っていた。
あらすじはこんな感じ。
子どもたちが、この教材を通じて学ぶべき道徳的価値は「節度・節制」。自分たちの日常生活でもやりすぎはよくないね、という意識を持てたら、道徳の授業として一応成功と言える。
授業中の子どもたちの様子を見て気になったのは、子どもたちが物語の理解から紡がれるはずの道徳的価値に十分にたどり着けていないのではないかという点だった。
日文教の道徳教科書『生きる力』には、物語の次のページに、金色の魚の気持ちを考える学習活動が示されている。
しかし、参観した授業では、おじいさんとおばあさんの「よくなかったこと」を発表させ、続いて「おじいさんとおばあさんが考えていること」を考え、最後に「2人が後悔しないためには、どんな考え方が大切か」「節度を持ったらどんないいことがあるか」を考えさせた。授業後半、子どもたちの反応は少なくなり、集中力も切れてしまっているようにも見受けられた。
家に帰ってから「金色の魚」という物語の原作を調べてみた。
いくつかバージョンがあるようだが、教科書に示された物語は、細かい設定や演出がかなり端折られてしまっていることが分かった。
例えば原作では、最初のおじいさんとの出会いの段階で、金色の魚は「海の女王」と見なされている。原作の最後、おばあさんが「海の女王になって、金色の魚を召使いにしてやりたい」という「闇落ち」のような台詞があり、「そりゃ、金色の魚が海の女王なら怒っちゃうよねー」ということが察せられるの。しかし、教科書の物語では省略されているので、金色の魚の気持ちを察することは難しくなっている。
また原作では、おじいさんが願い事を伝えるために海に向かう度に、海の様子が荒々しくなっていく。この海の変化が、金色の魚の感情の現れだと解釈できれば、金色の魚がだんだんとエスカレートするおばあさんの願い事や、おばあさんの言いなりになってしまっているおじいさんに対する苛立ちや憤りを想像することができるかもしれない。
おばあさんの強欲さ、底意地の悪さ、おじいさんの頼りなさを示す原作の表現も失われており、「ほどほどが大事だよね」という理解に至りにくいのは、作品の「あらすじ化」が原因ではないかと思われた。
参観した授業において、教科書の物語を最初に聞いた時の私の個人的な感想は、「おばあさんは節度ないし、おじいさんもどうかと思うけど、金色の魚も、節度なく願いごとを叶えてるよなぁ。1つだけとか、3回だけとか、条件を付けていないのに、最後に自分が困るような願いごとが出てきたら、突然初期設定に戻してしまうなんて、人(魚?)が悪い。もうちょっと人間の際限ない欲望のこともちゃんと考えた上で、願いごとを叶えてあげるべきじゃないのかなぁ」というものだった。
さらに、「小さな女の子がプリンセスになりたいって願うのは許されるのに、おばあさんが海の女王になりたいって言うのが許されないのはエイジズムじゃないのだろうか。。」という、少しひねくれた感想も持った。
最初から原作を読めば、妙に歪んだ感想には至らず、スムーズに「やっぱりほどほどが大事だよね。。」という理解に至れたような気がする。
細かい演出を端折った教科書の物語を教材とするならば、おじいさんとおばあさんの2者ではなく、金色の魚も含めた三者の関係や感情を、物語の展開に沿って想像しながら、三者三様の「ついついやり過ぎちゃうこと」と「ほどほど感のさじ加減」を考えさせるような授業だったらよかったかもなぁ、と思った。
個々の教材の話ではなく、教科レベルに敷衍すれば、国語的な読解力を深めれば、自然に道徳的な価値を獲得できるのではないかなとか、無理に要約したあらすじ的な教材から、インスタントラーメンみたいに手軽に45分で道徳的な価値を得るのは難しいなぁ、とか、いろいろなことを考えた。
さて。我が家の金魚は、今日も元気に小さな水槽の中で泳いでいる。
子どもたちには、「金魚は、エサをやり過ぎたら水が悪くなって死んでしまう。ほどほどにね。」と伝えている。昨夏、帰省で一週間ほど家を空けたら、2匹のうち1匹がエサ不足で弱って死んでしまった。だから、残った1匹にはたくさん食べさせてあげたい、という気持ちが強い。
節度を持って生きていくことは大事だと学んで欲しい。そして、節度を持って生きていくことも大事だけれど、大きな願いを持ち続けることも同じぐらい大事だと伝え続けたい。
「欲張り」の物差しは、人によって違う。我唯足知とアンビシャスのバランスは、学校では教えてくれない。