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【京都旅3日目②】あんこ奥嵯峨へ行く~化野念仏寺



つづきです

∇前回はコチラ(タイトル編集してます)


愛宕念仏寺を後にして、坂道を下ること10分ほどだろうか(2ヶ月も前のことではっきり覚えちゃいない)


てくてく


寺院入口に到着
入口はあちら、みたいな看板もあったけれど、行けそうなので手摺りのついた階段だったか坂だったかを登ってみる。

間違いではないが
どうやら出口から登ったらしい

※写真が無かったので、リンクさんの記事から勝手に拝借しました。
いつもお世話になってます。


化野念仏寺

寺伝によれば、化野の地にお寺が建立されたのは、約千二百年前、弘法大師が、五智山如来寺を開創され、その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属する。「あだしの」は「化野」と記す。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往来する願いなどを意図している。この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所である。

化野念仏寺HPより抜粋



阿弥陀三尊
化野念仏寺HPより


佛舎利塔


またもお寺の鳥居
化野念仏寺HPより

変わった形の鳥居もあったのに、撮っていなかったからHPから拝借したけれど、もっといい写真があるのを私は知っているのさ

またもリンクさんの記事より拝借
いい加減怒られるんじゃないだろうか?

いま、リンクさんの写真を見ていて思う。
なんか看板ある!説明看板ある!
読みた〜い!なぜ素通りしてきたのだろう⁉️

この形、他でも見たことがあるような気がして検索してみたけれど、わからなかった。
ご存知の方がいたらコメント欄までお願いします。


御本尊 阿弥陀如来像
化野念仏寺HP


西院の河原

西院の河原境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓である。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没していた。明治中期に地元の人々の協力を得て集め、極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられた。

化野念仏寺HPより

この場合の西院さいと読むのだろうか?
リンクさん教えて下さいな

※西院の河原内での撮影不可と書いてあったため全て外側から撮っています


よく考えたら
墓を撮るってのもどうなんでしょ


石を見ると何でも顔に見えてきた

と思って撮ってきたけれど
いま見たら??
どこが顔に見えていたのか??謎
愛宕念仏寺で脳がバグっていたらしい
人間の脳って単純だっていうからね



無人になるまで
かなり粘った一枚


こちら諦めて先に撮った一枚
この下には頭が沢山います


紅葉みたいだね 


帰りに撮った参道入口

早く!早く!

新しいのを建てたらしい
あ〜人が来ちゃった

下調べ無しで、どういうお寺かもわからず寄ったけど、お墓と竹林があるお寺という印象でした。
記事を書くにあたり調べると葬送の地だったのですね。


勝手に写真を使わせていただいたリンクさんの記事はコチラ

なんと私の10日程前に行ってらっしゃる
え?奥嵯峨まで歩いて!?スゴ!!

なにせ、伏見稲荷から京都駅までも歩いた方なので、観光客の私たちは真似しない方がいいです(笑)

リンクさんいつも助かってます。
ありがとうございました。



京都の旅は2ヶ月も前の話しになってしまったけれど、まだもう少しつづきます。

もうそろそろ別の記事書きたい!(ぼやき)






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