『溶ける夏の記憶』
真夏の陽射しが、アスファルトを焼き尽くしていた。空気は重く、息苦しい。私は歩道を歩きながら、汗が背中を伝うのを感じていた。
あの日も、こんなに暑かっただろうか。
記憶は蜃気楼のように揺らめき、確かなものを掴めない。暑さのせいで、頭の中まで溶けてしまいそうだ。
携帯の着信音が鳴る。画面に表示された知らない番号。指先が震える。
もしかしたら、あの人からかもしれない。けれど、あの人のはずがない。
炎天下の中、私は立ち尽くす。溶け出す記憶と、溶けない現実の狭間で。
電話に出るべきか、無視すべきか。答えは、この灼熱の街に溶け込んでいった。
結局、私は電話に出なかった。その代わりに、足を折り返し、来た道を引き返す。
行き先など決まっていない。ただ、あの場所から逃げ出したかっただけだ。
歩きながら、10年前の夏を思い出していた。高校3年の夏。受験勉強に追われる日々の中で、唯一の楽しみだった彼との逢瀬。
熱帯夜の公園で、二人で見上げた星空。彼の手のひらの温もり。耳元でささやかれた「ずっと一緒だよ」という言葉。
それらの記憶は、今でも鮮明に蘇る。あまりに鮮明すぎて、胸が痛くなる。
でも、あの約束は守られなかった。
彼は突然、姿を消した。連絡も取れず、誰も彼の行方を知らなかった。
私は必死で彼を探した。けれど、どんなに探しても、彼の痕跡すら見つからなかった。
そして今、10年の時を経て、あの知らない番号からの着信。
気がつけば、私は高校時代によく通った公園に立っていた。日差しは相変わらず強く、ベンチに座ることもできない。
ふと、噴水の水しぶきに目を奪われる。キラキラと輝く水滴が、一瞬の涼しさをもたらす。
そこで、私は決心した。もう逃げないと。
震える手で携帯を取り出し、着信履歴から先ほどの番号に電話をかける。
「もしもし」
聞き覚えのある声。でも、10年の歳月を経て、少し低くなっていた。
「久しぶり。僕だよ」
その一言で、全てが分かった。
公園のベンチに並んで座り、私たちは10年分の話をした。
彼が姿を消した理由。両親の離婚と、突然の転居。連絡を絶たざるを得なかった事情。
そして、10年かけて私を探し続けたこと。
話し終えた頃には、日が傾きはじめていた。
「また、はじめからやり直せないかな」
彼の言葉に、私は黙ってうなずいた。
夕暮れの公園で、私たちは再び手をつないだ。10年前と同じように。
暑さは少し和らいでいた。けれど、私の頬は熱くなっていた。
溶けそうだった記憶は、今や鮮明に蘇っていた。そして、新しい記憶がまた一つ、刻まれようとしていた。
この夏の終わりに。
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