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2022年の春に思っていたこと

別媒体にアップしていた去年の春に思っていたこと。リマインドがてらこちらにも。

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私の住んでいる京都市では去る3月24日に桜の開花宣言が出されました。 花開く桜に春の到来を実感できるのは日本人の特権だなあと思いつつも、私にとって春はいつからかbittersweetな季節になりました。

一応春生まれなので、小さい頃は春が一番好きな季節だったのに、いつしかそれは秋に取って代わり。単純に気温で考えたら春も秋も似たようなものなのに、なぜこうも肌感みたいなものは違うんでしょうね。どちらも夏と冬に挟まれた束の間の過渡期、そのベクトルが暑→寒、寒→暑かでなぜこうも思うことは変わるのか。

毎年春になれば咲く桜に、歩みを止めずに変わりゆく物事の中で「春になったら咲く」という桜のその誠実な不変性に、憂いを覚えずにいられないと書いたのは池田晶子さんですが、私はむしろ反対で、桜を見てまた1年が過ぎたことを実感しながら、その時の流れの中で自分だけが同じ場所にいつまでも突っ立っているような気がしてしまう。

考えてみればこれは日本の年度制度も大きく関係しているんですよね。 3月末で〆、4月から新年度がスタート、というこの制度さえなければ、欧米のように例えば学校のスタートが9月からだったとしたら、春は単純に「寒い冬終わった!あったかい季節来た!わーい!」みたいな感じだったんじゃないかと。日本人にとって春は、そして桜は、終わりと始まりの季節、花であって、自分はどっちかというと前者の方に傾いている。

この傾きはつまるところ生まれ育った場所が九州だからかなあと。これ九州の人は共感してくれると思うんですが(思いたいんですが)、桜はどちらかというと卒業式の花のイメージで。だって入学式の頃には下手したらもう葉桜になってるし。

自分にとっては始まりよりも終わりを、出会いよりも別れを象徴する桜を見ながら、年々このbittersweetな思いが募ります。夕暮れ時に花吹雪を見た日なんかもう、ひとり涙ぐんじゃいますもんね。年々涙腺が緩んでるようで怖い。

みなさんは春に何を思いますか。始まりの予感に胸が躍りますか、あるいは終わりの感覚に胸が締め付けられますか。 依然と続くパンデミックの中でも、春が来たからと行楽に出かける人々の明るい表情を見て、切なくなってるのは自分だけのか?とも思ったり。 一方で先日桜ソングといえば?という話を職場でしていた時に、出てくる曲がどれもこれも切ない曲ばかりで、やっぱりこの感覚は私だけじゃないんだよな?とも思ったり。

人生で一度くらいは満開の桜の大木の下でビニールシート広げてどんちゃん騒ぐタイプの花見がしてみたいなと思いながら、でも今年はまだだめだよね、と思いながら、今年も春を過ごしています。

みなさんは春に何を思いますか?

P.S. bittersweetな季節とはいえ、楽ちんなスウェット一枚で過ごせるのはありがたい(手持ちのスウェットの半分以上が父親のお下がりだけど)。 私事でしかないんですが去年の夏に髪を切って、フーディがとても着やすくなった。といっても2着しかないので、久しぶりに御幸町の古着屋さんを巡ってかわいいフーディを探したい。

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