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ルールが僕たちを苦しめる

「会社のルールは何のためにあるのだろうか」

人事の中でこんな議論があったのだが、多くは「規則を守らせるためにある」との回答をしていました。果たしてルールとは、守らせるためのルールなのでしょうか…

たぶん、ルールは「守るため」よりも、むしろ「秩序を維持するため」にあると考えるべきではないかと思います。会社は多種多様な考えを持つ人の集まりで構成されているので、ルールを定めないと会社の目的を達しないどころか、無法地帯と化す恐れがあるでしょうね。

例えばこの時期は、面接や1on1、会議などが集中して会議室が混み合ってなかなか予約ができなかったりします。当然、予めわかっていれば早めに予約しておくなどの対応は出来る。しかし、誰かが大量に予約し独り占めをしてしまうと、実際には会議室を使っていなかったというような状態になって稼働率は下がってしまう。

このように個人が利己的に振る舞うことで,結局全員の損失につながってしまう状況のことを社会的ジレンマと呼ぶのです。これは、1968年にアメリカの生物学者ギャレット・ハーディンさんが発表した考え方で「共有地の悲劇」とも呼ばれています。

恐らく人間同士が集団を築く以上,避けることのできない問題なんでしょうね。

人は争う生き物なんです…

この問題の解決策は,利己主義者を罰するしくみを導入すれば良いはず。例えば、会議室を予約して使わなければ罰金を果たして損をするようにすれば,利己主義者も罰金を避けて組織のために協力するはずでしょう。

でも、誰がどうやって見張ってジャッジするのだろうか…

たいてい、歴史のある大企業はルールだらけで、ルールの見張り番がうじゃうじゃいるのです。そして、この人たちの目的はルールを「守らせる」ことになっていることが多い…。

なぜか、会社の中にはルールおじさんとかケーサツがいっぱいいます…コワイコワイ。。

もちろん、こうして守らせてきたルールは、いつ、どんな時でも最適解であるとは限りません。

そういえば昨日、僕は電車の優先席に座っているところで、声をかけて正面の二十歳くらい女性に席を譲りました。なぜかというと彼女の体調が悪そうだったからです。通常は優先席というと「お年寄りや体の不自由な人、妊娠中の人などに譲るべき席」とされていますが、年齢にかかわらず目の前に具合の悪そうな人がいたら、その人に譲る方が正しい場合もあるのかもしれません。

つまり、ルールとは「絶対」という思い込みを捨てて、時には破ってでも「秩序を維持するため」の最適解になっているのか問い直してみるのが良いと思います。ルールは「守るもの」と決めつけてしまった時から自分を苦しめ始めます。なぜなら自分の価値観という「ものさし」と異なる尺度の中で生きなければならないのだから。

ルールは僕たちを苦しめる

もっと自由に生きたいですねえ。最近導入されたオフィスのフリーアドレスって「共有地の悲劇」の気がしてなりません…


最近暑いですね。無理せず過ごしてくださいね。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

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