人生はいつでも「我慢」と隣り合わせ。でも何のために我慢しているの?
「将来のために、今はしたいことがあっても我慢して勉強しなさい」
「今、頑張っておけば後で楽できるから」
たぶん、多くの人がこんな言葉を聞かされながら学生時代に勉強を頑張ってきたのかと思います。こんな僕でさえ、そう信じてゲームとかを我慢して人並みに勉強に打ち込んだ時期もあったりして、この努力がいつか報われるって思っていました。
そして、会社に入社すると、
「新人の頃は、とにかく教えてもらっているんだから3年は我慢しろ」
「石の上にも5年は我慢だ」
結構、無茶苦茶だと思いつつも先輩や上司から幾度となくかけられた言葉です。
それでも、誰もがひと月もあれば覚えられるような仕事をひたすら我慢して文句も言わずにこなし続けるんです。ただただ誰の何のためなのかも分からずに…
でも、たいてい1年もこの単純作業を繰り返していると、今苦行に耐えている「我慢」の意味がわかってくるのです。決して自分のスキルを獲得するために我慢しているわけではなかったんだと…
そういえば、寿司屋の下積みは「飯炊き3年、握り8年」、さらには一人前になるのに10年以上かかると言われています。流石に大将からすると板前に暖簾分けして、お客さんの一部を持っていって良いよと言うにはそれなりの信頼関係がないと出来ないですよね。
そうなんです。我慢しているのは自分のためではないんです。もちろん欲求を制限するという意味では自己制御力の強化に役立っていると思いますが…
でも、自己制御力が強化されすぎてしまって今度は、
「上司が変わるまで」
「家を買うまで」
「子供が大きくなるまで」
「会社を定年するまで」
…と、いつまでも我慢する生き物「ガマン星人」になってしまっているのです…泣。そして気がつけば他人に迷惑をかけないようにと「終活」を始めてしまって最後まで「我慢」と隣り合わせの人生を送ってしまうのです。まるで我慢することが美徳であるかのごとく、今生きる喜びを犠牲にしているようです…
恐らく「我慢」というのは2種類あるようです。一つはこれまでに紹介したような「他人のための我慢」、そしてもうひとつは「自分のための我慢」なのです。
だから、「我慢」って出来る限り自分のためにしたほうがいいなって思います。目先の欲求を抑制して、長期的な願望を実現することこそ我慢すべきことなのでは…
1960年代にスタンフォード大学の心理学者・ウォルター・ミシェルが行った「マシュマロ・テスト」という我慢とその後の活躍に関する実験があります。
幼稚園の子どもたちの目の前にマシュマロの山を並べて、15分後に2個目のマシュマロを手に入れた子供は1/3。そして、その後の成長過程を調査していくと我慢できた子供たちは、大学入試のスコアやその後の社会における評価において高い結果をもたらしたというのです。これがスタンフォード大学で「人間行動に関する、最も成功した実験のうちの1つ」とまで言われたマシュマロ・テストです。
これも恐らく「自分のための我慢」の重要性を伝えているのだと思いますが、もしあなたが今何かに我慢しているとしたら、ちょっとだけ立ち返ってみてはいかがでしょうか?
じっと、我慢して待っていればきっと「輝かしい本番の人生」が来るはずだって思っていたら、ある時そんなものはどこにもなかったと気づくことがあるのかもしれません。
ということで、今日はちょっとだけ自分のために我慢してみてはいかがでしょうか。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
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