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上司が紡いでくれた大切なもの
確か僕が30歳になった頃、
当時の職場の上司はとても優しくて、いつも仕事の相談をすると的確なアドバイスをくれるから、なんとなく一目置ける存在だった。
こんな良い職場環境にも関わらず、どこか成長に対する不安を抱えていた僕は徐々に日々の物足りなさを感じるようになっていった気がする。
「部長、資料を見ていただけますか」
僕は、上司の机の前に行って一声かけると、上司は優しい笑顔で「いいよ」と快諾。机に向かい合わせになって話しているとき、当時よく見かけた緑色のデスクマットのアクリルの中に一枚の名刺を見つけた。
「○○技術士事務所」
そこには確かに上司の名前が書いてあって、僕の目がしばらくそこに止まっていたが上司は何事も無かったかのように話し続けていた。
あの頃の僕は、素直に「カッコいい」と思った。会社の仕事が出来る上に、個人事務所まで経営していて、どこにそんなエネルギーがあるんだと心底憧れた。
もちろん僕は、そんな専門的な知識は持ち合わせていないので「技術士」なんていう資格は雲の上の存在だったが、それでも「士業」という2文字に強烈な憧れを抱いた。
ちょうどその頃から僕は、起業に対する強い想いもあって、いつか独立をするその時に向けて経営の勉強がしたいと思うようになった。もちろん僕は、製造現場での仕事経験が長いうえに、経営に関することには全く知識が無かったがある日、本屋で手に取った一冊の参考書を食い入るように見入ってしまった。
それが「中小企業診断士」という資格との出会いだった。
初めてみる「経営」の知識はあまりにも新鮮で、がむしゃらに勉強した気がする。学生時代にこんなに勉強していたら、きっと違った人生を歩んでいたんだろうなと思いながら学び続けた…
もう地球が何回、太陽の周りをまわったか分からないくらいに四季が通り過ぎていくのを横目に見ながら、終わりの無い勉強というものに縛られてしまっていた。
そして、これでもう辞めようと決めた最後の年の瀬に、僕は嬉し涙を流した。
それから、数年後…
「今日から人事に配属になりました。よろしくお願いします」
僕は以前から希望していた人事の仕事に巡り合うことができた。ずっと仕事をやっていて、いつか自分の経験を社員の役に立てられることがあったら幸せだなって思っていたのでやりがいがあった。
そして、このとき初めての部下も出来た。僕は机の1番上の引き出しの中に「あるもの」をそっと置いておく、あの時の上司と同じように。
それからは部下といつも同じ目標を追いかけて、毎日を楽しく過ごせていたが、充実していた日はそう長くは続かない。3年目に組織のメンバーはバラバラに散っていき、僕も転職を決意した。
そして、1年前のある日…
久しぶりに当時の部下からの誘いがあって、一緒に飲みながら当時の思い出話に大いに盛り上がっていると、おもむろに1枚の名刺を渡された。
「○○社会保険労務士事務所」
「えっー、スゴイ!カッコいいねぇ」
僕は思わず手をたたきながら感嘆の声を上げて、自分のことのように喜んだ。
「あの時からずっと勉強を続けていてようやく夢を叶えることができたので、最初にリーダーに報告したかったんです。あの頃、いつも印鑑を押してもらいに席に行くときに気になっていたんですよ」
彼女は一番上の引き出しに置いてあった名刺を見つけて「自分もいつかああなりたい」と、心に決めたそうだ。そして、久しぶりに会った彼女からは当時の初々しさは消え、颯爽と振る舞う1人のサムライのような頼もしさが感じられた。
僕は決して優秀な上司では無かったが、当時の部長から預かっていた「大切なもの」を引き継げた気がする。