苦しみのおかげで
私は、かなり前から、今現在と少し先のことだけを捉えて生活してきました。
将来のために備えることはほとんどありませんでした。このやり方にはメリットとデメリットがあると考えながら、日々を過ごしてきました。
お金の使い道に関しても同様で、たとえ後悔してもそれは言いっこなしと決めていました。この数年間、多額の出費を経験しています。以前なら、さすがに備えようとしてケチっていたのですが、今は先の予測すらできない状況です。
それでも、この状態がなぜか心地よいのです。これまでは逃げ道や頼れるものがあったため、自分の人生に向き合う気になれず、ぼーっとしていました。しかし、今はこれまで考えたこともなかったことを考えるようになっています。そして、それを考える良い機会だと思っています。
過去には、自分が傷つけてしまった他者への強い罪悪感を抱えて生きてきました。それは終わりのない苦しみで、泣いても、謝っても、何も変わらず、気持ちが晴れることはありませんでした。
最近、ある記事に「デメリットの量と同じ量のメリットが存在する」と書かれていたのが目に留まりました。ぼーっと生活していた私にとっては、ハードな内容でした。自分が犯した罪の感覚の中にメリットを見つけるのは到底無理だと感じていました。
ですが、その時、「考えるとはこういうことなのか!」と実感しました。最も重要なのは、自分をあやふやなまま放置しないことだと気づいたのです。濁っていると、底は見えません。自分自身の痛みを知ることは厳しいです。でも悲しみは痛みとなって底に沈んでいます。
本気で自分をケアしようと立ち上がれたのは、苦しみのおかげです。そして、考える能力が不可欠だとわかりました。私はずっと、考えることを否定的に捉えてきました。「考えたって答えが出るわけじゃない」とよく言っていました。それには一理ありますが、自分を見つめ直すためには考えることも必要です。
やはり、私にとって、今現在と少し先の未来を見据える姿勢が、ちょうど良いのだと思いながらこれを書いています。