境界の上
年が明けようとしている。
最近、死にたい気持ちを通り越した感覚がある。
だから生きたくなったとか生きやすくなったとかそういうことではない。
だって、いくら死を望んだところで私は死ねないのだ。
不意に理不尽な暴力で死ぬ可能性はあれど、私が私を殺すことなんて出来ないことは20年ちょっと生きてきて嫌というほどわかっている。
出来たとしたら、私はとっくのとうに向こう側だ。
だから、もう、私は諦めた。
これも、鬱が回復傾向にあるということだろうか。
確かに友人と交遊したり買い物に行ったり美容に気を使ったりと、良い傾向にあることは事実だろう。
けれど、私は回復を嫌悪する。
まるで関口巽のようである。笑い種だ。
非日常を嫌悪しながら日常をも嫌悪している。日常は私を受け入れない。私と日常の間には大きな隔たりがあって、私はそれを渡る術を持たない。
ずっと、そちら側に渡る術が欲しかった。でも、それが何か私にはわからないのだ。渡れたと思っても、日常はフラッシュバックやコンプレックスを引き起こし私を非日常に引き戻す。
そのとき、私にとって非日常は唯一の安息地となる。やがて必ず訪れる死というものが、私にとっての希望になるから。
けれど、死はなかなか訪れてくれないのだ。私はまるで刑を待つ死刑囚のように、渇望と不安の渦中で縮こまるしか無くなる。
本当に、笑い種である。
だから、情けなくも苦しみに喘ぎながら汚く生きていくしかないのだろう。
境界線の上で。