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言葉はキミを縛る毒にもなるけど、薬にだってなってくれるから大丈夫だよ

人はお腹から生まれてくる。

頭から生まれてくる人はいないし、口から卵で生まれてくる人もピッコロ大魔法くらいしかいない。

キミは母親のお腹の中から生まれてきた存在だし、僕もそうだ。

それなのに、生きているうちに、僕らは言葉に囚われてしまう。


もらった言葉に傷付いたり、思い出してはうつむいたり。

もしくは言葉をかけられ元気になったり、勇気をもらったり、涙できたり。

言葉によってゆり動かされて、言葉によって縛りつけられ、言葉によって落ちたり上がったりと忙しい。


人は言葉の外側から生まれて来て、いつしか言葉の内側で生きるようになってしまう。

死ねばもう一度、言葉の外側へ行くというのに。


言葉は毒にもなるし、薬にもなる。

と、師匠から教えてもらった。


だから、言葉のお薬をいっぱい集めよう。

そう教わった。


優れた哲学者は、その優れた認識能力と弁論術で、相手の乱れた言語空間を整えてあげることができる。

それは、言葉による整体みたいなものだ。


「自分なんて、生きていてもなんの意味もない」そんな自己無価値感を癒すことができるし、「もういっそ、この体で生きている意味なんてない」そんな希死念慮をピタリと止めてあげることだってできる。

かつてソクラテスや吉田松陰と呼ばれた、いわゆる優れた言葉の使い手たちは、その卓越した言語能力でもって、時代や社会に翻弄された若き魂に再び生きる活力を与えていた。

人を教え導くことができた彼らは師匠であり、その意思は、その肉体が滅んでも、人から人へと受け継がれて死ぬことがない。

そうして受け継がれた言葉は「薬」になる。


僕やキミの体に溜まってしまったたくさんの言葉。あの人に言えなかった不満や怒り、涙になれなかった悲しみが、キミの骨や内臓や血管の奥に降り積もって閉じ込められている。

そうして滞り、固まった言葉たちは、いずれ体をこわばらせて病気をもたらす「毒」になる。

その毒を排泄するために、言葉の薬を飲んでみる。


近代国家は言葉によって成り立っている。

法は言葉によってつづられて、法治国家が生まれた。

そこに暮らす僕らは、言葉に縛られながら、同時に言葉に守られてもいる。


けれど、僕らは言葉の外から生まれてきた。

おヘソは言葉を語らないし、理解もしないだろう。

けれど、僕らが最初の人体を得るまでのすべての栄養を運んできてくれたのはへその緒だ。

ヘソから生まれた僕らが、言葉に閉じ込められるなんて、変な話だ。


言葉は、その人体が後天的に獲得したものにすぎない。

つまりは二次的なものだ。

iPhoneでいうなら、一個のアプリにすぎない。

アプリはiPhoneを閉じ込められないし、物理的に壊すこともできない。


けれど僕らは、そのアプリにすぎない言葉に、閉じ込められているように感じてしまうおかしなiPhoneだ。

おかしなiPhoneには、おかしくなった理由がある。

言葉の毒が、多すぎたのかもしれない。

だから、言葉の薬が必要だ。

言葉の薬を集めよう。

で、言葉の薬をキミに与えてくれる人が現れたら、間違いない。

その人のことを、めちゃくちゃ大切にしよう。


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