生きることは縛られてナンボのSMよ
多いことは、うれしいことだ
とする考え方が広まって久しい。
近代の大量生産・大量消費の消費者文化は、たくさんあることを美徳としていた。
でも、そんな風潮もここ最近は変わってきている。
エシカルで持続可能な断捨離でスパークジョイしたい老若男女は意外に多い。
この間、聞きかじったニュースなんだけど、イギリスかどっかのフットボールチームが、所属する選手の食事を全てヴィーガンへ切り替えたら、ユニフォームの売り上げ(収益だったかも)が、なんと5倍になったらしい。
は?ヴィーガン神すぎだろ?どうゆう神秘現象だよ?
しかし、もちろんヴィーガンは神ではない。
どういうことか?
これはヴィーガンという縛りが、このフットボールクラブの姿勢を表明することになり、結果として売り上げが上がっちゃったよ、ということらしい。
このクラブは他にも、スタジアムで買える食事も全てヴィーガンにしたり、電気をクリーンエネルギーベンチャーから買ったり、選手たちのユニフォームをエコ素材に変えたりした。
つまり、エコを徹底した。
すると、このエコ姿勢に共感する人が大勢あらわれた。
結果として、スタジアムに訪れるサポーターは激増し、レプリカユニフォームも飛ぶように売れたらしい。
そう。今やエコは金になる。そういう時代だ。
でも、ここで話題にしたいのはエコではなくて、「縛り」のお話だ。
縛りとは、物体を拘束する行為だ。
自由を奪う行為だけれど、実はこの「縛り」こそが自由を生み出す。
そういう仏教言葉があるのをご存知だろうか。
「縛解一如」
ばっかいちにょ、と読む。
「縛(しば)る」ことと「解(ほど)く」ことは、ぶっちゃけ「一如=ワンセット」やねん。
そう、お釈迦さまは主張したらしい。
この「縛解一如」という言葉も、ソクラテスの「汝自身を知れ」と同じように、2500年もの時を超えてきた長寿な言の葉である。
それはつまり、たっくさんの人がこの「縛解一如」の4文字を「大切だな」と感じて、心の中に住まわせてきたってこと。
たとえば、着物。
着物はきつい。洋服みたいにお手軽でもない。
でも、帯とか、はかまの腰板とかは、着るとわかるんだけど、腰がピン!と立つんだよね。
背骨の一番下の、腰椎を支えてくれるんだ。
つまり、腹が据わるんだよね。
すると、自然と背筋が伸びて、息もしやすくなる。
首すじが伸びるから、周りもよく見えるようになるし、集中力も上がる。
人体の姿勢と、人間の情緒的なコンディションが密接につながっているということは、科学的にも分かって来ていて、「縛解一如」はたとえばそういうことを言っていたんじゃないかと思う。
つまり、着物に「しばられる」ことで、逆に心身は「ほどかれて」いく。
こういうことが、色んなところで起こっている世界に僕らは暮らしている。
たとえば細胞は、1つの細胞で完結する単細胞生物から、たくさんの細胞がくっつき合うことで成立する多細胞生物に進化して来た。
あれも、縛解一如だよね。
細胞同士が、お互いを縛り合うことで、より高次の生き物としての運動能力を獲得していった。
それは、海中に縛られていた生き物が、陸に上がったり、空を飛んだり、月面を目指してロケットを飛ばしたりするはじまりになったんだ。
まさに、解放だよね。
だから、生きることは縛ると解くがワンセットで、このSMをいかに気持ちよく、心身にフィットする形で展開して、納得感を生み出すか。
そんな高度な身体プレイを、僕らは人生と呼びながら、お互いを縛り合い、その縛り方に文句を言ったり、賛辞を送ったりしながら、今日も同じ空の下で生きている多細胞生物であるらしい。
自由とはなんだろう?
どうやらそれは、「縛る」こととワンセットらしい。
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