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夏休みの般若心経
子供時代の夏休みといえば、瀬戸内海の離れ小島にある親の実家へ行き、いとこたちと海で泳ぎ、墓参りをし、いつものお坊さんのお経を聞いて、夜は花火をするのが恒例行事だった。あまりハッキリとした記憶は残ってないが「お盆過ぎたら海で泳ぐな」としつこく言われていたので、おそらくお盆前に帰省していたはずだ。ちなみに「お盆過ぎたら…」云々は、そのくらいの時期から海の環境の変化でクラゲと遭遇しやすく、海水浴していると刺されて危ないかららしいが「死者に足を引っ張られる」と大人たちは口を揃えて言っていたように記憶している。結構大きくなるまで後者の説の方が印象深かったから。
一家揃って夜間に出発し(混雑と直射日光を避けるため)一晩かけて車移動。朝一のフェリーに揺られて、さらに車移動し昼前にようやく到着する。子供時代には移動時間・距離的にも大イベントに思っていたが、現在Googleマップで経路検索してみると高速道路やトンネル、大きな橋のインフラ整備が進んだこともあり、3時間半〜5時間程度で行ける。当時は車酔いがひどく、親から「寝てろ」などと言われても気持ち悪くて眠れないし、乗っているだけなのに苦痛な大移動だった。十数分のフェリー乗船中が、車の外に出られる回復タイムだった。船酔いする性質がなくて本当に良かったと思う。
自分で車の運転が出来るようになった今となればそれほど大変な移動とは感じなくなった。いえまぁ、長距離運転するとなるとやっぱりシンドイけど。自分が成長したと自覚するのは、そこぐらいだろうか。その他はほとんど子供時代と変わっていない、ただ年を取っているだけで。
最近は、人生の残り時間がすぐそこに近付いてきたように思う。何も成せていないまま、漫然と過ぎていく。だからなのか、走馬燈のように昔のことばかりを思い返している。そんな中、ふと思い出すことがある。
親の実家で聞いていた、いつものお坊さんのお経はホーミーが効いていた。
いつものお坊さんというのは、気付くと人の家に入り込んで麦茶を飲み寛いでいるような、朗らかでひょうきんなオジサンだった。そんなひょうきんオジサンが親たちと談笑しているときの声と、お経をあげるときの声が全くの別物になる。子供心にも、異質で重厚な音域を感じていた。
いつものお坊さんがそうだったので、お坊さんの読経はそういうものなのだと思い込んでいたが、社会人になり、家族総出で帰省もしなくなってから数年が経ち、法事で聞いた別のお坊さんの読経は、あの例の重厚感がなく、普通の話し声に近いものだったので、肩透かしをくらったことがある。
何故だ…
違う…
ホーミーも使ってない…?
おそらく誰とも共感できない疑問を胸に秘めながら、神妙に読経を聞いていた。あの、瀬戸内海の離れ小島の、いつものお坊さんじゃないと、般若心経を聞いた気がしない。しかしさすがにあのお坊さんは、もうお年を召していらっしゃるだろうし、もしかすると、もう、これでは自分は成仏出来ない…!
僧侶でもない限り、人生でお経を聞く機会などそう何回も巡り合わないのではないだろうか。自分にしか分からない疑問だけが残る。読経には、ホーミーを使わないのが普通なのだろうか?お坊さんによって違うのだろうか?そもそも読経の普通って…何?
昔ばかりを思い返し浸る日々だが、現代はこんなときに便利である。動画サイトで検索をしてみたら、読経の動画を沢山見つけることができた。その中から、あの記憶の中のいつものお坊さんの声質に、とても近いと感じた読経動画を見つけた。
赤坂陽月 さん
僧侶であり、音楽家でもある。ビートボックスで般若心経を奏でる。
般若心経ビートボックスRemix
一応お断りしておきますが、あくまで声質が、近いのであって、あの瀬戸内海の離れ小島のお坊さんも、ビートボックスリミックスしていたわけではない。普通に木魚を叩いて読経をしてらした。
とはいえ、様々な読経動画を見ていると、もはや読経に普通なんてないのかもしれないなと思う今日このごろ。
最後に、聞くだけで身も心も浄化されそうで、好きになった読経動画を貼って〆る。
歌う僧侶 薬師寺寛邦 キッサコ さん
こちらの方も僧侶であり、音楽家である。声質でいうと重厚というよりは優しく軽やかな印象で、その名の通り般若心経を歌にのせる。
般若心経ミュージック動画-2020年総集編-