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胃カメラと土鍋

 寄る年波には勝てぬ。

 今年は人生初の胃カメラ検査に臨んだ。胃カメラ検査は苦しいという印象があったため、決して望んではいなかったのだけれども。
 35歳以上になると定期健診に胃の検査が追加される。バリウムを飲んでの胃部X線検査か、胃カメラ検査の好きな方を選べるのだが、胃カメラ検査の悪印象から(あとどっちも別に好きではないし)毎度消去法でバリウム検査を選んでいた。
 ところが年々、検査結果の判定が悪くなっていた。それにここのところずっと、少し食べるとすぐにお腹が張って苦しい。「満腹感」のような幸せな感じではなくて、腹部が重だるく不快感で苦しいのだ。
 以前、何十年も前のことだが、腎臓の病気で腹水が溜まっていたことがある。身体の余分な水分が排泄出来なくなっていて、浮腫みが全身にあった。本来あるべき部分への水分供給が絶たれ、ノドがカラカラに乾いているのに余計な水分がたっぷり身体に溜まっているのだ。「浮腫み」といえば、夕方になるとふくらはぎがパンパンに張って、靴下のゴムの跡がくっきり残ることが想像されるが、それが全身に広がっている状態。身体の重だるさで呼吸をするにも精一杯だった。浮腫みによって肺も内臓も圧迫されていたのだろう。仰向けでもうつ伏せでも横になっても苦しい。寝ている時だけは息苦しさから解放されるが、覚醒時はずっと息苦しいので中々眠りにもつけない。後にも先にも人生最大最悪と感じた時の苦しさが、じわりじわりと時を越えて蘇ってくる。
 そんな腹水の苦しさよりはずっと、ずーっとマシだが、これが世にいう「膨満感」というものかと実感する。さらに朝、寝起きですらまだお腹が張っていて、朝昼晩一日中膨満感がある。いよいよこれは異常事態なのだろうと、胃…じゃなく意を決して、近所で評判の良い胃腸内科の診療所に胃カメラ検査の予約を入れた。
 結果は特に問題なし。胃壁が荒れていて3カ所の生検をされたが、悪性ではなかった。ついでに調べてもらった、ピロリ菌も陰性。良かった良かった。
 人からはさんざん、苦しい、苦しいと聞いていた検査も、鎮静剤を使用してもらったため、それほど…想像していた拷問のような苦しさ…ではなかった。強いて言えば自分には、ノドの奥の麻酔が難関だった。
 苦味のあるトロリとした液体の麻酔薬を、シリンジでノドの奥に流し込まれ、数分間(たしか三分だったか)飲み込まずにノドの奥に溜めておく。その後、飲み込めたら飲み込んで、無理そうなら吐き出して、という説明だったのだが、なんせノドの麻酔。飲み込む力は麻酔で弱くなっている、だから無理なら吐き出せとのこと。しかし吐き出す際には舌の上を通過することになり、強い苦味を舌で味わってしまうとそれによって吐き気が催され、どっと唾が口に溢れてくる。飲み込もうとするがノドの麻痺、吐き出そうとすると苦味にえずき、涙まで溢れてくる。管を入れる頃にはすっかり疲れ切っていて、終始グッタリしていた。ちなみに鎮静剤は、緊張し過ぎたり、興奮状態にあると効きが悪いそう。
 診察台に横になり、鎮静剤を注射された後、ノドに内視鏡の管を通す際、またもや嘔吐反射を起こしつつ、視界にモヤがかかったような、ピントが合わない状態になった。視力が急激に低下した感覚。目を開けているのにほとんど見えないのが気持ち悪くて目を閉じたが、医師達の話し声が遠くの方から(実際はすぐ近くに居たのだが)聞こえ、画像を確認しながら管を動かされてるのが分かる感覚は残っていた。ブロク等にある胃カメラレポを検索して拝読したところ、「検査はじめますねー」の一瞬後に「終わりましたよー」と声をかけられて、時間間隔の無さから、本当に検査したのか?と疑うぐらいキツネにつままれたような気持ちになった、という話も見かけたので、グッタリでも意識の残っていた自分は、鎮静剤の効きが悪かったのだろうか。初の胃カメラに相当緊張していたし、生検3カ所分で、生検ゼロの胃の人より時間が長くかかったため途中で醒めてしまったのかも、という看護師さんの見解だった。
 余談だがふと、漫画「動物のお医者さん」(著者・佐々木倫子)の登場人物が、盲腸の手術中にも関わらず、ずっと意識があり(あ、そんなに腸をひっぱり出しちゃって、腹圧があるからもどすの大変なんだから…)と、新人外科医に無理矢理ギュウギュウ押し込まれる自らの腸を冷静に眺めている場面を思い出す。胃カメラにおののく自分ごときは、万が一開腹手術中に意識があった場合、とてもそんな冷静ではいられないし正気を保つのも難しいだろうなと想像しただけで身震いする。
 次回、胃カメラ検査をするならばもう少しリラックスした精神状態で、できれば生検要らずのキレイな胃で挑みたい。…いや本音では検査はもう受けたくない気持ちだけれども。
 医師からは、バリウムよりすぐ終わるし、同時に生検も出来るし、胃カメラの方がヨカッタでしょ?と言われるがウ~ン、どうなんだろう…胃カメラはやっぱり苦しかったし。一方でバリウムは検査前にあの液体を飲むのも、検査後には下剤を服用しバリウムを体から出し切ってしまわないとならないという仕事が待っている…一長一短というところか?医師の言うところ、バリウム検査の結果、要精密検査という判定をくらうと結局、胃カメラ検査をするのだから、はじめから胃カメラにしてしまった方が楽なのでは?という。確かにそれはそうかも…胃カメラに慣れれば胃カメラの方が手っ取り早く済んでいいかも。
 しかし胃カメラをやるなら自分には鎮静剤は必須だということが分かった。鎮静剤を使用してもらっても胃カメラの入れ始めは嘔吐反射でえづいたが、そこから終了までは何ともなかった。もし使ってなければ検査中もオエオエ言っていたかもしれない。必須だ。鎮静剤使用後は車の運転不可になるので病院が遠いと困る。その点では徒歩圏内で通える、良い病院があって助かった。
 検査前には食事制限があり、検査後は基本何を食べても構わないとされるが、自分の場合は胃が荒れていたため、医師から、しばらくは油物と刺激物を控え、消化に良い食事を続けましょう、と指導を受け胃薬も処方された。
 今回、ピロリ菌は陰性だったが、井戸水や川の水を飲むとピロリ菌に感染する可能性があるため、綺麗に見えても生水は飲まないよう注意を受ける。子供の頃、住まいが山の中にあり、小学校の帰り道には、自然の木苺が実る沢の上流の水を、木苺と一緒に口にしていたような気がするが、まぁ陰性で何より。また余談を挟むが、現在は宅地開発等で山の工事があったため、そんな綺麗な沢は消えてしまったことだろう。昨今空き家が増えているのに何故わざわざ山を潰すのだろうか。

 胃腸が元気な頃しょっちゅう食べていたお惣菜の揚げ物とスナック菓子、チョコレートを止め、お気に入りのパン屋さんのカレーパンもしばし食べるのを止めている。香辛料の入ってない食品を選び、毎日飲んでいるコーヒーや緑茶は、刺激物とされるカフェインが入っているので、ノンカフェインのコーヒーと、お茶は焙じ茶に変えた。医師から、喫煙やアルコールに関しても注意があったが、元々喫煙習慣がなく、またアルコールも飲まないため問題なし。あとスーパーで、商品名に「一時的な胃の負担をやわらげるのを助ける」という名の付く、客層をピンポイントに絞ったヨーグルトを見かけたのでそれも毎日1個ずつ摂っている。乳製品売り場で同じヨーグルトを手に取る見知らぬ人には勝手に親近感を抱き、心の中でお互い頑張りましょうねと念じ、エールを送っている。商品名通りの効果があるのかは正直言うとよく分からない。当然個人差があるだろうが、自分は胃に優しい食生活に変えたうえ胃薬も飲んでいるから、ヨーグルト単体での効果を実感するには少々難しい。しかし乳酸菌を摂るのは胃腸に良いことだろうから、今でも朝食のデザートとして続けてみている。
 消化に良くないとされる物は控え、ヨーグルトとノンカフェイン飲料の他には一体何を食べていたかというと、胃カメラ検査前から続いていた膨満感と、検査後数日間はお腹を下すまでになり、長らく食欲は減退していた。何も食べずとも空腹感がわいてこなかった。だからといって何も食べず益々弱るわけにもいかず、検査に予約を入れようかどうしようかと悩んでいた頃からの食事は、おかゆとうどんを行ったり来たりした日が続いていた。
 医師の指導に粛々と従い、そのうちにお腹の調子も徐々に落ち着き、重だるく苦しい膨満感もなくなってきた。
 おかゆは白菜や卵を入れた雑炊にしたり、うどんには柔らかい葉物野菜(大体白菜)とキノコ、鶏肉を一緒に煮込んだり、おやつに果物や焼き芋、栗を食べたり、胃腸の様子を伺いながら少しずつ常食に戻しつつある。
 最近はようやく気温が下がってきて、温かい食べ物が恋しくなったため、これまた白菜、キノコ、鶏肉に豆腐を加えた、優しい味の鶏出汁一人鍋を満喫している。キューブ状の出汁の素が一人鍋には丁度良い。
 こんな食生活にずっと大活躍してくれている心強い相棒が、見出し画像の土鍋である。以前かいた土鍋のペン画を、アイビスペイントに取り込み、デジタルトーンを使った。ほわわんとした暖かさのイメージが伝わればいいな。
 この土鍋は友人からのプレゼントで、貰った当初、数回だけ使用してしばらく使っておらず棚にしまい込んでいたが、電気炊飯器の調子が悪くなってからは土鍋炊飯をしている。我ながら美味しい米が炊けていると自画自賛しているが、胃腸が弱ってからの方が使う頻度が多くなった。というのも、2合炊きサイズの土鍋で、その炊き上がったご飯を一食分ずつ冷凍保存すると、土鍋の出番は、炊飯のみの場合では2〜3日に一回。胃腸が弱って以降の食事で、おかゆやうどん、一人鍋の場合、一食分ずつの調理をするため土鍋は毎日出番のあることになった。
 保温性の高い土鍋は料理が冷めにくいので、よそう時以外は蓋を閉めておけば、食べ終わるまで温かいままなのも寒い季節には嬉しい。具材を少し変えれば、冬は毎日鍋メニューで構わないことを確信した。
 同じ出汁の素を使っても、鶏肉をつみれ団子に変えたり、水餃子や、冷凍ロールキャベツを入れたりしたら味が変わる。野菜は、一人暮らしなのであまり張り切って色々な野菜を沢山買い込むと、使い切れなくていつの間にか萎れたり腐らせてだめにしてしまって罪悪感があった。使い切れないんじゃないかという不安から野菜を買い控えするにつれて、料理も余計にしなくなっていたのだが、野菜は、何味にでも大体合う、白菜さえ買っておけば良いと割り切ることにした。そんなふうにして一食で野菜や肉、キノコ類の食品が採れるし、面倒な洗い物も、土鍋とお椀ぐらいで済むのでとても楽だ。
 料理は大して上手くないし、メニューを色々考えるのも、後片付けも、億劫になるので好きではないが、土鍋とならこれからなんとか上手く生きていける気がしてきた。

 若い頃は食べ物を美味しく腹一杯食べて、翌朝にはすっかり空腹になっているのが当たり前だった。当たり前に思っていることが、当たり前に出来なくなったときに、初めて健康であることの素晴らしさを実感する。腎臓を患って長く入院生活が続いていた時もそうだった。
 入院生活中は、病気なので体調が悪いのは当然のこと、四六時中、他人の気配を感じながら過ごさなければならない。看護師達が忙しく行き交い採血や点滴をされ、医師は団体で診察に訪れ、大部屋は常に患者やその家族、付き添いが出入りする。夜中も見回りの看護師、真っ暗な部屋の中で聞こえる布擦れの音と咳やうめき声等、常に他人の気配。当然、入浴・食事の時間は決まっている。一人でぼーっとしているのが好きな自分には、それは肉体の辛さより苦痛に感じた。
 退院して、自宅で家族とご飯を食べ、自宅の風呂で一人で入れる。家族と夜TVを観てダラダラと過ごし、自室で寝起きが出来ることを、心底素晴らしいことだと思った。なのにそれが当たり前と感じるほど日常化すると、感動が薄れてくる。つまんない毎日だなぁ、なんて思ったりもする。自分はきっとこれからも何度もそんなことを繰り返して生きていくのだろう。
 今はまだ胃に優しい食生活をしているが、ノド元過ぎれば熱さを忘れ、胃に優しくない食生活に戻っている時が来るのだろう。若い頃はそんな杜撰なことをやってもまだ体が耐えてくれたが、これからはそうはいかない。

 肉体年齢が老けるのはとても嫌だしどうにかして抗いたいが、そうは言っても逆らえない現実がある。精神年齢もしっかり追いついて、必要ならば節制し、無理なことはせずキツイと感じたら手綱を緩め、肉体に準じた生き方をしなければならない。年々加齢していく肉体は、いずれアチコチが悲鳴を上げだすのだろうから。
 その時はまた、土鍋を相棒に踏ん張っていくつもりだ。


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