手書き手紙を書いて学んだこと
「手書きの手紙を書いて学んだこと」
・強い精神力がいる
・瞑想になる
・手紙と人生は似てる
今日、初めて筆で手紙を書いてみた。季語で言葉遊びをするような、昔の趣ある手紙をめざした。
筆といっても筆ペンだけど、普段から馴染みのないものなので握るだけで新鮮味を感じる。小学校の習字の授業を思い出す。
筆で書く字は、ほんの少しの力加減や角度、手の震えで大きく変化する。
習字が嫌いだった私には大変な作業だった。
綺麗な文字を書きたいが、まったく書けない。
下手くそだなぁと思いつつ書いていると、たまに達筆が生まれる。
達筆の後は集中が欠けて、また字が乱れる。その繰り返し。
相手に送る手紙なので、なるべく綺麗な字を生み出したい気持ちはある。
でも、綺麗に字を書くための ’’技術’’ や ’’慣れ’’ はない。
手紙を書く前から「失敗しても新しい紙に書き直さず、一筆書きで書こう」と決めていた。「その方が人間味出そう」くらいの考えで。
綺麗に字を書くことに意識を持っていくと、今度は手紙の内容がチグハグになる。自分がライターなことを忘れるくらい、まとまりがない文章が出来上がっていく。
もしライティングなら、ここからどう構成したら’’良い文章’’になるかなと考える。
しかし、手紙でそれをやるのは野暮だなと思って、相手のことに100%意識を向けて出てきた言葉を文字に表現した。
計2日間、約4時間かけてみて感じたこと、完成した手紙を見て思ったことをまとめます。
強い精神力がいる
筆を扱うのはとても繊細な作業。そして、数分で終わることではない。
故に、手紙を書くには強い集中力と根性がいる。
今の時代、SNSで片手が空いていれば相手にメッセージを送れる。
手紙はその点、気軽ではない。書く環境も心も集中力も整った状態でないと書き切るのは難しい。
瞑想になる
書いてるときは相手のことに100%意識を向ける時間だった。
少しでも他のことが頭によぎると、ブレたり歪んだり、字に現れて教えてくれる。
普段の生活ではほとんどの時間、常に自分についてのことが頭にある。
人生や仕事、家族、来週の予定、今日の晩御飯など。
いくら仕事に集中していても、究極は自分のためにやっている。
手紙を書いている間は、それらすべてから切り離された時間を過ごすことになる。ここが瞑想に似ている。
今に集中するタイプの瞑想と比べると、手紙を書くことは相手に100%の意識を向けるタイプの瞑想。
手紙と人生は似てる
一筆書きの手紙に限ると、失敗してもやり直しが利かない。
今の時代はいくらでも取り消し、上書きができる。
LINEのメッセージも気に入らなければ消去できる。
過去を消去することも可能。失敗を無かったことにできる。
これか。と、ずっと漠然と感じていた違和感の正体に気づいた。
「最近、世の中の失敗を見ることが少ない」
世界の失敗の総量が減っているわけじゃないと思う。失敗を隠せる時代になっていることに違和感を感じていた。
最悪なのは、国が失敗を無かったことにしている。
失敗から目を背けている限り、事体は良くはならない。
むしろ、失敗も肯定して前に進まないといけない。
失敗を恐れず、誠実に生きていこう。