書くのが好き
書く、と言われると何を思い浮かべますか?
文字を書く。がほとんどでしょう。
書くのが好き、と言われると何を思い浮かべますか?
文章を書くのが好き。に半分以上の人は言葉を「補填」しているのです。
日本語は、曖昧さが随一。その曖昧さを共有することの楽しみと、人によって少しズレる感覚のどちらにも「おもしろさ」を見出してきたからなのでしょう。
さて、本題からそれそうだったので、「書くのが好き」に戻ります。文章を書くのが好き、の他にも、文字を書くのが好きとも捉えられます。字形、字のバランス、字のデザイン。中身もですが視覚としての第一印象。今でも手書きにこだわる理由として人の温かさが感じられるからが挙げられます。
私は、文章を書くのも、文字を書くのも好きです。
言葉を表現することが好きなのかもしれませんね。
特に文字を書くことに関して、人一倍こだわりがあります。
書道を10年ほど習っていたから、というのは大きな要因でしょう。でも、書道を10年習えば、文字に、デザインに執着するかは別ですよね。綺麗にお手本通り書ければいい。臨書(主に中国の書で有名な人の字を手本に一字一字形を真似ること)の作品として完成していればいい。そんな人もいるかもしれません。それはそれで大変な作業と根気が要ります。
私は、お手本を写すこと、有名な書を学ぶことに留まらず、年賀状、合格祝いのお礼状など、生活に、私自身に結びつくものを「書くことが好き」だったのではと思います。
そう思うようになったのが、2019年年末のこと。急遽墨と筆と紙を買い、大晦日に書き納めをした時です。さっと話したいのですが、どうしても省けない説明があるため、経緯から話しましょう。
まずは急遽書かなくては行けなくなった理由から。伯父が、2020年、85のお祝いであったため、祝いの言葉を親に依頼されたことが始まり。この85のお祝い、あまり見慣れないのではないでしょうか?還暦は61だし、米寿は88。私の生まれ育った地域、沖縄では、干支に合わせた生年祝いが、風習として残っているのです。干支が一周すると十三祝い。昔はこれが成人の儀になっていたことから、今でも盛大に行われます。その後は61の還暦まで飛び、73、85、97とお祝いしていきます。それで85は生まれた干支が7度迎えられたお祝い、という訳です。
そして、そのお祝いで書いたのがこちら。
右の文章から順に、大まかな現代語訳を( )に書いていきます。
二葉から出でて幾年が経たら
巌抱ち松のもたへ清らさ
(新芽の二葉がでて何年が経てば
岩を抱く松のように栄え清らかになるのだろうか)
今年子の年や八十五の御祝い
子孫揃て百歳御願
(今年は子年で数え八十五のお祝いです
子も孫も皆揃って百歳まで健在であるよう願いましょう)
白髪御年寄や床の前に飾て
産し子歌しめて孫舞方
(白髪の御年寄は床の間の前に飾るように座ってもらい
その子供は歌を歌い孫には踊って祝ってもらいましょう)
このように、長寿をお祝いする琉歌を三つ書きました。琉歌についてはまた、いつか述べたいと思います。
書道を10年ほど習っていたとはいえ、進学のために地元を離れてからは碌に筆を持ってませんでした。筆ペンで遊ぶことはあっても、床に広げる大きさの紙に書くのは本当に久々で、最初に依頼された時は道具も何もないし、断りました。その時、親からはこう言われました。
弘法筆を選ばず、って言うさー
「いや、私は弘法様じゃないので筆も紙も選ばせてください」と咄嗟に切り返した文句は今でもそう思います。
しかし、その伯父の家に行くと、中学の時に賞を貰って副賞として貰えた私の文字が入ったキーホルダー、高校の合格祝いに書いたお礼状が今でも綺麗に飾ってありました。臨書展に出品した作品は、なんと床の間に飾られていました。私の書いたものをずっとずっと大事にしてくれて、自分の子や孫のように褒めてくれた伯父さんのお祝い。私なりのお祝いの仕方はこれしかないだろう、と家に帰ると祝言を調べ始め、その日の夜には筆ペンでデザインしていました。
技術の衰えは確かに感じました。今まで筆で書いたことのない字もありました。同じ漢字が続くと、字面がつまらなくならないように工夫したい、その技術はあるかの自問自答の繰り返し。なんとか形にして、お祝いとして渡すことが出来ました。
誰かのために
何かを伝えたくて
私は、筆をとる
それを実感できた2019の年末。
だからこそ、2020は伝えること、
とりわけ、私が届けたいことに
焦点を当てていきたいと思いました。
長文にお付き合い下さりありがとうございました。