見出し画像

聖戦旅行記4(グラナダ前編)

前作はこちら

聖戦旅行のサビ、グラナダ編!
この旅行記書くのが大変になってきた……、訪れるところが膨大だし、どんどん観光に慣れてきてイスラーム文化やスペインのことがわかってきて、歴史を吸収する力が上がっている。でもっ、た、楽しい……!


価格崩壊グラナダ

高速バスでグラナダに到着。グラナダへのバスは、2時間ちょっとかかったっけ。その後、高速バスステーションからグラナダ中心部に向かっては、現地のバスを使う。
その際に絶対に買うべきなのがこれ、グラナダのバスカード。これを買うだけで、 一度乗る時に1.5€かかるはずが0.45€になる。(金額の上下あるみたい。私が最初聞いていた情報より安かった)
このバスのプリペイドカードはバスに乗る時に購入可能で、最小チャージ額が5€で、それにデポジットが2€かかる。

激安カード

なんでそんなに安くなるのかわからないんだけど、デポジット分で稼げるからこのシステムにしてるのかな。または、あんまりこのカードの存在を知らない人が多いのか……?
グラナダ、結構山がちなところ多いから、観光行く時にも便利。このバス結構マイナーなところまでちゃんときてくれるし、とにかくおすすめ。

グラナダの街並み。バレンタインのせいかハートの飾りがあって相棒には不評だった。

早速チェックインしようと、大聖堂(カテドラル)の近くへ向かう。大聖堂の周りが旧市街で、観光客のホテルもここが多いようだ。スーツケースを持って降りる人たちはここが多かった。
なんと今回、三ツ星ホテルです

三ツ星ホテル★★★

グラナダ、とにかく価格がおかしくて、ダブルベッドの部屋3泊で2万円切った。安すぎる。後にバルセロナのお姉様に聞いたところ、アンダルシアは全体的に安いとのこと。いや、価格破壊すぎる。セビーリャのボロクソホステルが一泊2200円なのに、このグラナダは一泊3300円でお風呂バスタブあるし、トイレも綺麗だしバルコニーもあるし、電話すればフロント来てくれるし、そもそもフロント24時間だし!

到着してから休んで、夕方に少し散歩で外に出た。
最初に訪れたのがここ、マドラサ。

マドラサ入り口

マドラサとは、イスラームの教育施設のことで、ナスル朝の時代には神学校の役割を果たしていたところである。きっとここでアリストテレスが読まれていたに違いない!そう思って突撃したが、2階の観光名所的な部屋はその日フォーラムで使用されていた。そう、どうやら、ここ、観光というよりも普通に使われている施設らしい。その部屋は見れないけれど、自由に出入りができて中を見てきた。(1階にもちょっと当時の様子が残っているが、コルドバやセビーリャを見た後だと、はいはい、あるあるね〜って感じの展示だった。)

1階で見ることができた装飾部分。中には入れない。

1階ではなく、どうしても2階のその部屋の中が見たくて、別の日にもう一度行ったんだけど、その日も使用されてた。¿Por qué?(どうして?)

ここはスペインで唯一保存されているマドラサなので、ぜひみなさんは行ってほしい。(悔い)

肝心の部屋が使われていて地団駄を踏む私。この部屋結構アクティブに使われてるみたい。

ちなみに、この施設の前に、イサベル女王とフェルナンド王のカトリック両王の墓があるんだけど、有料(5€)。カトリックの王に興味なんてないな……と思いつつも水曜日だけ無料だという噂を聞いて訪れたら、事前にオンライン登録がないとダメと言われてやめちゃった。こいつらナスル朝堕としてるからな……。
二人の墓を見に水曜を狙っている人は注意。

アルバイシン地区

さて、気を取り直して次。グラナダでの旅程は、バスで到着した1日、2日目、3日目の3日間。
1日目がアルバイシン地区、2日目はアルハンブラ宮殿、3日目がサクラモンテ地区に行くことに。(決めていた訳ではなく、なんとなくそうなった)
アルバイシン地区とは、白い壁が特徴の山の斜面に家がたくさんある地域だ。

アルバイシン地区

旧市街中心地(大聖堂)からアルバイシン地区にあるサン・ニコラス展望台に向かう。距離的には遠くないけれど、結構な登り。地面は写真の通り石なので、歩きやすい靴必須だ。全然関係ないけど私は教会のバザーで10円で買った靴で旅行している。ブーツはおばあちゃま→ママ→私に回ってきたお下がりで、もう7年くらい履いている。どちらも、どこでも捨てれると思って持ってきたが、ここまでいろんなんところも一緒に歩いていると、逆に捨てられない大事な靴になってきた。

お決まりのように、旧市街の人が住む地域は狭い道が多い。これは、敵の侵入を防ぐためで、迷子になりそう。トレドもこんな感じだったのを思い出す。

ここら辺、Casa(家)という表記ではなくCarmen(カルメン)と書かれている住居がたくさんあって、何かと思えばちょっとした果樹園とか中庭がついている邸宅のことを指すらしい。

この地域は、ムーア人(めちゃ簡単にいうとイスラーム教徒で早い段階でイベリア半島に入ってきた人たち)によって住まれて、その建築様式が残っていることで世界遺産に登録されている。

とはいえ、この地域に人が住み始めた記録は紀元前7年からあり、ニケーア公会議の前、300年から303年頃にはグラナダでエルビラ教会会議が行われたらしい。これは公的に全教会が認めるものとして行われたわけではないが、この地域がいかに古くから発達していたかは伺える。
エルビラ教会会議は、ネットで全然出てこない、専門家しか知らんやろっていう会議だ。相棒が神学校の図書館で調べてきてくれた。どうやらこの教会会議で初めて「聖職者の独身制」について言及がされたらしい。相棒曰く「しょうもないこと決めてるな」。なお、この後紹介するグラナダの大聖堂は16世紀のものらしく、もしかしたら同じ場所に教会があったかもしれないが、今ある大聖堂自体が教会会議に関わっているという訳ではない。

閑話休題
その後、イスラームの時代が来て、ナスル朝の前、タイファ時代にジリ王がここで王朝を建てた。それをきっかけに、この地域が再び栄えることになった。このタイファ時代っていうのは、簡単にいえば王朝の力が足りずに諸国で分裂している状態の時にできた時代だ。
専門じゃなくて詳しくないので舌足らずで申し訳ないが(タイファという言葉自体、メディナ・アザハラの展示で初めて学んだ)、後ウマイヤ朝の後にタイファ時代が訪れる。11世紀の初めごろだ。
そもそも、後ウマイヤ朝での行政区分がそのままタイファ時代の区分になっているので、各地の統治を任せていて、その後その統治者がそこで王朝を建てたから諸国が台頭する時代になったようだ。
もちろん、ここグラナダだけではなく、セビーリャやトレド、コルドバもタイファ時代にはそれぞれ支配者が立った。

このアルバイシン地域はタイファ時代から再び栄え始めたが、ナスル朝の王朝がグラナダになり、最も栄える時代が訪れる。アルハンブラ宮殿とは別に、グラナダの城壁都市として、アルバイシンは重要な役割を果たした。

ちなみにこの地区の建物の壁はとても白くて、遠くから見てもすぐにそこがアルバイシン地区だとわかる。
地球の歩き方によれば、このアルバイシン地区の白い壁は、16世紀のアルプハラの反乱(Rebelión de las Alpujarras)でアベン・フメイヤ(アベン・ウメヤ)に率いられたイスラム反乱軍の血によって真っ赤に染まったらしいのだが、全然ソースがわからない。何しろ、論文サイトciniiでは10件ほどしか日本語でヒットしないし……。もしそうなら、すごい悲劇で胸キュンなんだけどな。

今のところはこのサイトが一番くわしいから興味がある人はどうぞ。

そんなアルバイシン地区の展望台で、サンドイッチを食べようという魂胆。

街中で買った「欲張り!」という名前のサンドイッチ。ナッツの入ったパンに、レーズン、チーズ、ハム、ジャムにオリーブが入ってる!美味しい!

夕焼けを見ようと思って登ったけれど、夕日の方向が違った。アホすぎる。
あと、曇ってて夕日とか関係なかった
相棒が「隣にパパ活してる日本人おる」っていうから聞き耳立てたら、マジで「明日はルイヴィトン買いに行こうか」「嬉しいです、やっぱり長く使うって思うとルイヴィトンですもんね」とか言ってて国に帰れよと思った。せめてフランスに行けよ

サン・ニコラス展望台から見たアルハンブラ宮殿。この緑の山の奥にあるオレンジの建物全体がアルハンブラ宮殿の一連の建築物。

展望台からはバスに乗って帰る。帰り道にも、明かにこれはお風呂だろっていう遺跡があったりして、歴史を感じた。歴史を感じる街ってこういうのをいうんだなあ。街を歩いて、歴史を感じるって思ってみることは憧れだったので、なんだか嬉しい。みんなが「歴史を感じる」って思ったのはこういうことだったのかと。

旧市街にもアーチがあって可愛い

大聖堂の近くでも、時代を感じるアーチがあったりして、街全体が古の空気を残していた。
さて、早速晩餐。

アルハンブラ宮殿に備えてアルハンブラビール。相変わらず味が薄い。

この日は疲れていたのでとっととビールを飲み、アルハンブラ宮殿の番組を見て(youtube)予習し、翌日に備えた。前日に予習をしたがる私に付き合ってくれる相棒にマジ感謝よ。変態じゃなきゃ無理ってこれ。

グラナダ大聖堂で朝礼拝

8:30の礼拝に出没る私、手持ちのりんごは礼拝後に食べた。この赤いカーディガン、この旅行で捨てよう!って思って持ってきているけれどお気に入りなせいで、もったいなくて何度も着てしまう。この日の終わりに無事に捨てました。
グラナダの大聖堂内部の様子

広くて大きな礼拝堂だった。んだけど、この日はこの後アルハンブラ宮殿に行ったせいで朝の礼拝の記憶がほとんどない。8:30の礼拝がぬるっと次の時間の9:30の礼拝に続いて意味がわからなかったことくらいしか覚えてない。他に何かないかと思い出そうとしても、あとこの礼拝に出ていたシスターの修学旅行軍団とは、アルハンブラでも再会したことしか出てこなかった。本当に内容の記憶がない。ま、でもあの礼拝は知らないうちに私の身になってますから……。

この大聖堂、バットレスが綺麗だった気がするんだけど、写真が見つからない……。セビーリャの大聖堂もバットレスが良かったんだよな、これも写真見つかり次第上げたい。バットレスを撮るの変すぎて忘れがちなのよね。

裁きの門からアルハンブラ宮殿に突入

これは裁きの門ではなく、ザクロの門

アルハンブラ宮殿、朝は徒歩で行ったけど、かなり登る。高尾山の手前を歩いた感じに疲れる。ちなみにグラナダのシンボルがザクロで、そもそも「グラナダ」ということがザクロって意味のスペイン語らしい。ガンダムの、月面都市グラナダも……。

坂を登ると、なんだかでかい噴水を発見。

でけえ噴水

うわーい!噴水だぜ!と思ってウキウキで近寄ったら、カルロス5世って書いてあってガン萎えした。

KAROLO QUINTO カルロ5と書いてある。カルロス5世の噴水というわけ。

カルロス5世がむかつくのは、こいつがアルハンブラに自分の宮殿を建てようとしたことなのだけれど、まあその話は後に残しておこう。

この噴水を超えてしばらく歩くと、ようやく入り口の門が見えてくる。

裁きの門。馬蹄型アーチの中央のキーストーン(白い石)には、手と鍵が描かれている。

でかい。とにかく大きい。
ちなみにこの日もかなり暖かく、上着なしでいけた。スペインのアンダルシアは本当に暖かい温帯地中海性気候(Csa)だ。多分。
ケッペンの気候区分とか、高校生でやった時はなんだこれ意味あるのか?って思ってたけど、旅行先の気候を知る上でとても大事だった。いつだって学んでいる時は意味がわからなくて、それを感じるのは大人になってからだぜ。

裁きの門の中

裁きの門は、中で折れ曲がった構造になっていた。フランス語のガイドは「ここに食料を貯蓄していた」とか言っていたけれどだんだん胡散臭いガイドが多いことに気づき始めたので信憑性ないと感じた。普通に敵を通しにくいためだと思う。

ぶどう酒の門

続いてあるのがぶどう酒の門。ここで脱税(というかおそらく免税)ぶどう酒が売られていたかららしい、との逸話がありかなり好き。この門には「ただひとり、アラーのみが勝利者である」と書かれている。

ぶどう酒の門を抜けてから、最初に向かったのは、軍事施設であるアルカサバだ。
アルハンブラ宮殿の中は、無料で見れる場所もあるが、このアルカサバとナスル宮殿、あとヘネラリフェと呼ばれる庭は有料。オンラインで早めに予約をしたほうがいい。19€かかるが見応え最高。当日販売もあるらしいけれど、私がチケットを取っている時も一週間先は全部売り切れていたので、期待しないほうがいい。ナスル宮殿だけ時間指定がある。

軍事拠点アルカサバ


アルハンブラには、壁で仕切られたお城の中に、ナスル宮殿などの王様の住居があり、他には貴族の家などの住む場所があったほか、アルカサバのような軍事施設なども入っている。
そして、このアルカサバはアルハンブラの中でも最も古い時代に作られていた。(なので、アルハンブラが発展する前は、アルカサバでも王様が寝泊まりしていたみたい)
(アルハンブラ宮殿とアルハンブラが表記揺れしてるんだけど、この建物一体を宮殿と呼ぶことにしっくりきてないからアルハンブラ呼びしているだけなので気にせず読み進めて欲しい。指示対象はこのアルハンブラ宮殿と呼ばれる地域のことだ。おそらくかつては宮廷都市として全体を宮殿と言えるように栄えていたのだけれど、今となってはそれが見えずらいので宮殿と呼ぶのにちょっと抵抗がある。とはいえ、アルハンブラという地名ではないのでアルハンブラ宮殿と呼ぶのが相応しいのだろうが……。雑談でした。)

ところで、今までの旅行では「アルカサル」によく訪れていたが、「アルカサバ」との違いはほとんどないらしい。一応、前者が城、後者は砦と訳されたりする。

アルカサバからの眺め。街の南を見ている。

ここから敵を見るために、見張りに適した塔がたくさんあり、街が一望できる。どういう感じかわからないから地図を参照すると、上の写真は、下の地図の青い矢印の方を撮ったものだ。

グラナダ地図。今いるのは、赤いアルカサバという場所。
アルカサバの場所から大聖堂は直線距離だとかなり近く(1km)感じるのだけれど、山なので徒歩で行くには30分くらい山をのぼることになる。

このアルカサバから、緑の矢印の方向を見たのが次の写真。

奥に住宅地が見える。同じくアルカサバの塔からの眺め。サンニコラス展望台はギリ写ってない。

お分かりだろうか、この白い壁が……。そう、アルバイシン地区である。他の方向を見るときと明らかに違って、とにかく白い。この白、くすんでないオフホワイトだから、目に飛び込んでくる。
なお、地図に書いたように、緑で囲った場所はアルバイシン地区なんだけど、その奥は黄色く囲ったサクロモンテというまた異なる地区である。上の写真でも、山の方に壁が斜面に則して建っているのがわかるはず。この壁の奥の部分がサクロモンテ地区だ。サクロモンテ地区の住民も、白い住居を構えているのだが、こっちはこっちで掘った洞窟を白く塗っている地域なのでわけがちがう。それはまた後の話にしよう。

ベラの塔

アルカサバの奥にはベラの塔と呼ばれる軍事施設があり、かなりの遺跡が残っている。

何があったか分からない階段。一人しか通れない。

どんなふうに利用されていたかが想像しにくいが、見応えはあった。ベラの塔という名前の由来は、ここにある鐘が由来らしい。農民に灌漑の時間を教えるために鐘が作られて鳴らされていたようだ。
今思えば、確かにここら辺の塔で鐘を見たんだけど、あまりに変な場所にあったっから後々誰かがつけた鐘だとしか思えなかった。ってか浮いてた。

カルロス5世め……

カルロス5世の宮殿

続いて、カルロス5世の宮殿に訪れた。こいつ、コルドバのメスキータも改変許可を出した建築馬鹿野郎だ。私はそこまでイスラーム文化オタクという訳ではないが、イスラーム文化の素晴らしい建築物をアホみたいなキリスト教建築でぶっ壊すのはどうかとおもう。(反対に同じことを、ハギアソフィアに行った時にはイスラーム側にキレてた)
カルロス5世は、アルハンブラ宮殿にハネムーンで訪れた時に、僕の宮殿作る〜!って決めてこの宮殿を作るように命じた。建築資金は、グラナダに住んでいたムーア人たちだったんだけど、建築中にムーア人追放令が出たことで資金不足で工事は中止。こいつというやつは……。ちなみにムーア人といえば、アルバイシン地区の白い家に住んでた人たちのことだ。

この宮殿、特に見所といった見所はなく、円形競技場みたいなホールがあっただけだった。
2階は現代美術館になっていて、有料。1階は博物館になっていたので、それに入場した。アルハンブラ美術館、最高だった。

アルハンブラ美術館たのし〜!!!

手と鍵

裁きの門にもこの手が描かれていたのを思い出して欲しい。これは、イスラーム文化でよく見る「ハムサ」といういうもの。ファーティマの手と呼ばれたりする。邪目を打ち倒す意味の印だ。
この文化圏では、青い目を持つ人は呪う力を持ってるとか邪目とか言われていて、それに対抗するためのアイテムみたいだ。面白い。青い目、一方では王子様って言われたり、呪いの目だったりするんだな。
鍵の方は諸説あるみたいだが、天国の扉を開け閉めする鍵っぽい。よく分からん。



そしてこれ、王座!throne!
ここ数年英語を勉強してないせいで、正直この2年で覚えた英単語throneだけだ。(前回のギリシャ旅行のミケーネ遺跡でアガメムノンの王座のあった場所でこの単語を覚えた)

折りたたみ式王座

折りたたみ式、と展示にも書いてあったので、本気の王座ではなく何かイベントがあった時の王座かもしれない。またはthroneって書いてあったけど王座ではない意味で訳されていたかも……。
もしくは、あんまり椅子に座る文化がなかったのもありそう。
この王座自体はナスル朝のもので、1380年頃に作られたものだとか。背もたれの皮に装飾がされていて、ナスル朝の盾が描かれている。中央に盾っぽいやつにストライプが入っているのがそれだ。(見にくい)

そしてあの模様!

セビーリャでたくさん見たこの模様!コマレス宮殿にあったもの(

このタイルの上には、筆記体で「力は神のもの、栄光は神のもの、強さは神のもの」というフレーズが繰り返されている。これを見てようやく、本当にこの模様は当時からあったんだ!と判明した。そして、セビーリャで見た模様はその後作られた壁紙だということも判明した!
タイル、一枚のタイルではなくて、寄木細工のように、何枚ものタイルを組み合わせて作っているのだ。すごい技術。白黒緑青飴色(黄色)の順に作られるらしい。なるほど、綺麗だ。

グラナダで使われた硬貨

硬貨には王朝のモットーである「神以外に勝利者はいない」ということが刻まれている。
この硬貨の展示の説明が面白かった。

鋳造はアルハンブラ宮殿と記載があり、かつ銀やごくまれに銅をふくむこのコインの形式は異例であること、さらに金の含有量の少なさを鑑みると、特に政治的に不安定な時に、例外的に発行されたコインだということが示唆される。

アルハンブラ博物館 展示の解説

という考察があった。なるほど、最後のイスラーム王朝であるナスル朝はそれは政治的にも不安定な時がたくさんあっただろう。それがこの小さな硬貨からも窺えるなんて、面白いじゃないか!ウキウキしちゃう!
こんな面白い博物館無料でいいのか?という感じだった。他にも、ナスル王宮から持ってきている展示物や、当時どうやって水を引いていたかなど、さまざまな説明があって、かなり充実した展示だった。

豪華絢爛ナスル宮殿

ナスル宮殿、マジやばい。

ナスル宮殿内
ナスル宮殿内
ナスル宮殿内

この宮殿、細かくはメスアール宮、コマレス宮、ライオン宮に分かれるが、もうそれのどれもが美しすぎて言葉にできない。ガイドが色々説明をしてくれたり(これは乞食リスニング)、解説もあったんだけど、ただ口を開けて上をぼーっと見ることしかできなかった。写真に収めてしまうとわからないけれど、この建物の中を歩いている時の圧倒は筆舌できないほど感動的だった。ここまでの写真はコマレス宮殿のもので、王の公的な生活に使われた場所だ。

イスラーム王朝最後の建築作品がこれかと思うと、鳥肌が立つ。壮絶な戦いの末に落ちたナスル朝だが、その繁栄も素晴らしいものだったんだろうな。
上を見ながら歩いて疲れたら、椅子を発見。

観光客が座ってOKな椅子

あ、これ!王座じゃん!!!王座と同じ形だ!

王権ゲットした相棒

早速相棒が座ってた。
ちなみに写真からもわかるように壁にあのタイルが結構あった。特にメスアール宮に多かった。確か博物館のものもメスアール宮殿から救出してきたタイルだとあったし。

飛行機を模したタイルだってどこかで読んだから飛行機のポーズをしたんだけど、この時代に飛行機はありえんし、何か違う単語を読み違えた可能性が高い。鳥が飛ぶ意味のvolを飛行機のvolと勘違いしたりとかしてそう。

その後、有名なライオンの中庭へ向かう。ここで生活していた王様達はどんな気分だったんだろうなと思いながらも歩く。正直こんな凝った内装の家で寝たら悪夢を見そう。

ライオンの中庭

ここら辺は、王族のための私的な空間らしく、(なぜか公的な場所よりも)どんどん装飾が綺麗になっていく。この中庭には、124本もの柱が立っていて、壮観。

すごく有名なライオンの噴水

どこがライオンなのか理解しかねる。ライオン見たことない???
どうやら12匹いて、12星座を表しているらしい。これを模したお土産が散見されたけれど、元が変なのに、それを模したお土産もいらんやろ。

もう見尽くしたかなと思って続く部屋に入ったら、これが出てきて息を呑んだ。

ライオン宮 二姉妹の間

圧巻の天井だった。どこを見ても飽きない。なんなんだこの天井は。吸い込まれそうな、異様な美だ。

これまでも、イスラーム独特の天井のヴォールトのデザインはいくつも見てきた。メスキータには、細かな幾何学模様の天井があったし。でもこんなに凝ったものは初めて見る。
綺麗なものを伝える語彙が足りないのが悔しい。いやでも本当に圧巻だった。天使が魔法でもかけたのかと思った。今にでも動きそうな迫力。

これはムカルナスと言われる装飾で、アンダルシアにはムワッヒド朝によってもたらされた技術らしい。なるほど、だからコルドバにはなかったのか。コルドバが盛えたのは後ウマイヤ朝の時だからだ。

ムワッヒド朝というのは、後ウマイヤ朝の後にできたイスラーム王朝の一つ。世界史の入試の知識的には、後ウマイヤ朝(756-1031)後にムラービト朝(1056-1147)ができて、次にムワッヒド朝(1130-1269)ができるのがポイント。
ナスル朝はその後1232年からグラナダ陥落の1492年まで続いた。ムラービト朝もムワッヒド朝もベルベル人の王朝で、並べ替え問題とかでよく出ていた印象がある。
今回の旅行記に全く出てこなかったのは、これらの王朝の首都がモロッコだからだ。スペインとモロッコは本当に近いから、統治の範囲にアンダルシアが含まれていたことは想像に難くない。

ムカルナスの作り方

ムカルナスはこのように、細かいパーツをいくつも集めて幾何学模様を作っているらしい。「幾何学模様」って突き詰めるとこうなるんだなあ。今の時代なら簡単に再現できるのかもしれないけれど、同時の技術でこれを作っていた職人のことを思うと、すごいって言葉しか出てこない。
この天井を見るためにわざわざアルハンブラに行ってもいいくらい、本当に素晴らしい天井だった。読者の皆さんもぜひどうぞ。

日本では、深見奈緒子さんがこういう建築の研究をしているみたいで、今度本を探してみようと思う。(授業も受けたいなあ……、何歳だろう……)

大きな口を開けて天井をボケーっと見て歩いていると、明らかにお風呂っぽいものを見つけた。この穴の空き方。絶対にBaño(バーニョ)だ!お風呂!

独特の天井の窓が開いている。ドーム型の屋根!しかも小さい!

ほらね!!!

浴場でした。

こんな感じで、残りのナスル宮殿も満喫した。が、もう他の部分は取るに足らなすぎて、特に言うことがない。こればかりは仕方ない。

噴水の大渋滞 ヘネラリフェ

へネラリフェの庭。偶然居合わせた日本人ガイドさん(を勝手に盗み聞きした)のよると、薔薇が咲いたらここがアルハンブラ宮殿映えスポットらしいので写真撮っといた。

アルハンブラ宮殿から出て、20分くらい歩いて丘に登るとヘネラリフェに到達する。ここはナスル朝の余暇のための別荘らしい。別名「水の宮殿」。掃いて捨てるほど噴水やら水場がある。

アセキアの中庭

とにかく庭が綺麗に残っていた。

ヘネラリフェの中庭と装飾。

ここ、ゆっくり歩いてたら英語ガイドがいて、話を聞いたら、「ここは王様が女や子供を隔離するために建てたんですよ。見て、あの2階の窓、格子がついてるでしょう?ヘネラリフェっていうのは英語で隔離って意味なんですよ」って言っててまじ?って思って調べたら真っ赤な嘘だった。そもそも、王様の奥さん達のためのハーレムはライオン宮にあるっていうね。ヘネラリフェの名前の由来は諸説あるけれど、その一つとして「建築家(alarife)」に由来しているという説が有力ぽい。

建物の装飾は、ナスル宮殿に比べたら落ち着いていた。本当に心を落ち着けるための場所だったらしい。

掃いて捨てるほどある噴水。

庭も幾つも噴水があって何が何だかわからなかった。階段で森に登ったら階段のそばにも水が流れるようになってて「水の階段」とか名前がついてたし、適当なところ歩いててもすぐ泉があった。

で、歩いてたら泉につまずいてスカートが破れた。

スカートの後ろが哀れに破れた瞬間。

このスカート、年明けに単衣の着物を開いて作ったスカートだったんだけど、この後ろのところは元々の手縫いだった部分で弱かったみたい。ミャクミャクスカートと一部(母)から呼ばれている。

制作過程

相棒からの「これくらいのスリットは世の中に普通にある」のフォローを受けて、スカート裂け女として丘を下った。アルハンブラ宮殿では泉に躓いてスカート破れる可能性あるので気をつけられたい。ズボンがいいかも。あと足元に気をつけたほうがいい。いつ泉があるかわからん。

なんでこんなに噴水やら泉があるのかというと、水の少ないアラブ世界にとっては水はとても重要な存在だからだ。あればあるだけ富を示せる。
あとはこの地域暑いから、水場があると涼しくなるっていう理由もある。(このためか、日本のサイトはヘネラリフェを夏の別荘と紹介していた。ソースがわからんが、水場がこれだけあれば夏向きだろう)

イスラーム世界で水が乏しい地域から来た人たちが喜んで噴水を大量に作ったのを想像するとだいぶ面白い。「み、みみみ水がっ、こんなにーっ?!噴水作り放題だーーー!!!」てなったんだろな。
それにグラナダにきたアラブの人たちが、どれほど噴水の多さに圧倒されたのかを想像すると笑える。そりゃびびっただろうな、ってくらい噴水があった。

他、無料で見れるゾーンも楽しんだ。これは相棒が気に入った水場

相棒のお気に入りの池(以下「女池」)

この池を見ながら、「私が王様だったらここで女どもを泳がせるのに」って言っててドン引きした。「のに」ってどういう助詞???
どこか残念そうに言うのがホラーみあった。
池でプランクトンとかがベッタリついた女を抱くのイメージすると鳥肌たった。ちゃんとお掃除したらいいかも。

女池のそばにはかわいい家があった。町娘風写真撮ってもらった。今日からここが私の家です。

アルハンブラ宮殿の中にお土産屋さんもある。寄木細工の木箱とかが売っている。街でも買えるけどここが一番安かった。場所はぶどう酒の門の付近だ。

アトリエ併設、寄木細工お土産屋さん

正直、箱根で買えよ感はあったけど、ムカルナスを見た後の感動のままにお土産を購入。設定としては、グラナダに遠征に行った王子様がお土産に持ってきた木箱、です。

最後にアルハンブラ宮殿の中央にある教会に行こうとしたんだけど、どうやら時間帯で閉まっていた。流石に知らなかったのでショック。

左の扉が閉じている。サンタマリア教会

仕方がないので、この日は観光を終了し、ホテルへと戻ってきた。

2日目終了、晩餐!

朝から動いてるので、結構疲れていて、昼過ぎは昼寝。ちょうどこのタイミングで、ホテルでは停電が起きて、運悪くも私が持っていたコテが壊れちゃった。もう前髪が巻けないい。悲しい。

壊れたコテ。追悼写真。これが最後の姿です。

ホテルでシエスタを取り、夜はちょっぴりお出かけした。

夜のグラナダ

夜は20時以降に飯屋さんが繁盛していた。どこも楽しそうな雰囲気。
それを横目に、チュロスを食べに老舗の店へ。

デカチュロス

スペインといえばチュロスらしいので食べに行った。相棒は前日にもチュロスを食べてたから、「また???」て言っててごめんだった。相棒曰く、ここで食べたチュロスの方が油が良質だったと言っていた。
日本で食べるチュロスよりも中身が詰まってなくて、この量を割とあっさり二人で食べれる。チョコレートドリンクに浸して食べるのが普通で、そうしたけど、まあまあ美味しかった。ただ、もう二度と食べないかもなって程度の美味しさ。
ちなみに翌日めちゃくちゃお腹が緩くなって、自分の身体と油の相性の悪さに驚かされた。やはりもう二度と食べない。
その後、行こうとしていた飲食店が閉まっていたので涙ながらにスーパーに寄って帰ってきた。ぴえん。

晩酌ワインとハムとぶどう

相棒曰く、フルーツがめちゃくちゃ安いらしい。日本のぶどうの2倍以上の量が日本と同じ値段で売られているとのこと。私はほぼ毎日サラダ食べてたけど、相棒はほぼ毎日ぶどう食べてた。食生活が良くさらに動いたおかげか、私はこの旅行で痩せた。

最終日、サクロモンテ地区に迫る!

この翌日もグラナダで、サクロモンテ地区を訪れたのですが、長くなってしまったので、後編に分けた。ぜひどうぞ!






いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集