2024年、夏。切った横髪が肌に張り付いて鬱陶しい。ビルの間を抜けていく風は生ぬるく、終電で帰ってくる頃にもまだ涼しくない。 日本の夏が本格的におかしくなったのを感じる。終戦の頃、こんな暑さだったんだろうかと、と毎年思ったりしていたけれど、ここ数年の夏は異常で、当時よりよっぽど暑いだろうよ。 全く脈絡はないが、そんなこの夏、私は大島のワークキャンプへ参加することにした。 大事な夏休みの日にちがただ過ぎてしまうのを食い止めるぞ!という気持ちと、キャンプの受け入れ先である藤倉学
神奈川県のほぼ中心、駅がない街、綾瀬市。 この度、そんな綾瀬市で市長選があるということで、ボランティアとしてかなり関わったので(ほぼまるまる3ヶ月)、その報告とかを兼ねてnoteを記すこととする。 私自身、あまり選挙に詳しくなかったが、この選挙を通していろいろなことを学んだし、学生の身分で色々な困難もあったが(とにかく電話をかけるのが下手でいろいろな人を怒らせた)、総じて面白い経験をしたと思う。 (なお私のスペックを紹介しておくと、広義の大学生/20代/文系/同人オタク/政
前作はここから はい。禁酒旅行記も最終回。ここまでお付き合いいただいてて、感謝です。後少しですけど、お手柔らかに。 日曜日の朝! ホテルでは最終日の朝。もう慣れた朝ご飯をいただく。美味しい。 そして、この日は日曜日。向かった先は現地の教会だ。 フィリピンはカトリックが多い国なのだけれど、この日はプロテスタントのメソジストの教会に向かった。 礼拝、始まると言われていた時間に全然始まらなくて、30分くらい遅れて礼拝が始まった。信じられない……。礼拝ってこんなに時間が自由
前作はここから Day5 新たな作業はなにもない 朝ごはんからスタート 酢漬けした魚を揚げたものが出てきた。あんまり美味しくない……?というか変な感じ。魚なのに、油っぽい。 貧富の差が激しくて、その日の食事に困る子が街を歩いてるのを見るなかで、ご飯が食べられる幸せを感じるから、味が変でも、正直もう何も気にならないんだけど、それにしても、変な味で、うん?ってなった。もちろん完食。 すぐに労働へ向かう。 だんだん高くなってきて、コンクリートを入れるのも大変になってくる。
前回はこれです。 Day3 労働開始! 寝起きで髪の毛を三つ編みにし、ホテルの朝ごはんへ向かう。今日から本格的にボランティアスタートなので、化粧もせずにひたすら日焼け止めと虫除けを身体に塗り込んだ。 見て、この朝ごはん! 朝からガーリックライス食べる文化あったんだ! 右上の赤いのは揚げた肉に甘い何かを絡めたもの。左は酸っぱい漬物だった。 美味しいけどパンチ強くて、最終的にガーリックライスが負けてた。 もう少し軽くてもいいナ……と思いながらも完食。 なんだかんだ美味し
修士論文を提出したのが一月。そして、口頭試問を通過し、今度は博士課程の入試を無事に通過したのが二月。奨学金やら何やらを提出し、三月の中旬、ようやく春休みに入ることができた。 1ヶ月くらい何も考えずにぼーっと過ごしたい。そう思っていたけれど、そうはいかなかった。修士論文が忙しくて忙しくて大変だった去年の秋に、なぜか東南アジアへのボランティア旅行を入れていたからだ。(厳密にはボランティアではなく、ワークキャンプだったのだが、それは後々) 修論に追われているときは、海外旅行に行くと
前作はこちら。 コンスタンティ……イスタンブール! 愛すべく後輩は、イスタンブールのことを執拗にコンスタンティノープルと呼んでいた。後輩はビザンツ帝国に夢を見ているかつギリシャオタクなので、イスタンブールをトルコと思っておらず「未回収のギリシャ」とまで呼ぶし(ちょっと怖い)、旅程のファイルでも行き先はコンスタンティノープルと書いて共有してきた。 私は私で、後輩からコンスタンティノープルに行くと言われて、当初は違和感がなかった。コンスタンティノープルの場所は世界史Bでやった
前作はこちら。 てかさ、旅行記のボリュームがありすぎる。ちっとも書き終わらない。 旅行中にも書いていたつもりだったが、もっとがっつり書いておけばよかった。 ということでテサロニケ編。 ギリシャでは、この夏、洪水があり、陸路が難しそうだったのでアテネからテサロニケへは飛行機を使った。チケットは日本で確か1週間前くらいに取ったけど、一人12000円くらいだったはず。ただ格安便なので手荷物を15キロ程度に抑える必要があり、アテネでは重めのお土産が買えなかった。 飛行機を取る前
前作はこちら 実はギリシャ料理があんまり口に合わなくて(外食続きだったからかなのか、味が濃くてが多くって、胃にきて、ニキビまでできたので)、サクっと食べるものが増えたアテネ編。 ちなみに後輩は、大好きな国ギリシャに来たことでエナジーを得たのか、日に日に食べる量が増して、初日は「この子こんなに少食だったのか……」って思ってたのに旅行終了間際には別人になってた。 人気店と聞いて来訪したらガラガラだったピタサンド ピタに肉を挟んだ、ケバブのような食べ物がギリシャではよくみられ
前作はこちら。 アテネに到着。 ナフプリオからはKTELの直行バスでアテネのバスターミナルへと戻ってきた。(いままでの流れを確認しておくと、日本→シンガポール(トランジット)→アテネ→スパルタ→ナフプリオ→アテネ) アテネのバスターミナルからホテルへは、ギリシャタクシーの相乗りを経験し、さらにタクシーでぼったくられた(本来せいぜい7€のところを15€)のだが、私がギリシャ語全然わからなかった手落ちと、ガツガツ問い詰めれなかったので無念。 大都市や観光地で旅行する時に思うの
前作はこちら スパルタからナフプリオへと出発 スパルタからナフプリオへの直行バスはない。ターミナルのバスステーションへと移動し、そこからナフプリオへ向かうバスに乗り換える。チケット買うのは難しそうに見えた(後輩が買ったのを真似たので、私は楽に買えた) とはいえ、Google mapで行き方検索して出てきたチケットを見せながら買えば楽勝なのかもしれない。すごい時代になったな。 どこのバスターミナルを経由したのか確認しようとしたら、最初に乗ったチケットには「from スパルタ
今年の春、恩師が死んだ。恩師は私に酒の美味しさを教えてくれた、すごく大事な人だったが、(おそらく)酒の飲み過ぎで留学中に急逝してしまったのだった。 そして夏。恩師を介して親しくしている後輩が、一人で海外旅行に行くと言い出した。後輩まで海外で急逝したら嫌だと(何をとち狂ったか)思い、後輩の旅行に私もついていかせてもらうことになった。 9月下旬の旅行だが、行くと決めたのは一月前で、それからチケット等を取った(ほとんど後輩が取ってくれた。ありがとう)。 これは、旅行中にいろいろ調