見出し画像

出奔旅行記2(ギリシャ/ナフプリオ編)

前作はこちら


スパルタからナフプリオへと出発

スパルタからナフプリオへの直行バスはない。ターミナルのバスステーションへと移動し、そこからナフプリオへ向かうバスに乗り換える。チケット買うのは難しそうに見えた(後輩が買ったのを真似たので、私は楽に買えた)
とはいえ、Google mapで行き方検索して出てきたチケットを見せながら買えば楽勝なのかもしれない。すごい時代になったな。
どこのバスターミナルを経由したのか確認しようとしたら、最初に乗ったチケットには「from スパルタ to 地峡」と買いてあって、意味がわからなかった。行き先の表記もうすこししっかりして欲しい。

どこを消せばいいのかわからなくていろいろ消したチケット。赤線がfrom-toが書いてあるところ

一応調べたところ、Ισθμός Κορίνθουと言って、コリントス地峡のことらしい。
そこのバスターミナルで、今度はナフプリオ行きのバスチケットを購入し、いざナフプリオへ出発。

新しい場所への移動でドキドキしている車内

ちなみに、ナフプリオのKTELのバスターミナルにはコインロッカーがある。ナフプリオ市内は、ホテルがある方(安いホテルの方)は坂道で階段が多いので、チェックイン前やチェックイン後に行動をするのであればここのコインロッカーは非常に便利だった。サイズもかなりでかいので、海外旅行に使うような普通のサイズの荷物であれば入ると思われる。
このロッカー、行く前に画像でみたときには「え……これサイズいくつ……?入らなかったらどうする……?」って死ぬほど心配してたけれど、そんなに心配しなくていい。ロッカーの使用率もそれほど高くない(車移動している人が多いからだと思う)ので、使えないってことは滅多になさそうな感じだった。
ちなみにここのバスターミナルのトイレは有料。

ナフプリオのバスターミナルに設置されているコインロッカー

そもそも、行くまで私はナフプリオっていう街を知らなかった。行く前に後輩から何度か「ナフプリオでビーチいきましょうね!」「ナフプリオのホテルとっちゃいます!」と聞いていた気もするのだが、知らん単語すぎて脳から抜けていた。
ナフプリオとは、ギリシャの首都が置かれていたこともある歴史ある街で、港街である。今は、観光地として有名なようで、多くの観光客がいた。何度か若いアジア人も見かけたので、スパルタよりは(スパルタにはアジア人1組しかいなかった)人気の観光地らしい。

奥に見えるのがパラミディ要塞

地獄の階段パラミディ要塞攻め
ナフプリオに来て目に入るのが、この山の上に立っているヤバそうな城っぽいやつだ。高いところがあると登りたくなるのはバカの性なので、早速登ってみる。
パラミディ要塞と呼ばれる要塞で、徒歩では階段を約1000段登って入ることができる。この要塞は、保存状態がかなり良かったが、ミストラをみた後の私にはちょっと物足りなかった。パンフレットがオンライン配布されていて、それを読めば百倍楽しいかもしれない。

要塞の奥の方。頂上は野原っぽくなっていて、ミストラの頂上と似ていた。

要塞の下の方では、ちょっとした教会や、牢獄などが見学できた。

牢獄の中に入ってみた時。後輩撮影。

今回の旅行でいくつかの牢獄をみたけれど、この牢獄は結構広いタイプで、おそらく何人もの罪人を押し込んで入れていたタイプだと思う。手前の四角のくぼみにはきっと分厚い扉が設置されていた。逃げられそうになかった。

監獄以外はけっこう写真映えするスポットだから、映え写真が取れるかも。

降ってる時の階段の写真。後輩撮影。

なお、階段が嫌であれば車で反対側から簡単に登ることができる。タクシーで行くのもアリ。
太陽の位置によっては日陰がなくなるから、夏場に登るときは時間も考慮した方がよい。パラミディ要塞の入場は8時からだけど、階段はそれより前に登ることができるから、7時過ぎに登り始めて8時に要塞を見学し、暑くなる前に階段を降り切るのがおすすめ。

階段途中からの写真。コナンの映画ならあの真ん中の四角い建物が爆発する

階段で登ると、街の景色がすこしずつ変わって見えるので面白かった。写真右手側がナフプリオの街(見えているのは旧市街と呼ばれる部分。さらに手前には新市街が広がっている)、左はビーチ。街からビーチまでは20分くらい歩くと着く。小さな街だ。

避暑地バカンス風ビーチ(暑い)

浅瀬のビーチ。砂浜というよりも砂利で、ニースの海岸に少し似ている。

9月下旬にいったけれど、暑すぎて、ばしゃばしゃ泳げる感じではなかった。後輩は元気に泳いだが、私は脚だけで断念。日差しを浴びながら水着で読書をしようと、砂に敷くバスタオルと本を持っていたけれど、結局端っこの日陰で涼みながら本を読んでいた。

シンガポールで購入したアルケミスト

とはいえ、あまりに暑かったのと、後輩は泳ぐ目的だったみたいで波を見ながらぼんやりするノリではなく、とっとと海からは撤収。まじで、もう少し日差しが弱ければ気持ちがいいんだけどな……。ここで遊びたい人は、ビーチパラソルを持ち込んだ方がいいかもしれない。シーズンによっては屋台とかもありそうなのだが、行ったときには何もなかった。湘南の民としては(自己紹介)、夜に来るのも良さそう。

可愛い街並みの中の殺人スポット

旧市街の建物はだいたいかわいかった。聖スピリドナス教会近くの街並み。

タクシーのおじさんにオススメされて、イオアニス・カポディストリアス(ギリシャ初代大統領)が射殺されたスポットにも訪れた。聖スピリドナス教会の近くで殺されてしまったらしく、教会にはその絵画が飾られていた。

妙なテイストの絵だとおもっていたら、ここ数年で描かれたものだった。

教会の壁には、銃痕がのこっていて生々しい。白い壁が血で濡れた様子が想像できる。タクシーのおじさんは、「この大統領は偉大で殺してはいけないナイスガイだったのに、(当時の人たちは)殺してしまったんだよ」と言っていて、イオアニス・カポディストリアスがギリシャの人たちにいまだに人気があるのがわかった。アテネ大学の名前にもこの人の名前が入っているし、独立時のキーパーソンだったのは確かだろう。

囲ってある部分が弾の跡がある場所、他は改築が進んでいるようだった。

お土産を探していてつい衝動買いした陶器屋さん
ギリシャのお土産は、ほとんど中華製品の謎アイテムばかりで、これぞというものを探すのは難しい。そんな中、街を歩いていてなにこれ!?と思いググったら良さげだから訪れてみたお店がこちら。

最初は、工房で予約しないと入れないかと思ったが、反対側の入り口がお店だった。

この特徴的な穴が開いている陶器がこのお店の売りなんだけれど、ランプやアロマグッズが多くて、家中に本が積んである貧乏学生の狭部屋に置けるものがなかった。飛行機で持って帰れるサイズを探すのもちょっと難しい。
空洞は一つ一つ、くり抜く道具で穴を開けて作っているらしい。道具も見せてくれたけれど、職人の技を感じた。去年の今頃に、私自身陶芸体験をして、陶芸の難しさを大いに感じていたので、こういった世界観を作れる職人カッケ〜〜〜!
にしてもマジで私の家におけるものがないので、家族へのお土産を購入することに。

こうやってみると全部欲しくなる。ハンドメイドなので少しずつ形が全て違った。

ぐい飲みはいくつあってもいいっていう家訓に従い、家族のためにぐい飲みを買った。ちなみに、家族がぐい飲みで酒を飲んでいるところは見たことがない。
包装してもらっている最中に、見たことのない形のペン立てが目に入り、「これならスーツケースに入る!集合恐怖症の友達を倒せそう!買わなきゃ後悔する!いや、買えっていう神の声聞こえるかも!」って雑な天命が降ったのでこっちも購入。

右奥がペン立て。花瓶にしてもいいらしい。メイク用の筆を立てる予定。

店のマダムに包装の手間をかけてしまい、ごめんと謝ると、「謝ることはないわ。こっちはあなたの家族のため、こっちはあなた自身のためでしょう?」と素敵に切り返された。お店の猫の名前はステラというらしく、どこまでもお洒落なお店だった。ラッピングも可愛い。ナフプリオのことは忘れません。

お洒落な陶器屋さんの近くの通り。後輩撮影。

港に近いところの街は、細い道に天井をつくるみたいに花が咲いていて、すごくきれいだった。カメラを向けると急にうつくしさがぺしゃんこになっちゃう気がしてたけど、旅を終えてこうやって写真をみると、「あ〜きれいだったな〜」って思い返せるからいいな……(しみじみ)

ナフオ飯

今やピアニストになった友達が、スケルツォのことを「スケオ」と省略していた。ナフプリオの名前を聞くと、どうしてもその子の声が蘇り、「ナフオ」と呼びたくなる。ということでナフオ飯を紹介。

豪快なグリークサラダ

ギリシャサラダは、とにかく豪快な出され方をしていた。上に乗っているフェタチーズが特徴的で、これをちょっと崩して野菜と混ぜながら食べる。ワイルドな感じで美味しい。にしても量が多い。

自家製パスタの謎キノコ

オリーブオイルとチーズとキノコで味付けされた美味しいけれど謎ササミ入りパスタをいただく。パスタはお店でつくっているらしく、形が独特だった。
地元民も行くお店、ということで様々なサイトで高評価のお店だった。しかし周りには観光客しかいなかったので、本当に地元民も行くのかは不明。量が半端なかった。デザートまで出てきて(ギリシャはデザートがサービスでつくことが多い)、死ぬ気で食べ切った。

下のサイトでメニューを見直したが、写真のパスタは別メニューだったみたいで乗っていなかった。誰か食べたらこれが何パスタなのかを教えて欲しい。

ちなみに、似たようなパスタはサイゼリアで発見した。

PA16 サイゼリヤのスパゲティ

もう少しチーズが効いてたり、ブイヨンぽい味がしたけれど、原型はサイゼのこれで間違いないと思う。ていうかサイゼのこれはこれですごく美味しかった。

また、他のタベルナ(大衆食堂)では、ムサカをいただいた。

旧市街の中心部近くのお店でランチをした時。

店を探すのが若干だるかったので適当に入ったお店。上記の店は後輩が調べてくれていたが、こっちは一か八かで入ったけれど、そこそこ美味しかった。

ムサカというよりキッシュっぽい感じだった。

これは全然ギリシャ料理に関係ないのだが、ギリシャにはめちゃくちゃ猫がいる。こういったレストランの外席に座っていると、もれなく足下に猫がきて餌を狙っている。
ナフプリオについてから、外でご飯を食べると喉が痒かった。アレルギー食品を食べた時みたいな痒さだ。自分のアレルギー食品は把握しているので、それを避けたお皿を頼んでいたのに、めちゃくちゃ痒い。
原因がわからずに怖いし、痒くてつらいし、意味が分からなくてイライラしていたが、ふと足下を見て気づいた。おまえらか!

街に佇む猫。すごい量生息している。一応地域猫らしく耳が切られている。

動物が苦手なので、そもそも動物にここまで近づくことが滅多にないから気づかなかったが、猫アレルギーらしかった。
それ以降、猫がいる飯屋を避けることで症状は全くなくなった。ウケる。
ギリシャ人にも猫アレルギーいるだろうに、大変だろうなと同情した。

気を取り直して、ナフオ飯後半戦

チョコレートとハニーのジェラート

このアイス最高に美味しかった。滞在中に2回も食べてしまった。
ナフプリオ行く人がいたらぜひ食べて欲しい。https://www.instagram.com/lamande_nafplio/?hl=ja

クローリ(Koulouri)と呼ばれるパンも食べた。

現地でよく食べられてるパン。0.5-0.8€ほどで食べられる。

甘いパンで、朝ご飯に行ける味。持ちやすいし食べやすい。中に何かが入っているわけではなく、素朴なゴマパンだった。
クローリは、ナフプリオ以外でも食べられるギリシャのローカルフードらしい。トルコでは違うシミットという名前で売られている。クローリについて検索すると、ウィキはシミットに飛ばされた。あまりに生活に根付いているのか説明が薄い。

美味しいお菓子屋さんにも来訪。
23時過ぎまでお店があいていた。グラムで測って売っているスタイル。あまりに少量買ったら適当に値段つけられて面白かった。

適当にお菓子を購入したやつ。

丸くて白いお菓子を食べたのだけれど、何を食べたか本当にわけがわからなかった。癖になる味で、友達の家に呼ばれた時に買っていくと喜ばれそうなお菓子だった。バクラヴァなどいろいろあるし、買って帰って夜にホテルでムシャムシャ食べるのに最適。ホームページはリンクが切れていたのでフェイスブックのリンクを置いておく。

とりあえずアルファビール

眠る後輩を起こさないように窓辺で飲むビール

移動や観光がハードすぎて世界には酒というものがあることをわすれていたが、ようやくここでアルコールを注入した。ウゾをロックで飲もうとも思ったが、よくよく考えると、毎日ハードな観光スケジュールなのに万が一酒が残ったりでもしたら後輩から「これだから酒クズは……」と思われるに決まっているのでビールにした。ビールは恩師が死んでから(スパルタ編参照)とても美味しく感じる。恩師が死んで私の舌が大人になったのかもしれない。天国でも美味しく酒を飲んでてくれ、恩師……。

ビールを飲んでいると、10時の教会の鐘がきこえてきて、風情があってよかった。ちなみにナフプリオの教会は時報が5分ほど遅れていた。

アルファビールはラガーだけれど、重たくなくて、飲みやすい。ギリシャのご飯に合いそうな、爽やかな感じのビールだった。
店のサーバーで飲んだらもっと美味しいんだろうなと思ったが、あれはサーバーがしっかり洗浄されているから美味しい。あてずっぽうに店に入っても、サーバーが綺麗かなんてわからない。ひと目、サーバーを見ただけで常日頃から洗浄されているか否かがわかる能力があればいいのにな……などとくだらないことを思いながら晩酌を楽しんだ。

黄金に富むミケーネ

ナフオ、ただ綺麗でビーチがあってパラミディ要塞があるから来たわけじゃない。本当の目的はここ、ミケーネ文明の遺跡を見にいくことにあった。
後輩はホメロス限界オタクで、ホメロスがミケーネを「黄金に富む」と称し、それをシュリーマンが見つけたことを胸熱に語ってくれた。それを聞き、私もなんだかワクワクして参戦。ただしこのミケーネ遺跡、アクセスが最高に悪い。アクセス悪すぎて後輩が「行くのやめる……?」って言い始めたのを強引に黙らせて遺跡にたどり着いた。

行きのバスは9:30にあるが、これはローカルバス。ミケーネ遺跡にはいかず、ミケーネのすぐ近くの街ミキネスに止まるバスで、それに乗って行った。ローカルバスなので、街のいろいろなところに停車して、つくまでにめっちゃ時間がかかった。たしか10:10くらいにミキネスに到着。
そこからミケーネ遺跡までは2kmあって歩ける距離……ではあるけれど現実的ではない。ミキネスに地元のタクシーを呼び(タクシーの番号が町にあったのでそれを呼び出すとすぐにきてくれた。後輩のギリシャ語のおかげすぎる)、ちょうどそこにいたイタリア人二人と相乗りして遺跡に向かう。ミキネスからミケーネまではタクシーで5€。

帰りは12:00頃に一本バスがあるけれど、時間的に間に合わないしローカルバスは遅くて次の予定にも差し障りがあったので、タクシーでナフプリオまで帰った。タクシーのおじちゃんが優しかったのか定価なのかわからないけれど、ミケーネからナフプリオまで30€で帰ってこれた。

第一に、余裕と運転に自信があるのであれば車での観光をお勧めする
バスはこの時は行きも帰りも1本ずつしかなかった。(他の人のブログだと3本あったりしたが、23年9月だと1本ずつ。)世界遺産なのにこんなにアクセス悪いと思わなくてびっくりした。しかも、バス降りてからタクシーとらないとミケーネまで行けないので、すごく大変だった。バスを使うのであれば、ミキネス行きではなくてアルゴス行きのバスに乗り(アルゴス行きのバスはかなりの本数でている)、そこからミケーネまでタクシーを使う方が得策かもしれない。
後輩の愛読書のギリシャ観光本には、ナフプリオから往復タクシーは(観光して待たせている時間も含めて)70€と書いてあったし、タクシーで往復を行くのも結構ありだと思う。
あとは、ナフプリオからミケーネ方面に行く人は結構いるだろうから、一人旅でそういうのが得意なら、ヒッチハイクもありかもしれない。ヒッチハイク得意な人は、そもそもナフプリオからミケーネの行き方とか調べなさそうだけどな。

てことで遺跡にIN

どこ消せばいいのかわからん。ネイルが落ちてきたからどさくさに紛れてモザイクした。

無料の日だった。ギリシャは無料デーがいくつかあるみたいで、結構高い入場料が無料になったりするからアリだと思う。日本みたいに、無料の日だからって馬鹿みたいに混んだりとかはしていなかった(アテネも含め)。

入り口の獅子門

この遺跡に積まれた石はとにかく大きくて、どうやって積んだのかわからないくらい大きい。きっと一つ目巨人のキュプロークスが積んだに違いない、ということで、こういった建造物はキュクロプス式と呼ばれている(と後輩もタクシーのおじさんも言っていた)。たしかに、巨人が造ったっていわれたほうが納得のいく遺跡だった。
晴れているし、お昼近くに散策したので日差しがすごかった。

撮った記憶のない写真。

どこで何をしていたっぽい、っていうのは研究によって少しずつ明らかになっているようで、王座があったらしい場所などもわかっていた。

王座があったらしい場所らへん。

ミケーネ文明は、この文明が終わった後に他の人たちが何かを建てたりとかしていないおかげで、当時の様子がわりとそのまま残っているっぽくて(しらんけど)、発掘物もかなり状態が良かった気がする(この分野明るくないからまじで所感だけど)。
ここで発掘されたいろいろな土器やら粘土板は、遺跡の近くの博物館で展示されていた。この博物館は、結構それなりなので、しっかり見ると1時間強くらいかかるから、帰りのバスとかを考える人は気をつけた方がいい。

面白いなと思ったのは、火事が文化を残すことがあるってことだった。
ミケーネ文明は、粘土板を焼く文化ではなかったらしい。一度文字を書いた粘土板は、一年ほど使ったらまたこね直して、次の文字を書くために使用される。しかし、海の民侵入後の混乱の中、前1200頃に炎上。その結果、粘土板が焼かれ、線文字Bが残ることになったらしい。信じられない。

パリのノートルダム大聖堂が燃えた時は、NHKの映像の世紀「パリは燃えているか」が脳内を流れ、文化が失われてしまう〜と寂寥感に苛まれたけれど、こうやって火災によって文化が残ったという話もあるのか。

遺跡は、獅子門以外に文明っぽいアイテムは全て博物館に移動されているので、あとは石が積んであるだけの場所だった。
それにしても、石がでかい。獅子門とは別の場所だけれど、私より大きくて分厚い石をどうやってこんな風に詰んだのか不思議でならない。特に上の石は持ち上がると思えないし、一度周りを土で埋めたりしたんだろうか。

2m超えの石の門。後輩撮影。ミストラから学んでスニーカーを履いていたがミケーネは楽勝だった。

世界史で学んだミケーネ文明を、こうして生で見ることができて感動だった。ティリンスと呼ばれるもう一つの遺跡に行けなかったのが心残りだが、なんとなく遺跡の予想はつくのでまあいいかなとも思う。

ミケーネの遺跡の中には、ミケーネ考古学博物館もあり、入場チケットで訪れることができた。トイレもその近くにあった。
遺跡自体には岩しか残っておらず、文明というか、意図というか、なんらかの記号を感じられたのは獅子門くらいだった。(遺跡には文字が残されていることもなく、ただいくつかの部屋の区切りが残っているだけという意味。)しかし、この博物館にはいろいろなものが展示されていて、出土したアイテムから、ミケーネ文明は他の地域とも交流のある立派な文明だったのだとわかった。遺跡を見た時にはわからなかったが、生活が営まれていたのを感じる。
壁画などもかなり残っていて、こんなにずっと前の絵が残るものなのかと驚いた。
これは拾い画なのだが、このような壁画が展示されていて、最初は瓢箪かと思った。すごく独特な形で、かなり大きい絵だ。うーん、瓢箪が描かれるわけないし、楽器か何かだろうかと思ったら、全然違った。

George E. Koronaios, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

後輩曰く、これは盾だそうだ。ミケーネでは盾はこの形だったらしい。
当時の戦いがあまり上手くイメージできないので、そもそもこの盾をどう使ったかも全く想像ができない。ポリス時代などになれば、重装歩兵とかのイラストを見たことがあるからわかるけど、ミケーネの文明はそれよりもさらに前だ。
他にも、文字の展示があるなど。発掘した時には相当驚いただろうなと思う。

スクリプトの紹介展示。焼けたから残ったやつもあるかもしれない。

こういう遺跡が見つかると、大量の壺が出てくるのがセオリーなので、壺は適当に流して見ていると、可愛い置物を見つけた。

300円のガチャにして欲しい

雄牛の置物だったと思う。果たしてこれが置物なのか、子供用のおもちゃなのかはわからないけれど、すっごくかわいい。博物館のミュージアムショップでマスコットとして売っていて欲しい。もちろん売っていなかった。

ちなみにギリシャのミュージアムショップは基本的にやる気がない。例に漏れずミケーネ考古学博物館のミュージアムショップもしょぼかった。獅子門ステッカーとか作ればいいのに、全然そういうのはない。
時たま絵葉書があったりするくらいで、ミュージアムショップは行くだけ無駄なことが多い。
……獅子門ステッカー欲しいな……。

出奔旅行記3(ギリシャ/アテネ編A)へ続く。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?