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聖戦旅行記5(グラナダ後編)

前作はこちら

グラナダで過ごす3日間のうち、最終日がここから始まる。やり残したことを果たしていくぜ!


覚悟しろ、アルハンブラ宮殿!

どうですか、ここ、見覚えあるでしょ?
そう、裁きの門です。昨日閉まってた教会をどうしても見たくて、もう一度アルハンブラ宮殿に来た。グラナダのバスチケットも余ってたので、ちょうどよかった。なお、バスの運転手に、「アルハンブラ宮殿の教会に行きたいんだ!」って教会の名前言ったら、どうやら誰も行かないような教会らしく全然通じなくて旧市街の方の大きい教会へと連れてかれそうになり慌てて下車した。

別にこの教会がなにかで有名と言うわけではないんだけれど、城を落とす上行けてない場所があるのは不服だからね……。

教会のオープン情報

アルハンブラ宮殿では

・早めにチケットを取ること
・いつ噴水があるかわからないから足元に気をつけること
・サンタマリア教会の見学時間に気をつけること

出典わたし

が大事だということが、このnoteを通じて私がいうべきことかも。
さて、早速内部へ。

綺麗な教会だった。朝行ったので朝日が窓から入って心地よく壮大な雰囲気を醸し出していた。

そしてこれ、ありますね。赤いランプがともってる。これはここに聖遺物があるという印!
だんだんこれを見つけるスピードが速くなっているのを感じる。
この礼拝堂、珍しくオルガンが見つからなくて、どこの信者の人に「オルガンないですよね」と聞いたら「うんでも礼拝してます」って言われて詳しく聞こうと思ったんだけど信者の人が「ちょっとそこの君、帽子をとりなさい!」ってどっかいっちゃったから聞くことができなかった。残念。ヒムプレイヤー(讃美歌用の音楽プレイヤー、伴奏者がいない教会などで使われる)説ある。

教会の側面にこんな「チャペルの電気つきます!」って書かれた箱があったから1€入れてみた。

チャペルのライトと書いてある。

えいっ。1€163円!

撮影禁止とあるが相棒が果敢にも映像を撮ってくれた

あれっ?

教会側面の小さなチャペル(というか撮影禁止エリアが光るだなんて微塵も思っていなかった)

教会の中央の祭壇のライトがつくのかと思いきや、教会側面のチャペルの絵画を照らすライトがついた。なんだこれ。
Benito Prieto Coussentって人が描いた絵だとあったけど、正直マジで何の意味もわからんかった。ケネディをキリストみたいに描いた絵がなんで教会にあるのかもわからないし、いくらこの人がグラナダに関係あろうとも、この人の絵を照らすのが163円なのもよくわからない。

意味わからんすぎた。普通に献金すればよかった……。

気を取り直して、教会を出て、次の目的地に向かう。

ナスル朝の貴族(Abencerrajes家)の宮殿があったのでは、とされる場所

アルハンブラには、王族以外の居住地もあった。このアベンセラヘス家は、ナスル朝の王家であるゼグリー家ともめ、ナスル朝弱体の原因にもなった家。
この家の一人が、王家の娘に惚れてこっそり会いにいこうとしたところを捕まり、その家族全員がライオン宮のある一部屋で皆殺しされたという話もある。その部屋はアベンセラヘスの間って呼ばれてる部屋で、その部屋の中央には噴水があるんだけど、その噴水の水が赤く染まったとか。部屋の写真を撮りそびれちゃったんだけど、すごく美しい部屋だったので、血生臭い逸話があって笑う。

さて、今日はこの後サクロモンテ博物館に行きたいので、アルハンブラ宮殿を降りる必要があった。

Cuesta del Rey Chicoを通って

抜け道の始まり

アルハンブラ宮殿とヘネラリフェの間は谷になっていて、そこは通り抜けができるようになっている。アルハンブラ宮殿の入り口の一つと、アルバイシン地区を結ぶ道だ。
レイ チコという名前は、小さな王様という意味で、この道が、ボアブディルという王様が自分の父親に反抗して反乱を起こした時に、アルハンブラからアルバイシンに逃げる時に使ったルートだという逸話に由来している。アルハンブラからは約80mもの勾配があり、かなり急で、どうやって逃げたんだろうと想像が難しい。私が歩いて降るのも結構辛かったんだけど、馬とかで降りたのかな?
他にも、「水車の坂(川が流れているから?)」とか、「死者の坂(墓場に行くのに通る道だったから?)」と呼ばれてるみたい。

早速歩き始める。往来はアルハンブラ宮殿内よりは少ない。まあ、かなりの坂だしね。

川が隣を流れていて、見ていてすごく楽しかった。アルハンブラ宮殿の壁を見ながら歩くことになる。壁には穴が空いていて、川に水が流れるようになっていた。

通路の全長は800メートルほどで、結構長い

アルバイシン地区へ降る坂は本当にきつかった。私の10円の靴はボロボロになった。多くの人が足を止めながら降りる中、相棒はスイスイと坂を降りていた。さすがだ。

石の舗装が余計に歩きにくい。

さて、アルバイシン地区に降りてきてから、今度は登る。
今日の目的地はアルバイシン地区の隣にある、サクロモンテ地区だ。ここは、洞窟で生活している人たちが今も残る、歴史的な地区。とはいえ、栄光の歴史というよりも、迫害された痛ましい歴史を持つ地区だった。
アルバイシン地区は治安が良かったのだが、そこからサクロモンテの地区に入ると、とたんに治安が悪くなって、昼なのにも関わらず、ここの地域の人たちの貧しさを感じた。どう言ったらいいかわからないんだけど、洗濯物だったり、ドアだったり、窓の壊れ方だったり、道の悪さだったり、地域に十分なお金がないんじゃないかってことを思わせる地域だった。

サクロモンテ地区を登っている途中、振り返って撮った写真。奥にはアルハンブラ宮殿の塔が見える。ベラの塔か。

多くの家の窓は開いていた。窓から少し覗くと、家が半地下みたいになっているところが多い。床の高さが地面と違って驚いた。アルバイシンと同じ白い壁だが、どんどん壁がゴツゴツしたものになっていく。

サクロモンテ博物館

今日の目的地はこの「MUSEO CUEVAS DEL SACROMONTE」というところ。アルハンブラからは1時間くらい歩いたと思う。そもそも、アルハンブラから降りて、その後サクロモンテへと山を登っているので、体力も使った。(というか、サクロモンテ、はsacred mountainで聖なる山って意味なので、文字通り山なのだ。)
しかも、2月なのにめちゃくちゃ暑い!夏日みたいだった。

年中空いているというサクロモンテ博物館(屋外)

山の奥へと登って、さらに林みたいなところをぐんぐん上がる。雲一つなくていい天気で、コートの中で汗が冷たい。こんなところに本当に博物館があるのだろうか?とうっすら不安になりながら足を進める。

軽い山道

そしてとうとう、到着!

目的地到着

チケットは誰でも5€、学生だろうがなんだろうが関係ない
ここには11の洞窟があってそれを見る展示だ。洞窟は掘られたもので、掘ってその上で白く塗ってある。
そもそも家の壁が白いのはここだけではなく、地中海では壁が白いことはよくある。日光を反射させたり、その結果湿気を飛ばしたりするために壁を白くする。
けれど、サクロモンテでは、洞窟を堀ってその外だけでなく中も白くしていた。人々は石灰を塗っていて、これは壁が熱くなるのを防ぐほかにも、細菌を殺して感染症を防止したり、吸湿効果があったりする。
住んでいたのは主にジプシーたちだった。

女子の部屋。奥にベッドがある。

部屋の中には小物が置いてあって、自由に触ることができた。面白い。
女の子の部屋だったみたいで、鏡台の前にはおめかしグッズがある。

髪の毛をカールさせるアイテム。

つい前日、私のコテ(髪の毛に使うアイロン)が壊れたが、サクロモンテではもっと原始的なアイロンがあった。鉄を(おそらく)熱して使うんだと思う。私の使っているコテも電気で熱くして髪の毛の形を作るものだから、昔からみんな同じようにして髪型を整えていたんだなとわかって面白かった。

住居の隣には、家畜を飼っている洞窟もあった。動物を飼うことで、部屋の温度を上げることができるらしい。ロバやラバ、馬などが飼われていたらしい。確かに、生物がいれば部屋は温まるから、冬には最適。

動物が飼われていた部屋。馬とかに使うグッズなどが置いてあったが多くは何に使うのかわからないものばかりだった。
このように、馬小屋から暖を取るために小窓が開いていた。生活の知恵って感じがする。

博物館だから穴は掘り放題なんだろうか、色々な部屋がある。
実際には、最大3部屋くらいしか掘れないらしい。住居は別で洞窟を物置にしている家などもあるとか。蛇足だが、1960年代の洪水で多くの洞穴はダメになったけれど、今また文化のためなのか地価が安いからなのか、サクロモンテの需要は高まっているとあった。

これはキッチン用のお部屋。

キッチン

他にも鉄鋼をするための部屋や、編み物をするための部屋などの展示があった。ジプシーたちは、こういったさまざま作ったものを売っていたようだ。
籠細工も彼らの伝統工芸でだったが、今では生活の足しにもならないというような展示説明文があって、なんだか切なかった。

籠細工作業部屋

よく映画でジプシーが籠に花を入れて売っていたりするが、あれは彼らの自作の籠だったんだろうな。
家具を作ったり服をつくったり、農業もしていて、彼らの生活は彼らだけで回るようになっていて、ジプシーが他のコミュニティから忌み嫌われたゆえに自分たちで生活しなければいけなかったのかも。

サクロモンテ博物館看板(施設内の端っこにあった)

洞窟暮らしは、元々はそんなに貧しい人たちだけがしていた暮らしではなかった。そもそも、何千年もの間洞窟っていうのは人類にとってもっともよく使用されている住居のスタイルだった。
しかし、イスラーム時代からは、隠れたり亡命したりしなきゃいけない人が暮らす避難所のような扱いになり、そのうち、もっとも低所得な人が買える住居という扱いになった。その後、放棄されたり見つかったり住まれ続けたり色々あり、今ではギリ文化遺産?みたいな感じで残っていた。
住んでいる人々がジプシーたちっていうこともあって、なんというか、負の遺産とまでは言わなけれど、難しい扱いみたいだった。

博物館からの景色。

手前にはサクロモンテ地区、壁を挟んだ奥にはアルバイシン地区、そして山の向こうにアルハンブラが見える。(この日はアルハンブラから歩いてきた。)見えずらいんだけれど、写真の中央にある壁がグラナダの中心地とサクロモンテという貧しい地域を厳しく分けている境目。

ジプシーの歴史

今更だけれど、ジプシーとは、いわゆるロマ族のことだ。日本ではジプシーは差別用語とされているんだけど、まあわかりやすいのでこの記事ではジプシーと表記したい。差別の意味ではなく、この博物館でもジプシーと表記されていたから、それに倣う。
ここの展示をみるまでは、私にとってジプシーっていうのは大体二人組の若い女の子のスリっていうイメージだった。ローマとかパリの人の多いところにいて、つんとすましているけれど壮絶な生い立ちなのだろうなっていう雰囲気をしている子たち。(ジプシーの子達ってなんでか見ればわかる、ずっとそこでウロウロしてるし。)多くの人にとって、ジプシーってそういう認識なんじゃないだろうか?

相棒が展示を見るより先に「ビール飲む!」って言ってる飲んでたビール。アルハンブラから結構な道のりだったから、余計にビールが美味しく感じたみたいだった。わたしは活字を読む時は飲酒しないマイルールにより断念したがめちゃくちゃ美味しそうだった。くう!!

展示によれば、エジプトから来たから「ジプシー」と名付けられたが、実際の起源はインドらしい。色々な主張があるけれど、インドのもっとも低いカーストの一つがジプシーとして来たという。10世紀ごろにインドのパンジャーブ地方を離れて、遊牧民として生活し、主に金属細工と商業をしていたとか。スペインでは15世紀ごろに、彼らの記述が残っているらしいが、遊牧民だった彼らの文化習慣を理解できず、迫害をしたり、コントロールしようとして失敗したりと揉めていたみたいだった。そしてここの洞穴にジプシーが多かったのは、ジプシーが洞穴生活文化を持っていたからではなくて、貧しかったジプシーが住める家が当時の文化では洞穴だったからだろう。

15世紀以降、ジプシーたちは国外追放を命じられたり、殺されたり、勝手な移動を禁止されたり、武器を没収されたりもう本当に散々な目に遭っている。1749年7月30日には、ジプシー根絶を企てた大虐殺が起きた。スペイン内戦の後、フランコの独裁政権の時には、ジプシーたちが自分たちの言葉を話すのを禁止したし、厳しい監視もされた。その後、第二次世界大戦中も、ジプシーは組織的に殺されたとされていて、25万人から50万人は殺されたのではないかと言われている。また、ユダヤ人に次いでナチスからの人種差別を受けたとの記録が残っている。

サクロモンテのフラメンコバー、通りにたくさんあった

ちなみにフラメンコはそんな彼らの中から出てきた文化で、洞窟で踊っている動画などがたくさん展示されていた。ジプシーの文化にイスラームやスペインの影響を受けて生まれたものだ。展示曰く、特定のアイデンティティを超えた人々の状況、つまり悲しみや苦しみ、怒りや恐れなどが音楽には表れていて、それはアンダルシアのジプシーとモスリコ(カトリックに改宗したムスリム)たちが共有していた苦しい歴史で、フラメンコの歌詞を聞く人はみなその厳しい歴史を感じることができるとある。
サクロモンテ地区には、フラメンコが見れますというバーやレストランもたくさんあったので、本当にここが本場なのだろう。でもこの壮絶な歴史や、確かにフラメンコをやっている人たちの顔立ちがバリ西洋ではないなってことを踏まえると、ウキウキして見られなくなってきた。いや、実際に目にしたらわーいかっこいー!ってなるんだけれど、フラメンコビジネスも、実際にフラメンコをやっている人たちは貧しいままなのかなとか考えちゃって切ねえ。

下山、休憩、ショッピング!

バス。下車口に地元ガールが座っている。

さて、流石に歩き疲れたので帰りはバスに乗った。プリペイドカードも調子よく使いたかったし。すごく細いサクロモンテの道を、無理やりバスが通るのはすごい運転技術だった。たまに対向車がきて詰んでバックしたりしてた。

朝から動き回ったのでシエスタをしにホテルへ帰る。昼もまだだったので(すでに14時過ぎだけど)、色々買い込みにスーパーへ。

大好きなサラダ。栄養ランクB。

サラダが美味しすぎて、本当に毎日ほぼサラダを食べている。

スーパーのオレンジジュース

そういえば、日本でもオレンジ搾りたてジュース自販機が駅に増えている気がする。スペインではスーパーにこのマシーンがあって、これでジュースを絞って詰めて買える最高のシステムがあった。ので早速トライ。

生搾りオレンジジュース

これで2.9€480円くらいで高かった。1ミリ1円くらいで高いのか安いのかわからない。1ミリの味とかわからんしな。
結構水っぽい感じがして、みかんとは違った。薄いわけじゃないんだけど、なんていうか体に丁度いい味がするっていうか、ジューシー?
マックのオレンジジュースの方が美味しかった。

相棒がエンパナーダ(英国で言うパスティ)を食べたいというので、パン屋に行く。そしたらなんか変なもの見つけた。

PIINONO 1.7€ 購入(このまま出てきてここで食べた)

とても水っぽいフルーティーななにかだった。プリンでもないけどちょっとプニプニしてて、梨っぽいコンポートみたいな感じ?生地っぽい食感なんだけど汁だくでなんだろう、これ。

これ、いろんなサイトで見て何だったか調べてるけどよくわからなかった。いまいちどの説明見ても味が脳内に組み立たない。カヌレを初めて食べた時みたい。この甘くてプニプニでなんでかアルコールっぽいものを感じるのは何?みたいな。

ついでに、すきぴにお土産を買う。すきぴは、自分の読めない異国の本が自分の本棚にあることでロマンを感じる変態なので、スペインの本を探す。グラナダでは有名な詩人がいるので、その人の詩集を買う。

本屋さん。6.01€の本だったが0.01€まけてくれた。

スペインには27世代というやつがあり、これはスペインの詩人たちが盛り上がったムーブメント的なやつだ(と思う)。マドラサでそういう展示を見たのでそうだ(と思う)。反ロマン主義とか反リアリズムが特徴で、多分文学やってる人はわかるくらいヨーロッパでは有名なムーブメントなんじゃないか?(しらんけど)

でその中でコルドバ出身の詩人はGarcía Lorcaで、お土産屋さんにもこの人の顔写真がついたグッズがいくつかあったほどだ。
ガルシア・ロルカは、スペイン内戦でファシストのファランヘ党に殺されて、38歳で亡くなっている。フランコ政権下では作品が発禁になっちゃって、フランコが死ぬ1975年まではスペインでは読まれることがなかったとのこと。悲劇すぎてそりゃあみんな好きだわ。
日本語でも読めるんだけど、訳がちょっと古くて、あんまり読んでて楽しいかと言われると微妙な詩集だった。

Granada Night

狙いの店

グラナダでは、ワインを頼むと(飲み物を頼むと)勝手に一品が出てくるという、古き良きしきたりが残っていると聞いて、夜にレストランに繰り出した!
あの私の大好きな旅行紙、ロンリープラネットに従って店へ。しかし、一軒目は開いていなかった。悲しい。実はこの店、前日にも訪れているのに閉まっていた。おかしいな、グーグル上では開いてるのに……。食中毒でも起きたか?
仕方がないので、ロンリープラネット2軒目の狙いの店にいく。こちらも前日は閉まっていたが、この日は開いていた。なんで観光地のバルが閉まるんだよ。

ここ、マジで最高のお店だった。

La Paujana

一杯目の赤ワイン

赤ワインは、強めのガツンとしたやつをくださいと言ったらこれが出てきた。そもそも、ここら辺の店にはドリンクのメニューがない。全て店員さんの頭の中にあるので、何が飲みたいのかを言うと出てくる。
最初、めちゃくちゃぼったくられるんじゃないの?てびびった。ロンリープラネットを信じ切れるか信仰を試された。結局二人でトータル4杯飲んだんだけど、合計16€とかで激安だった。

一皿目はお肉の入ったキッシュ?デニッシュの何かが出て来た。ブラウンの甘いソースがかかっててめちゃくちゃ美味しい。涙が出そうに美味しいし赤ワインにとても合う。

あまりに美味しすぎて、死ぬまで飲んでしまうと危惧した私たちは「今日は4杯までにしようお互い」と約束して次のもう一杯をもらった。なお翌日は朝7時に出て空港に行かなければいけないので、絶対に寝坊はできない。

2杯目

もうなんか本当に美味しいんですけど〜〜〜!何これ〜!
ワインは、ちょっと甘めでって頼んだら、めちゃくちゃ甘すぎるのが来て、「どう?」て聞かれて「これは甘すぎる」って言ったら、丁度よく美味しいのが出てきた。わがままで申し訳ない。本当に美味しいワインだった。
そして一緒に出てきたパスタが最高だった〜!トルテリーニ!広義の肉料理!(ラビオリのように中に詰めてあるパスタで、ミンチの豚肉と一緒に香辛料が入ってるパスタ)
ホワイトソースもマジで美味しくて、最高!本当に美味しかった!おかわりしたいよって涙を流しながら食べた。白ワインと共に出てくるホワイトソースマジでありがたい。
トルテリーニには、伝説があって、ローマ神話の美の女神ヴィーナス(ギリシャでいうアフロディーテ)の大好物だったとか。そりゃこんだけおいしければそうでしょうよ。
スペインのスーパーには、結構この凝ったパスタが生の状態で売られてた。ニョッキとかもあって、羨ましかった。日本のスーパー、パスタはとても弱い……。

Lα Pajuana

そんな美味しいお店の名前はLa Paujanaです。若い人が結構多いお店だったな。あとは現地の人とかも通ってて、現地の女の子二人に対して、店員さんが何も言わずに一杯目のお酒を出していてイカしてた。東京にも出店してほしい。もしくは私がグラナダに住むしかない。週一で通いたい。マジで美味しかった。ありがとう店員さん。
この店員さんに、「ワイン、スペインで飲んだ中で一番美味しかった、ありがとう!」と伝えたら「一杯目?二杯目?」と聞かれて、さすがプロだった。二杯目が美味しかったです!


テンション爆上がりで次の店に行く。この店はなんで選んだか分からんけど、ロンリープラネットではないことだけが確か。

Bodega Castaneda

Bodegas Castaneda(おいしさの舞い)

ここのワインは普通だったな。いや、美味しいんだけど。出てきたシチューとパンも美味しかった。2軒目だったから感動が薄かったけど、やはり二人で飲んでも8€行かなくて、つまり1杯のワインと1皿のシチューで650円くらいで、格安バルだった。


庶民派っぽい感じで、中では立ってテーブルの隣で飲んだ。その感じが結構好きだった。隣には一人で飲んで食べてるお姉様がいて、それもなんだか乙だった。いろんな人が集まってて、バルは楽しいな。
この店なんでか、おっさん店員しかいなかった。思えばさっきの店にも男性店員しかいなくて、前日に行ったチュロスの店にも女性店員がいなかったな。どうなってるんだ……?

SAN REMO

このあともう一軒、家の近くのバルで白ワインを飲んで、合計4杯のワインを飲んでこの日はおしまい。

4軒目揚げたてチップス

ここの白ワインは美味しかった。meliorという白ワインで、お店で買って7€くらいの安いワインなんだけどおいしい。

Ruedaという地域のワイン

この後スーパーでRuedaの白を狙って飲んだら全部美味しかったので、今後の人生ではRuedaの白を信じていきていきたい

どこも美味しかったけど、やはりロンリープラネットで行ったお店は値段に対して規格外に美味しくて、海外旅行のご飯探しにはロンリープラネットが必須だということが改めて確信できた。
なおロンリープラネットという旅行紙はすごく高いので(ロンリープラネットスペイン、4000円超え)、私は大学のオンラインe-bookシステムで、1日に5分間だけ本が無料閲覧ができるのを利用して必死に店名を調べた。(すでに書いたかもこれ)
なんだこの貧乏旅行。

さよなら、グラナダ!また来る!

たくさん飲んで幸せ〜てお家に帰ってきて、ばったり寝た。さて翌日、かなり早い時間に飛行機をとったので、6時起き。朝6時に起きて街を出ていくと、「さよなら」っていうより夜逃げに近い。

さて今回、いろんな手段で移動してて、読んでる側は意味わからなくなってると思うんだけど、こんな感じ。

マドリードからバルセロナまでの移動方法。特急列車をTGVっていうのはフランス語の言い方で、スペイン語で何か他の言い方があるはず。交通方法は、格安を優先したり、時間が早いのを優先したりバラバラ。

旅程決めてる時は、グラナダからバルセロナまでバスで3時間くらいっしょ!って思ってたんだけど、調べてみたら7時間とか8時間かかるらしかったので飛行機を予約した。旅費で地味に嵩んだのが移動代だったが、こればかりは仕方ない。王朝をめぐる旅行だし、侵略には金がかかるものだ。

グラナダから空港までの道のり

さて、グラナダのホテルから空港までどうやって行こうかを調べていたのだが、車だと16.7kmを16分〜28分と出てくる。幅がありすぎる。バスとかをみていても、20分でだいたい着くとある。グラナダの交通量がわからないせいで、想像つかないけれど本当に20分くらいでつく?距離結構あるよね?

予約した飛行機がかなり早い時間なのだが、バスの始発だと絶妙な時間で(バスの始発に乗るとチェックイン終了20分前に着けるというトリッキーな時間)、バスでいくかタクシーかで悩ましかった。20分の遅刻があっても大丈夫だけど、事故渋滞起きたらすぐに20分遅刻するよなあ……
バスだと3ユーロ、タクシーは35ユーロ。安心のために35ユーロを取った。絶対に時間通りに飛び、何があっても待ってくれないのが格安飛行機だからな。

呼んだタクシー。相棒曰くとてもいい車

タクシーはホテルに呼んでもらったタクシーで、値段交渉もオンラインで予約した時にホテルの人に確認してもらって35€で!と決めていた。
そしたら降りる時に、36€で!と言われたので「35€って言ったじゃない!」とホテルとのメッセージを見せて「ごめんごめん、35だったね」ってお会計。別に1€くらいいい気もするんだけど、色々な海外のタクシーでボラれたりしてきた身としては、公平にっていうか正義を通し正規の値段で乗りたい。
車で朝7時の空いてる時間で20分くらいかかったので、バスを使う時には余裕を持って行った方がいいと思う。(ほぼ100キロみたいな勢いで走るから余裕で20分だった)
街の中心さえ出れば余裕で道はスイスイ行くと思うんだけど、昼間はもうちょっと交通量多そう。

空港到着

グラナダ空港、とても小さい空港で、電光掲示板には6便しか写ってなかった。国外にはいけないみたい。(ウィキペディアにはロンドンへ行く便もあるとあったが、今はどうだろう?)
バスも1時間に1本しかなくて、少ないなあと思っていたけれど、この飛行機の本数の少なさであれば納得だ。
7時半には空港に着いていたんだけれど、そこでサラダを食べ(もちろん昨日スーパーで買ったもの)、コーヒーを飲んでから飛行機に乗った。Vuelingという会社は、イベリア航空のLCCで、だいたい一万円ちょっとでバルセロナまで飛べる。手荷物を預けなければもっと安く、おそらく半額くらいになる。

グラナダ空港

飛行機までちょっと歩いたので空港の写真が撮れた。見てこの空港の名前。
ね?気づいた?
そうです、グラナダの詩人、ガルシア・ロルカの名前が入っている!スペインではこの人が読めるようになったの75年以降なのに、ちゃんと人気を博しているんだな。2006年からこの名前らしい。
これはただの愚痴なんだけど、予約のときやチケットに表示されるIATA空港コード(空港にわりふられる3アルファベットのコード)はGRXで、なんかちょっとわかりにくかった。Xってなんだよ。GRD (グリーンウッド郡空港)もGRN (ゴードン市営空港)もアメリカに取られていた。残念。

こうしてグラナダを満喫して旅だった。

地中海。バルセロナはもうすぐ!

思い返すとグラナダは、とても歴史的ないい街だった。正直、コルドバが良すぎたせいで、もうこの旅行ではコルドバを超えるものは何もないとまで思っていたんだけど、グラナダも勝るとも劣らずいい街だった。
初日に展望台に行ったときにパパ活見ちゃったせいで、グラナダへの期待がだいぶ下がっちゃって、というか展望台に日本人がめちゃくちゃ多くて、大衆的なとこに来ちゃったか……って萎えてたけど、アルハンブラ宮殿みたら、「いやこれは誰だって見たいわ」ってわかった。
バルもすごく美味しかったし、色々お土産も買って満足したしね。
でも、グラナダの旅行でやはり一番この街を理解するのに役立ったのは、サクロモンテに行ったことだと思う。正直行くまではサクロモンテのこと全く知らなくて、行こうって決めたのも「そろそろ博物館とかで活字読みたいなあ」って思ったのとホテルの名前がサクロモンテだったから、サクロモンテ気になるなあって思っただけだった。行ってみたら、予想外にジプシーの歴史が見れたし、歴史上の人物として名前が残る王族だけがこの国で暮らしていたわけではなくて、何気ない日常を過ごした色々な民族がグラナダの歴史を編んでいたんだなと感じられた。

次回、バルセロナ前編!

次のバルセロナ編は、前後に分ける予定で、鋭意執筆中です!

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