なぜ人は生きるのか?に対する決定的な答えとは


この問いは少しばかり恥ずかしいような背中が痒くなるような問いのように感じるかと思います。そんな中二病全開の問いに対するある一つの答えが僕の中にあるので共有したいと思います。この問いへあなたが取り組むのに必ずお役に立つと思います。この問題に取り組む前にまず「生きる目的はあるのか?」という問題について考えていきます。先に結論を言いますと

生きる「意味」はある。但し「目的」がない。

というのが僕なりの答えです。明らかに説明不足ですので一つずつ丁寧に見ていきましょう。

「生きる意味とは?」と「なぜ人は生きるのか?」という似て非なる命題

意味はあるけど目的はないってどういうことでしょうか。これを説明するには意味、目的がそれぞれどのようなものなのかを考える必要があります。簡単に僕なりの考えを言いますと意義は後からつけるもの、目的は先にたてるものです。例えばあなたが大学受験で第一志望合格のため猛勉強したとしましょう。しかしながら一歩届かず落ちてしまいました。ですがあなたは長期間の勉強のおかげで集中する癖がつき、メンタルも強くなりました。効率を求めたため無駄な行動が減りました。

ここでいう目的と意義について考えてみましょう。

目的は「第一志望合格」、意義は「集中力、メンタル強化、無駄の削減」。

ではここであなたに問います。

「なぜ(なんのために)あなたは猛勉強したのですか。」

「あなたが猛勉強した意味は?」

全く異なる問題ではないでしょうか。

ここで「なぜあなたは猛勉強したのですか。」に対し「集中力がついたよ。」と答えることがおかしいことがわかるかと思います。

但しここで厄介なのは目的が意義の内に入り得る、ということです。つまりニュアンスとして「あなたが猛勉強した意味は?」は「猛勉強で何が得られたか」と解釈することができ、よってこの問題に対して「第一志望合格が得られた」と回答することは理屈としては一応間違ってはいないということです。(正確に「意味」という日本語を定義すれば間違っているのでしょうが一見は難しいということです。)

以上のように目的と意義は全く異なるものなので「なぜ人は生きるのか」と「生きる意味とは」には別々に答えを用意する必要があります。

また、上の例のように目的はあらかじめわかっているものであり、逆に意義は(基本的には)後からつけるものだということがわかっていただけましたでしょうか。

以上を踏まえて次回、これをもとに人生に目的はあるのか、意義はあるのか ということについて考えていきたいと思います。


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