音楽史年表記事編11.モーツァルト、フランスへ招待される
モーツァルトの父レオポルトは幼い我が子が見せた音楽の才能を世の中に示すべきとして、モーツァルト、母、姉のナンネルを伴って、1762年9月ウィーンに向け出発しました。また、一行には写譜のためにザルツブルク宮廷楽団のエストリンガーが同行しますが、ウィーン訪問の目的は、ウィーンで多くの楽譜を手に入れたいということもあったようです。
ウィーンに到着したモーツァルト一家は貴族の館で演奏会を開きますが、やがて神童モーツァルトのうわさが宮廷に届き、モーツァルト一家は10/13シェーンブルン宮殿に伺候し、女帝マリア・テレジア、皇帝フランツ・シュテファンを前に御前演奏を行います。モーツァルトはクラヴィーア教師のヴァーゲンザイルのクラヴィーア協奏曲を演奏したとされます。また、皇帝フランツ・シュテファンの所望により覆いをかけられた鍵盤の上を指一本で巧みに演奏することをやってのけました。この時、ウィーン宮廷は暗い雰囲気に覆われていました。1756年から戦ってきたプロイセンとの戦況は芳しくなく、また同盟国のフランスも北アメリカ、西アフリカ、インドでイギリス軍に敗退し、ほとんどの権益を失うという状況で、モーツァルト一家の宮殿訪問は女帝マリア・テレジアにとってもつかの間の憩いとなったようです。モーツァルト一家の訪問を喜んだマリア・テレジアからはモーツァルトと姉のナンネルには宮中の礼服が、レオポルトには100ドカーテン(約450万円)が下賜されました。
また、モーツァルトの父レオポルトはフランス大使シャトレ=ロモン伯爵へ伺候しますが、大使からはモーツァルト一家のパリへの旅行を勧められます。パリ行きを決断したレオポルトはパリへの旅行に備え、自家用馬車を購入しますが、モーツァルト一家のフランス訪問はイギリスとの7年戦争で敗戦濃厚なフランスへの、同盟国オーストリアとしての親善大使の意味があったのかもしれません。理由はマリア・テレジアから下賜された金額の大きさです。一家の年収にも相当する金額を、わずか3時間の訪問で与えられるということは常識では考えられず、フランス訪問の支度金と考えてもいいのではないかと思われます。モーツァルトと姉のナンネルに贈られた宮中の礼服も、フランス王家訪問のための礼服と考えれば納得できます。
こうしてモーツァルト一家のウィーン訪問は大成功をおさめ、一家は購入した自家用馬車に乗ってザルツブルクに戻りました。
【音楽史年表より】
1762年9/18、モーツァルト(6)
モーツァルト一家は、約3ヶ月半のウィーン旅行のためにザルツブルクを出発する(第1回ウィーン旅行)。このウィーン行きには宮廷楽団の友人で写譜師のエストリンガーが同行した。(1)
9/20、モーツァルト(6)
モーツァルト一家、ザルツブルク北方のパッサウに到着する。当地の領主司教トゥーン・ホーエンシュタイン伯ヨーゼフ・マリーアの御前で演奏し、評判となる。御前演奏の報酬としてドゥカーテン金貨を賜る。パッサウからは船旅でウィーンに向かう。(1)
10/13、モーツァルト(6)
モーツァルト、シェーンブルン宮殿に伺候し、女帝マリア・テレジア、皇帝フランツ1世に拝謁し、御前でクラヴィーアを演奏し神童ぶりを発揮したといわれる。ヴォルフガングが宮殿の磨き抜かれた床で転んでしまったとき、当時6歳だった皇女マリア・アントニア(のちのフランス王妃マリー・アントワネット)に助け起こされたという話の真偽は定かではない。(1)
小さな魔法使いモーツァルトはマリア・テレジアの夫である皇帝フランツ・シュテファンの冗談から出た所望を喜んでかなえ、覆いをかけられた鍵盤の上を、しかも1本指だけで巧みに演奏した。更に、モーツァルトは皇子や皇女たちの音楽のレッスンを指導していた有名なクラヴィーア奏者のヴァーゲンザイルを呼び寄せるよう望み、驚くほど大胆に、ヴァーゲンザイルに楽譜のページめくりを依頼し、彼の協奏曲を演奏した。この天才児の率直で、無邪気なふるまいに魅せられた女帝は、シェーンブルンの宮殿に3時間もの間、モーツァルト一家を留めて、彼らと戯れ、笑いあった。(2)
10/15、モーツァルト(6)
女帝マリア・テレジアからヴォルフガングとナンネルに豪華な宮中礼服である大礼服を下賜される。皇室会計主任マイールがモーツァルト一家の宿舎を訪ね、女帝マリア・テレジアから下賜された大礼服を贈った。モーツァルトに贈られた大礼服はモーツァルトと同年のマリア・テレジアの末っ子の大公マクシミリアンのために仕立てられたものであった。大公マクシミリアンは後にケルン大司教・選帝侯となり、若きベートーヴェンを庇護することになる。(3)(4)
10/19、モーツァルト(6)
モーツァルトの父レオポルトは皇室会計主任マイールを訪ね、100ドカーテン(約450万円)の下賜金を受け取る。また、フランス大使シャトレ=ロモン伯爵へ伺候、伯爵はモーツァルト一家にパリへの旅行を勧める。(3)
1763年1/5、モーツァルト(6)
モーツァルト一家、プレスブルクで購入した自家用馬車でザルツブルクへ戻る。モーツァルトの父レオポルトは宮中から賜った下賜金で自家用馬車を購入し、西方大旅行に備えた。(1)
【参考文献】
1.モーツァルト事典(東京書籍)
2.ベルモンテ著・海老沢敏他訳・モーツァルトと女性(音楽之友社)
3.アイブル編・武川寛海訳モーツァルト年譜(音楽之友社)
4.モーツァルト写真文庫(音楽之友社)
SEAラボラトリ
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