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音楽史年表記事編17.モーツァルト、クラヴィーアと木管楽器のアンサンブルを試す・クラヴィーアと木管のための五重奏曲変ホ長調K.452

 モーツアルトはウィーンに定住するようになる時期、ウィーンの宮廷では皇帝ヨーゼフ2世がハルモニーと呼ばれる木管8重奏が演奏されており、おそらく宮廷からの要請と思われますが13楽器のためのセレナードなどを作曲しています。クラヴィーア協奏曲ではクラヴィーアとオーケストラが協奏しますが、木管楽器はどちらかといえば補助的な立場でアンサンブルを支えていました。モーツァルトは木管楽器も対等な立場で、クラヴィーア、弦楽器、木管楽器がそれぞれ対等にアンサンブルをすべきと考えていましたので、そのためにはクラヴィーアと木管楽器のアンサンブルを試す必要があると感じたのでしょう、音楽史上初のクラヴィーアと木管楽器の五重奏曲を作曲しました。
 1784年4/1、モーツァルトの作品による自主演奏会がブルク劇場で開催され初演され、この五重奏曲が初演され成功をおさめます。モーツァルトは父レオポルトに「僕はこの曲を生涯のこれまでに書いた最高の作品と考えております」と伝えていますが、モーツァルト自身も新しいアンサンブルの成功に自信を持ったようです。これ以降、モーツァルトの音楽は、各楽器の各声部が自由で平等で、対等にお互いに博愛の精神で、協奏交響曲のようにアンサンブルするように作曲され、アンサンブルにおける革新が進められて行きます。

【音楽史年表より】
1783年終りから84年初め作曲、84年3/13初演、モーツァルト(28)、13管楽器のためのセレナード変ロ長調「グランパルティータ」K.361
1784年3/13、ブルク劇場で開催されたクラリネットの名手アントン・シュタッドラー主催の音楽アカデミーで第1、第2、第5、第7の4楽章が演奏されたが、この演奏が初演と思われる。当時、ウィーンではオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット各2本づつの八重奏を基本とする「ハルモニー」と呼ばれる管楽器アンサンブルが流行し、皇帝ヨーゼフ2世も宮廷に管楽八重奏団を常設していた。モーツァルトはこの八重奏にさらにバセットホルンとホルン2本およびコントラバスを加えた13人によるアンサンブル曲を作曲する。コントラバスの代わりにコントラファゴットを用いて演奏することもあり、この曲は「13管楽器のためのセレナード」と呼ばれることもある。自筆譜には「グランパルティータ」と書かれているがこれはモーツァルト自身の手によるものではないことが判明しているが、この通称で呼ばれることが多い。(2)
1784年3/30作曲、モーツァルト(28)、クラヴィーアと木管のための五重奏曲変ホ長調K.452
モーツァルトはこの五重奏曲を新作のクラヴィーア協奏曲第15番K.450と第16番K.451と共にブルク劇場で初演したが、この演奏会の模様を父レオポルトへの手紙で「五重奏曲は大喝采を博しました。僕はこの曲を生涯のこれまでに書いた最高の作品と考えております」と記し、並々ならぬ自信のほどを覗かせている。モーツァルトの意欲は8ページにも及ぶ残されたスケッチにも窺え、協奏曲のように活躍するクラヴィーアに対し木管は一群となって交替したり、個々に協奏し、決して従属はしない、とりわけ入念なスケッチによって限界にまで進められた楽器の組み合わせの繊細な変化、そして典雅な響きの魅力は大きい。(1)(2)
1784年4/1初演、モーツァルト(28)、クラヴィーアと木管のための五重奏曲変ホ長調K.452
ブルク劇場を会場とするモーツァルト最初の自作作品演奏会が開催され、モーツァルト自身のクラヴィーア独奏で初演される。同時に新作の2曲のクラヴィーア協奏曲K.450とK.451、交響曲第36番ハ長調「リンツ」K.425が演奏された。(1)
【参考文献】
1.モーツァルト事典(東京書籍)
2.作曲家別名曲解説ライブラリー・モーツァルト(音楽之友社)

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