あなたの《わたしは思い出す》水戸篇
水戸芸術館で開催された「ケアリング/マザーフッド:『母』から『他者』のケアを考える現代美術」展(2023)の会場内で記入された357通のエピソードのうち、このページではその一部を掲載しています。
記入されたアンケートを月ごとに並べて構成しています。エピソードの部分は、原則としてアンケートに記入された原文の表現を尊重しました。
本アンケートは、メールマガジンのかたちでもお受け取りいただけます。くわしくは本ページ下部「メールマガジン「あなたの《わたしは思い出す》」をご覧ください。
1月
2023年1月2日
私の母も、私が生まれる前から育児日記をつけていたと教えてくれたことを思い出しました。この日、私は20才になり、ベビーリングをわたしてもらった時に、教えてもらいました。(茨城県、20歳、学生)
2023年1月2日
少し早いけどたん生日プレゼントを買ってもらったこと。(茨城県、11歳、小学生)
2020年1月5日
前年に生まれた息子を親に預けて東京の展覧会に行った。まだコロナが本格的にはやる前だった。「親として子どもとみなきゃいけないのに」と「育児を忘れて楽しみたい」というきもちで心から楽しめなかった。今も正解はわからない。(茨城県、36歳、パート)
2020年1月6日
母が危とくになって長い時間が過ぎた。20時頃父に「一回帰って休み」と言われて病院を出た。すき家に寄って高菜めんたいマヨ牛丼をテイクアウトし、家で「新聞記者」のDVDを観ながら食べた。DVDが終わると同時に父から電話が来た。「戻ってきて」。(高知県、44歳、主婦)
2022年1月9日
15年付き合った人が、家から出ていく日、送っていった帰りの首都高を走りながら涙があふれて止まらなかったこと。(東京都、33歳、会社員)
1985年1月10日
学校で初潮をむかえた。トイレでパニックになり先生がかけつけてくれて教室に戻ると、ある男子が察し、恥ずかしい想いをした。くやしかった。それを知って冷やかす女子もいた。みんなくたばれと思った。(群馬県、51歳、看護師)
2018年1月11日
大学3年生の冬、母が子宮けいがんの手術をした。ステージ3〜4の状態だった。ちょうど期末試験の時期で、1月11日が母の誕生日だった。そのあと無事回復したが、先月も体調不良で救急車を呼んだ。まいにちしんどい、美術館があってよかったです。(千葉県、25歳、会社員)
2023年1月13日
学校で友だちと、きゅうなくだりざかをまがおでもースピードでおりれた人のかちと言うゲームをしていたら、ほいくえんの友だちのことを思い出した。(埼玉県、8歳、小学生)
1997年1月15日
自分が産まれた日。記憶はないが話は聞いており、本来生まれる予定日は1月14日だったらしい。中々、産まれずに融通の効かない所は当時から変わらないんだなと、少し思い返しておかしくなる。長年、迷惑を掛けてきたけれど今からでも間に合うと信じたい。今度は迷惑をかけてください。(福島県、26歳、会社員)
2023年1月15日
神戸での巡回点の読書会に参加した日です。NHKの取材クルーも来ていました。会の後、インタビューを受けました。武田真一アナウンサーでした。その時の様子は、この年の3.11の日にテレビで放送されました。他にも、作品を通じていろいろな方々と出会えて、忘れられない作品となりました。今回再び、この作品と出会えて感慨深く思っています。(兵庫県、48歳、会社員)
2015年1月16日
娘が生まれた日。難産で34時間かかったりして、無事生まれてきてくれた。ホッとした、というか、やっと終わった…と。陣痛促進剤をもっと早めに打ってくれなかった病院への恨みがこれを書きながらジワジワと湧いてきた。(東京都、42歳、団体職員)
2004年1月19日
リビングに置いてある電話が鳴る音で目が覚めた。隣で父親が寝ていた。お母さんはいなかった。父親を起こそうか迷っているうちに、ベルの音は途絶えてしまった。(茨城県、20歳、学生)
1995年1月21日
妹が生まれた雪の日。かまくらをつくるほどの北陸の雪景色。(東京都、31歳、会社員)
2023年1月22日
学生時代からずっと仲が良く、卒業してから付き合って、結婚も考えていた彼と別れた日。彼は大学院の研究がずっといそがしくて、私との時間を大切にしてくれなかった。私はいらない存在だったのか?おまけや邪魔だったのか?別れようと言ったのは私で、2人とも悲しんで大泣きしたのに一緒にいた日々を思い出すとどれだけ自分が大事にされていなかったかばかり身にしみる。(宮城県、27歳、会社員)
2019年1月23日
友人に絵のモデルを頼んだ日。(東京都、20歳、大学生)
2022年1月23日
もともとわたしはむらさきがすきで、ランドセルも紫にした。だけど、今は。
2016年1月26日
16才年の離れた弟が生まれた日。スマホで連絡を早く受け取りたくて禁止だけど中学校にスマホを持って行った。義父から「生まれたよ」という言葉と共に送られてきた弟の写真は可愛くて仕方なかった。ずっとずっと愛して守ってあげようと思ったこと。(神奈川県・岡山県、23歳、大学生)
2016年1月26日
娘が生まれたので、4人分のぼたもちをつくった。(岐阜県、43歳、会社員)
2020年1月30日
パートナーとミイラ展に行った。(茨城県、22歳、学生)
2月
2023年2月3日
仕事が終わらない夜9時に母が搬送されたと父からLINEが来た。仕事中は雑談のLINE送らないでと釘を刺した数日後だった。母は家族と、じぶんのぶんの恵方巻と、バレンタインのチョコレートを用意して、家でひとり救急車を呼んだ。病名はくも膜下だった。今は病院でおだやかに過ごしている。(東京都、29歳、会社員)
2023年2月4日
この展示を見ていた。一人になったのでこの紙を見ていると箱がバコッとなった。(栃木県)
2020年2月7日
父が孤独死し、残した犬猫を引きとった。(茨城県、50歳、公務員)
2023年2月11日
知り合って間もない彼と車で話している時、気仙沼出身だということを思い出し、その時の彼の表情と、この展示、資料を通して、彼がどんな思いをしてきたのか考えてしまった。(茨城県、22歳、学生)
2021年2月13日
就職試験を受けたこと。(千葉県、22歳、会社員)
2023年2月14日
仕事から自宅に帰ると思いもせず夫が赤いバラの花束をくれました。(茨城県、49歳、自営業)
2012年2月18日
敬愛する母方の祖父が亡くなった。私の誕生日の前日だった。きたえぬいた肉体、色の黒い肌、ほら吹きのビッグマウス。東北の地では珍しい四国なまりの祖父は、誰よりも私を愛してくれたと思う。その目が濁り灯火が消えるのを、泣きじゃくりながらかけつけた病院で見届けた。私がずっと手を握っていたから、温度かなにかが機械に反映されていた。白い死装束は黒い肌には似合わなかった。本当に鼻が低かった。(埼玉県、34歳、アルバイト・在野研究者)
2023年2月18日
小学生の頃、塾でたまにシューアイスをもらえたこと。(埼玉県、26歳、会社員)
2023年2月18日
上京した私。単身赴任の父。働き始めた妹。忙しい母が数年ぶりに実家に集まって、家族団らんの時間をすごすことができた。(千葉県、23歳、会社員)
1996年2月19日
1人目の子どもを帝王切開で産んだ。おなかから出されるとすぐに待っている家族のところへ連れていかれてしまい、私は見てないのにとくやしかった。(東京都、60歳、教員)
2010年2月20日
彼女と白川郷へ旅行に行った日。初めての遠出の旅行である。当時私には妻がいた。その後、妻と別れ、彼女と結婚した。そして今は全てを失った。(群馬県、51歳、会社員)
2023年2月21日
原発事故から12年。新聞の世論調査で「原発再稼働に賛成」が反対を上回った。2011年3月11日を忘れたのか。(茨城県、52歳)
2023年2月21日
親に認められなくても初めて心から自分の思いを伝えようと決心できたこと。(茨城県、28歳、保育士)
2020年2月25日
お父さんが病院で亡くなる瞬間、お母さんが泣きながら「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」と言ったこと。(東京都、39歳、会社役員)
2023年2月25日
(ほぼ)毎年3月11日、しゃぼん玉を飛ばしながら歩く(そしてお客さんと311について話す)というイベントをしている美術家の方と話していて、わたしは「被災していないけど傷ついた」と言った。あ、私は傷ついていたのか、とおもった。(東京都、39歳、俳優)
2023年2月25日
友達が何より大切だということ。(茨城県、25歳、会社員)
2023年2月25日
一人で行った福岡への研修。飛行機で隣だった人が、今は大事な人に。(栃木県、23歳、会社員)
2011年2月26日
偕楽園の梅を見た後、チェルフィッチュを観るために水戸芸術館に来ました。カフェのカウンターでココア?を飲みながら外を見ていたら、私の尊敬する人が友人らしい人たちと話している声が聞こえました。自分と同じ目的で来たのだとわかり、姿を見てしまうと気になってしまうので、一度も見ずにカフェを出ました。(千葉県、45歳、国体職員)
2023年2月28日
私が寝たフリをした後ゆっくりプレゼントを枕元に置いたこと。(茨城県、17歳、学生)
2020年2月29日
4年に1度しかない日に大事なお話しをしたこと。来年は思い出すのかも。(茨城県、16歳、高校生)
3月
1999年3月1日
高校の卒業式。かいきん賞で名前を呼ばれ大きな返事をした。帰りに広じえんをもらい重くて親にあずけた。(茨城県、43歳、自営業)
2022年3月2日
藝大の合格発表。一次落ちた日。でも、ちょうどその日は私の誕生日だった。去年は受かった。(東京都、20歳、学生)
2023年3月2日
映画のクランクイン日、朝4時から撮影が始まり、この後10日間同じ日が続くと思うとゾッとしました。
1999年3月3日
遠くで聞こえた泣き声。(東京都、64歳、アーティスト)
2012年3月3日
23:50頃。等間隔でお腹がはり始めた。これが陣痛かーと笑った。(東京都、41歳、会社員)
2017年3月3日
うまれたばかりのぬるぬるの身体をうけとったこと。おしりがやわらかくてちいさくておもしろかったこと。ぜったいに守る、とおもったこと。(46歳、母)
2023年3月3日
保育園の帰り道、よく母と公園に立ち寄ったこと。逆上がりの練習に付き合ってもらい初めて成功した時は隣に母がいました。昨日、自分の息子と保育園の帰りに公園へ立ち寄ったことがきっかけで、一気にそのことを思い出しました。(東京都、30歳、会社員)
1985年3月4日
二女誕生の日に長女が義母と共に病室に来た。小さい妹を見て、後ずさりし「おばあちゃん帰ろう」と。突然現れた小さな赤ちゃんに驚いたのだろう。その後は今に至るまで優しい姉である。(茨城県、66歳、保育士)
2006年3月4日
とりあえず必要なほんの少しの衣服とMacbookを黒の大きめのトートバッグに入れて家を出た。良い妻でいようとした、良い母でいようとした自分の最後の一瞬。あのときをいちども後悔したことは無い。(K市、62歳)
2023年3月4日
一人暮らしの私の部屋に久しぶりに来た母が、きれいに片付いている部屋を「片付いてるね」と言ったこと。今までのように手のかかる、片付けのできない子どもではないのだという、子ども時代とのへだたりを感じた。でも、部屋で母が作ってくれた夕食が母の味だったのでもう少し子どもでいたい。(宮城県、25歳、公務員)
2023年3月4日
仲間と遊んでえん会をした。(東京都、11歳)
2022年3月5日
あの人のことが気になり始めたころ。ツンデレだけどたまにやさしいのが好きだよ。(茨城県、16歳、高校生)
2023年3月6日
子供を産む訳じゃないのに、初めてそういうことをした。痛かったけど次は気持ち良いのかな。(学生)
2016年3月7日
非常勤の学芸員をしていて、この日ある県立美術館の採用試験におちた。でも「ほっ」とした。私は学芸員という仕事よりも、大切な人とパートナーになって子育てすることの方がしたいことだと気づいた。(東京都、33歳、会社員)
1997年3月8日
まっ黒な夜、父親におぶわれて団地の5階へ上がって行った。5階は父方の祖父母の家。翌日から私は姉になっていた。(神奈川県、28歳)
2005年3月8日
だめじゃないって云ってしまったこと。(埼玉県)
2023年3月8日
いつ感覚がなくなるのか 深呼吸をしながらまっていたら 次目を開けた時、別のへやにいたこと。15:30に出されたサンドイッチはパサパサでそれでも食べ物をおなかに入れた。(神奈川県、26歳、アーティスト)
2005年3月10日
19歳の誕生日。母に無理やり宗教団体の会館に連れて行かされた。母はとても笑顔で知らないおばさんたちに「この子、虐待してたのに、〇〇大学法学部に合格してくれて」と話していた。それから18年経って全ての謎が解けた。母は私に宗教をやるかお金を無心するかの子育てをわたしにしていたのだ。(茨城県、37歳、非正規雇用)
2018年3月10日
応援しているアイドルに初めて名前を呼んでもらえたこと。(茨城県、広報)
2011年3月11日
長男の入園説明会(保育園)の終了を自宅で待っている時に震災が発生。市民の生命、身体及び財産を守るため、家族は二の次で職場(消防署)に向かい約3日間活動を行った。家族を守りたいけど、市民が優先。(茨城県、39歳、消防職員)
2011年3月11日
何が起きたのかわからない、情報がまったくない暗闇の中…の星空のキレイだったこと。(茨城県、53歳、会社員)
2011年3月11日
図工の時間に地震がきて机の下に隠れたとき上から彫刻刀が降ってきたこと。(茨城県、21歳、大学生)
2011年3月11日
ダイソーの駐車場で車中泊をした。(茨城県、22歳、大学生)
2011年3月11日
地震で揺れた後、余震が続き阪神淡路震災のときがフラッシュバックして吐いたこと。(神奈川県)
2011年3月11日
死を覚悟するくらいの大きな地震の後、家族といっしょに家にもどったときの星空のきれいさを今でも鮮明に覚えています。(茨城県、26歳、公務員)
2011年3月11日
寺町のLプラザで講演会を聞いていた。質疑応答にはいったところで地震がきた。ゆれがおさまった後、階段で近くの公園に逃げた。携帯はつながらなかった。その日は寺町の商店に泊まった。翌日も何もなかったように勉強会を続けた。(神奈川県、64歳、会社員)
2011年3月11日
くもんに行く途中の車から見えた電柱が大きくゆれていたこと。この日から外は危ないと言われる日が続いたこと。(福島県、20歳、学生)
2011年3月11日
東日本大震災。まだ小さかったので覚えていることは少ないけれど、親や地域の人が近くにいることで凄く安心したことがよく思い出されました。(茨城県、16歳、高校生)
2011年3月11日
停電中、暗闇の中、母が目分量で作ってくれた袋めんのラーメンの味がうすかった。(宮城県、22歳、学生)
2011年3月11日
東日本大震災。
2011年3月11日
母の病気がわかる前のこと。地震が生じ、母と一緒にお皿が割れないように支え合っていた。この大きな揺れを楽しいとおもっていました。(東京都、28歳、絵本作家)
2011年3月11日
地震で物が散乱した部屋と私を見て「ゆみちゃんが家にいてよかった」といった祖母の顔(1人だったらと思うと不安だったそうです)。わたしは大学生になる直前で上京前でした。(茨城県、30歳、会社員)
2011年3月11日
当時私は小学6年生で、仙台市付近のニュータウンに作られた小学校に通っていました。卒業式を間近にひかえており、中学校に上がるのを楽しみにしていたことを覚えています。日頃から宮城県沖地震のための避難訓練はしていたのでスムーズに校庭まで避難することができ校舎自体の損傷もなかったため、またすぐに日常に戻るだろうと軽い気持ちで親の迎えを待っていました。(宮城県、24歳、会社員)
2011年3月11日
頭上からサンドウィッチと紅茶とティーカップがそれぞれ降ってきたこと。(東京都、31歳、会社員)
2011年3月11日
高校を卒業したあと、大学に入るまでの期間で、実家にいて、理由は忘れたけど母とけんかをして自分の部屋に閉じこもっていた。地震が起きて、電機が消えて、自然と仲直りした形になった母と毛布にくるまって手回し式のラジオをきいていた。(東京都、30歳、司書)
2011年3月11日
その年の6月に結婚式をする予定だった。震災が起きて「結婚式どころではない…」と浮かれていた自分を責めた。自分のせいではないはずなのに罪悪感がすごかった。(茨城県、43歳、公務員)
2011年3月11日
棚から落ちそうなテレビを支えながら、ゆれる中、母に電話をかけた。母は病院の待合室で祖母をかばい、電話に出ることができなかった。それ以降、電話はしばらくつながらなくなった。その夜、テレビの画面ごしに通学で使った路線、友達と待ち合わせに使った書店の崩壊を見た。(東京都、34歳、劇作家)
2011年3月11日
1人、トイレの中で地震を体けんしたこと。(茨城県、23歳、会社員)
2011年3月11日
私以外全員が出かけていた。犬の散歩から帰ってきて、ドアに手をかけたときゆれた。「大したことないな」と家に入ろうとしたけれど、今度は大きく揺れたので、犬を抱えて公園に逃げた。夜遅くまで犬と二人きりだった。12年経ち、私は家を出て、犬は去年天国に行った。(30歳、公務員)
2011年3月11日
私はあのとき海外にいて、友達と遊んでいる時に、母親がふとテレビをつけたら、あの濁流の映像が流れてきて、今日本で起きていたことを知りました。あの時は小学2年生です。青森出身だった友達はすぐ家に帰り、私はただテレビをながめていました。(東京都、20歳、学生)
2011年3月11日
激しい地震が起こった時、私は皆の机にプリントを配っていた。皆が机の下にうずくまる中、パニックになって友人の机に入れてもらった。私は体全部机の中に入れていたけど、その子は頭だけしか入れていなくて、私は酷いことをしたと揺れが収まってから後悔した。(山形県、22歳、大学院生)
2011年3月11日
職場から歩いて帰って 母にTelがつながらなくて 夜、ショートメールで「TVのニュース見てます」ときた。(東京都、63歳、会社員)
2011年3月11日
スキー場でハンターマウンテンのゴンドラおりたら東日本大震災の地震にあったこと。スキーどころじゃなかったが温泉に入ってから帰った。(茨城県、51歳、会社員)
2011年3月11日
入学説明会を、通うことになる高校のホールで母と座って聞いていたときに被災。ステージ上部に備え付けられた重そうなスポットライトがぐわんぐわんと大きく揺れて、最初は様子を見ていた参加者たちが次第に悲鳴を上げはじめた。「これはマズい」と思った。高校の放送部らしき先輩たちが動揺して動けないでいる先生たちよりも先に「照明から離れてください!」と号令をかけていて、恐怖の中でも「この高校に入学できてよかった」と感じたのをおぼえています。(神奈川県、28歳、会社員)
2011年3月11日
私より上の兄姉を抱きしめた母のこと。(20歳、会社員)
2011年3月11日
バケツの水がゆれた。
2011年3月11日
就活中、地下街で時間をつぶすために立ち読みをしていたら、地面がぐわんぐわんと揺れたこと。そして、何もなかったかのように(何も知らなかったので)次の企業説明会に参加した。(大阪府、33歳、会社員)
2011年3月11日
翌日予定していた伊勢旅行に無事行けるか心配していた事。(愛知県、39歳、会社員)
2011年3月11日
友人に会いに行くかどうか決めかねていた、能天気な夜。(茨城県、35歳)
2011年3月11日
教室の時計が落ちて割れてしまったこと(茨城県、23歳、学生)
2011年3月11日
今日ここに共にいる人が12年前のあの日を同じ場所で経験した人だということ。あれから12年、私たちは離れて暮らすけど、全国制覇の旅を続けている。(27歳、教員)
2011年3月11日
震災当時小一になる直前で他のことは覚えていなくても揺れて都心も混乱し、私も大阪へ帰省したことを思い出した。また小4のとき学校で石巻へ行き、そのとき見た震災資料・痕跡・被災者の伝用が私にとっての3.11の追体験となり鮮明なものとなった。再びそのことを思い出した。(神奈川県、18歳、大学生)
2011年3月11日
東日本大震災の日、買っていたハムスターを小屋から取り出した直後、がれきで小屋がつぶれたこと。(茨城県、17歳、学生)
2011年3月11日
東京の地下の本屋から地上で揺れるビルを見る。外苑前から高円寺まで歩く夜道。みんなまっすぐもくもくと歩く。(栃木県、36歳、デザイナー)
2011年3月11日
電気なくてもカレーライスが食べられた。農家スゴイ!!(44歳、自営)
2011年3月11日
揺れで、学校の机の中身が飛び出たこと。(千葉県、22歳、歯科衛生士)
2011年3月11日
震災の夜 星空がきれいだったこと。(茨城県、57歳、会社員)
2011年3月11日
調理室で、お楽しみ会の劇の練習をしていたら、急に揺れた。電球がおちた。皿もとびだしてきそうだった。いつもふざけてる男子が泣きそうになっていた。いつも怖い男子が、冷静に声をかけてくれた。(東京都、23歳、学生)
2011年3月11日
初めて、はだしで逃げた時のこと。震災の時は妊娠8ヶ月。大きなおなかをだかえながら、大きな揺れでビックリした。古い借家に住んでいて、つぶれるんじゃないかと恐くて、目の前の広い空き地にはだしで逃げだした。子どもだけは守らなきゃ、それだけだった。(山梨県[震災時は茨城県]、52歳、自営業)
2011年3月11日
地震におびえた妹が小学校入学の道具をかかえて、家のストーブにつまずいて転んだ。(茨城県、21歳、学生)
2011年3月11日
茨城県在中。その日は部屋の中が入れる状況ではなかったため、駐車場の車のうちで過ごしました。備蓄をしていたのでスーパーへの買い出しは一週間後でしたが、購入制限があったのを記憶にしています。震災の翌日に初めて観たニュース(東北・仙台)で、同じ日本?と衝撃を受けたのを覚えています。きっと一生この感覚は忘れないと思います。(茨城県、40歳、自営業)
2011年3月11日
車イスのおばあちゃんを置いて行こうとしたこと。(茨城県、32歳、飲食)
2011年3月11日
仙台の家で、2歳の弟を守りながら落ちるCD類を見ていた。弟は石のように固まっていた。全身が固くなっていた。その後、雪が降って「残こくすぎる」と雪が許せなかった。(東京都、28歳、演奏家)
2021年3月11日
家庭裁判所で苗字が変わったこと。(茨城県、26歳、会社員)
2022年3月11日
梅の花と芸術館に行くためにレンタカーをかりて東京から水戸へドライブをした。三郷の料金所のETCレーンの縁石にのり上げて、レンタカーは自走不可。路肩でJAFや警察の対応に2時間かかった。おおたかの森のうらポートで食事をしてつくばエクスプレスで東京に帰った。(東京都、35歳、公務員)
2023年3月11日
今日のデート。(茨城県、25歳、会社員)
2023年3月11日
東日本大震災。(茨城県、23歳、会社員)
2023年3月11日
右目が見えなくなった。5分間。(神奈川県、55歳、フリーランス)
2011年3月12日
寒く、暗い部屋の中で家族6人が石油ストーブで暖を取り、前日(3/11)が誕生日だった娘のバースディケーキを非常食として食べました。甘かったけど、複雑な味だった。(茨城県、65歳、養護教員)
2011年3月12日
停電がおさまってテレビを観たらフクシマ原発が水素爆発していた。初めて観た発電所のイメージ。(茨城県、55歳、教員)
2011年3月12日
原発事故がこわくて眠れなかったこと。(埼玉県、24歳、公務員)
2011年3月12日
もう亡くなった夫が、コンビニでひとつだけ残っていたショートケーキを買ってきてくれた。私の誕生日のおいわいに。(茨城県、39歳、大学教員)
2011年3月12日
茨城から脱出するため、車で栃木の家に向かった。茨城は真っ黒だったが、栃木に入ったとたん明るくなった。(茨城県、32歳、会社員)
2011年3月12日
東日本大震災発災の翌日、東京で帰宅難民になっていましたが、ようやく当時住んでいた茨城県に帰って来られました。しかしアパートは水道管の破損で水びたし。必死に片付けをしました。その日の夜、心配した実家の父が栃木から迎えにかけつけてくれました。顔を見て安心しました。余震がくる中、アパートの部屋で2人で仮眠をとりましたが、怖くて私は一睡もできなかったことを思い出しました。(埼玉県、35歳)
2011年3月12日
当日宮城県多賀城市に住んでおり、津波に飲み込まれた会社に勤務していた。父親と自宅で再会して抱き合ったとき、気難しい父親で正直苦手だったけど、その時だけなぜか頼りになる存在に見えた。この展覧会で急に思い出しました。(福島県、25歳、会社員)
2011年3月12日
震災直後なのに友人の家でバーベキューしてたこと。(茨城県、18歳、学生)
2011年3月12日
大学生で一人暮らししていた頃に震災がおきました。震災の翌日から、被災地出身の友人と集まり節電のためろうそくの灯りで夜を越していたことを思い出しました。(茨城県、31歳、学生)
2011年3月12日
震災の翌日、デーリー東北に載っていた転覆した船の写真と、コラムのこと。コラムを書いている人が確かに存在していること。(茨城県、22歳、学生)
2011年3月12日
展示を見ていると言葉の後側に映像が浮かんできます。家の片付け、仕事場の片付け、片道40kmを自転車で通勤したこと。リュックにペットボトルに水を入れたものを大量に背負って…。(岐阜県、63歳、元公務員)
2011年3月12日
前日3月11日は関東地方でも、いつもの日常とは全く異なる様相でした。次の日、名古屋へ向かう予定になっていて、東京から新幹線に乗って、夕方、移動しました。鉄道のダイヤは乱れ、苦労して、乗車駅に辿り着いたのですが、その地は全く普段とは変わらないような日常の様子を示しており、その落差にとても驚きました。いつもどおりの日常が常に続くわけではないと改めて思いました。(埼玉県、57歳、自由業)
2011年3月12日
誕生日のケーキがウエハースでした。電気も水道も止まったままで不安な時に、ウエハースをケーキに見立てて誕生日を家族が祝ってくれたことがうれしかったです。(茨城県、51歳、会社員)
2011年3月12日
私は海外にいて学校の人に「I'm sorry」と云われた。何のことかそこまでわかっていなかった。声をかけてくれたその人は数年後に自死したと帰国してから知った。(栃木県、34歳、自営)
2011年3月12日
ホームヘルパーの仕事の初日だった。前日は別のアルバイトをしていて、(五反田の牛丼屋)店はかなり混乱したようすだった。ホームヘルパーの訪問先はおばあさん(90代)の家で私は不安だったけど、その利用者の方はおちついたようすだった。一緒に訪問してくれた方はベテランでたよれる人だった。名前は忘れてしまった。後日五反田のバイト先に娘さんを連れて牛丼を買いに来てくれた。(東京都、33歳、会社員)
2023年3月12日
姉が大学に帰った。(茨城県、17歳、学生)
2011年3月13日
つい昨日あたり、あの年のことを考えていた。日立市在住の私は、当時イトーヨーカドーの外でコージーコーナーのケーキが半額くらいで売られていた列に並んだ。いつもは楽観的な私も、食料がこれしか届かない?ことを想像し、不安になった。高速は通行止め、さらに原発の問題。この社会は大丈夫なんだろうか?と、色々思った。そしてようやく、元気を取り戻した私は、どのように社会に恩返しができるのか分かりはじめてきた。(茨城県、59歳、カウンセラー)
2011年3月13日
やっと電気が通ってテレビを見たとき、千葉が震源じゃなかったと知ったこと。波が黒かった、正座が痛くなって動けなくなっていたことに気づいた。(千葉県、23歳、会社員)
2023年3月13日
自分の20才の誕生日。世の中から20才という大きな山をあたえられている気持で生きてきたが、気づいたら山を越えていた。“生きる”を考えた日。(東京都、20歳、学生)
2023年3月13日
祖父が別れギワに号泣していたこと。「もうおじいちゃんあえへんかもしれへんから」。(東京都、21歳、学生)
2006年3月14日
〇〇大学で引き起こされた事件。タテカンバン規制をきっかけにして、学生を「犯罪者」にしたて上げて、退学に追いこもうとした先生たちと、大量の職場内ニート(職員)たちが毎日、何年も、嫌がらせに動員されたことを。200人の警官隊があの日動員され、まちかまえていたこと。当然、そんなことを大学だけが企画できる訳もなく、官権の意志、戦争への準備がそこにあったこと。傷ついた学生、カルト化を進めたセクトの連中。助けてくれた友。(高知県、40歳、看護師)
2011年3月14日
次女の中学校の卒業式だった。卒業式が終り自宅でくつろいでいた時地震は起きた。自宅にもどっていなかった主人の安否を気にしながら、テレビから流れてくる想像を絶する津波の映像は、現実を超えていて、信じられない気持ちと、これからどうなるのだろうという思いで、ただジッとその場にかたまっていた事を思い出した。(千葉県、55歳、ヨガインストラクター)
2022年3月14日
永寿総合病院でクラスター感染が発生した日。近所に引越した直後にそのような事態になり、とても不安になったことを思い出した。親族に会えない気持ちと心配な気持ちがあり複雑だった。(東京都、24歳、会社員)
2011年3月15日
停電の家からゴンちゃんジャンパーを来た娘が「おかえりなさい」とむかえに出て来たこと。(神奈川、66歳、団体職員)
2023年3月15日
5才の娘が上手に「ラピュタ」の絵を描いたことにおどろいた。登場人物の特徴をとらえていてびっくり!(新潟県、40歳、公務員)
2015年3月16日
職場に行けなくなった日。(茨城県、51歳、公務員)
2015年3月17日
我想起来了。7年前走在小平市下著雪的街道上。(台湾、54歳、家庭主婦)
2023年3月17日
白い部屋には壁一面に「わたしは思い出す」から始まる短文が並んでいたこと。(茨城県、42歳、自営業)
2011年3月18日
1週間、家に帰れなかった。そのあと 1週間ぶりにテレビで津波のことを知った。言葉を失った。(栃木県、65歳)
2022年3月18日
出産の瞬間は嬉しさより、達成感だったこと。(茨城県、38歳、医師)
2023年3月18日
ナゾヤに置いておいたタバスコをほとんど使われてしまった。(埼玉県、39歳、会社員)
2023年3月18日
5年ぶりに父の誕生日を家族4人で祝った。その時に父が言った「真子がいるのは久しぶりだもんな」という言葉とその時の笑顔。(ライプツィヒ・東京都、27歳、学生)
2005年3月20日
母といっしょにスーパーにいたとき地震があって近くにあった酒売り場の瓶が次々われたこと。大きな地震があまり起きない町で、はじめてくらいの大きなゆれだった。
2020年3月20日
やくもこうえんにいたこと。(東京都、7歳、小学生)
2020年3月20日
コロナで仕事が時短になり ダブルワークを始めた初勤務の日づけ。今までの自分にもっと変化が欲しいと思い、それまでは裏方ばかりの職種についていたが、もっと人と話がしたいと思い、接客業を選び、当初はどきどきの連続でやれるかどうかと不安だらけでしたが、今月に3年目を迎えて、この仕事について良かったと思いました。私を考えるのは私しかいないんだなと。(水戸市、43歳、接客業)
2019年3月22日
入籍した日。昼に区役所で届を出し、近くの喫茶店(今はもうない)でチャーハン(ピラフ?)を食べた。雑な盛り付けと味で、自分が作る方がおいしいと思った。(東京都、28歳、カメラマン)
2022年3月22日
校外学習が校内学習になって、実行委員のみんなと協力したり実行委員長といいあらそったりしたこと。(茨城県、12歳、中学生)
1998年3月23日
大学院の修了の日。仕事はなかった。(佐賀県、51歳、会社員)
2023年3月24日
いま。(茨城県、8歳、小学生)
2023年3月24日
買ったゆびわが届いたこと。すごくかわいくて、うれしかった。(東京都、29歳、学生)
2023年3月25日
初めて会った日の事。
2023年3月28日
娘とこの展示をおとずれた。(38歳)
2023年3月30日
昨年の5月、つくばで元彼にフラれたこと。(北海道、17歳、高校生)
4月
2006年4月1日
はじめて小学校に通うことになり、緊張で先生に呼ばれた時に左手を挙げて返事をしてしまった。他の子はみんな右手を挙げていた。すごくはずかしかったのを思い出した。(茨城県、22歳、大学生)
2009年4月1日
はじめて実家を出て一人暮らしをしはじめたタイのチェンマイのアパートで、マンゴーを食べたこと。小さなナイフだけ近所の商店で買ってフォークもなにもなかったのでベランダで手をべとべとにしながら食べた。とても甘かった。少しさみしくて、でも一人で生きていくということにわくわくしていた。(バンコク、36歳、主婦)
2018年4月1日
実家を離れ、母と別れたこと。(東京都、23歳)
2023年4月1日
また一人の患者の看とりを行ったこと。人の生とは、人の死とは何だろうか。ケアにもあらゆる形がある。大きなことが、どうでもよくて、本当に小さなことが、大切だったりする。そうか、考え続ける。悩み続ける。-ingが大切なのかも。(茨城県、35歳、医師)
2006年4月2日
弟の誕生日前日、祖母と桜を見に家の近くへ散歩に行った。きれいな桜の花を拾って帰ったらしい。出産に備える母親にプレゼントした。実家の冷蔵庫に冷凍されて今も保存されている。(神奈川県、20歳、学生・グラフィックデザイナー)
2022年4月2日
子どもの3才の誕生日に天文台へ空を見に行き双子座を見たこと。子どもは施設のままごとコーナーをはなれたくなくて大泣きしていた。(大阪府、39[娘4]歳、会社員)
1950年4月3日
生まれた時しめきった雨戸のふしあなから暗い部屋に昼の光がさしこんでいた。確かな記憶である。(茨城県、72歳、アートコミュニケーター)
2023年4月3日
旧いアルバムを一緒に整理していると母が私の赤ん坊時代の写真を見て何度も「かわいい、かわいいねぇ」と言っていたこと。そんなことは初めてだった。50年も前のことなのに。
2023年4月8日
彼に「母親みたいなことを聞いて来ないで」と叫んだこと。(東京都、26歳、無職)
1994年4月10日
私は次の日に生まれる。母はこの日が誕生日だ。自分の誕生日の次の日に私を産むのはどんな気持ちだっただろう。(東京都、28歳、会社員・大学院生)
2018年4月10日
友達を作るために初めて嘘をついた。今もその嘘を引きずってる。(21歳、会社員)
2011年4月11日
震災から1ヶ月が経った。本当は東京の大学の入学式に出て、大学生活がスタートしているはずだった。けれど、私は今も泉区のマンションで避なんしてきた親戚と生活を共にしている。辛さがあるが海側で生活している人たちと比べたらそんな弱音は吐くことなんてできない。被災したようで被災していない、そんな感覚でいる。(東京、30歳、デザイナー)
2023年4月11日
「今、女の子が隣にいますよね?」と匿名の電話がかかって来た。電話を受けた母の隣に小学生の私がいたこと。そのあとしばらくの間、下校時母が自転車で迎えに来てくれた。華奢な体型の母に、成長期の私の体は重すぎて堪えたのか、母は自転車を押しながら、二人で並んで歩いて帰った。(茨城県、29歳、美術館の展示解説員)
2023年4月12日
約束していた友だちが急に帰ってしまって 何だか寂しくなってしまって、多摩川の河せん敷を一人で散歩した。その後ともだちをさそって夜の駒沢公園を散歩した。「一人で食べると寂しくなるもの、オムライス」「すしと焼肉も」。(東京都、26歳、自由業)
2023年4月13日
どうしようもなく望む形にならなかったことは、自身の死であるように思う。自分自身は最も身近な他者である。その自身はすでに死んでしまった。人との距離感を縮めることは、「わかりあえない」という段階まで知ろうとすることなんじゃないか。きっとわかりあえないと知っていても、それでも知ってみたかった。苦しんでみたかった。分かり合えなさを痛感するほどの距離で、あなたのことで苦しんでみたかった。そしてどうにか歩み寄ることをしてみたかった。(東京都、28歳、文筆家)
2023年4月14日
少林サッカーを見て、既成概念をくつがえされた。(茨城県、19歳、学生)
2023年4月15日
お腹を引っ込めて歩くと決意したこと。(神奈川県、27歳、会社員)
2023年4月15日
友だちのにおい。(東京都、27歳、会社員)
2016年4月16日
地元の熊本が地震で被災した時京都にいた。一人暮らしをしていたが自分の無力さが悔しかった。夜1時川の側を歩いた。往復した。(東京都、28歳、会社員)
2016年4月18日
熊本地震の本震後、小学校の校庭で車中泊していた。子どもへの影響を心配していたが小2の息子は毎日余震のなか学校で遊びまくり、日に焼けて「オレ、毎日友達と遊べるけん楽しい」と言った。(熊本県、46歳、団体職員)
2016年4月18日
7年前の今日、娘を出産しました。52cm、3,138g、18:07。光り輝くという意味のハワイ語から名前をLINOとつけました。とても元気な女の子に育ってます。(茨城県、41歳、パート)
2023年4月18日
息子と初めて30分以上の長電話をしたこと。一緒に暮らしている時は「うん」「もういんえ」と要件を伝え切らないうちに電話を切ってしまうような子だったのでこんなに長電話するんだと驚いた。もう本当に別々に暮らしてるんだなぁ。(静岡県、40歳、公務員)
2023年4月21日
手紙を書かない弟が、母の誕生日のために母に宛てて初めて手紙を書いたこと。花束も買ってきて、母は泣いて、一緒に家をつくろうと話した。(東京都、23歳、学生)
2023年4月21日
玄関を出た時に「わあ〜、雨の良い匂い」と3歳の娘が言ったこと。(茨城県、53歳、パート)
2023年4月21日
お弁当を忘れた私に、母が届けてくれた。(茨城県、57歳、会社員)
2023年4月24日
子供が喉が痛いと言い、学校を休ませ祖母に預けることにした。祖母に預ける前にコロナの抗原検査をしなくてはと思い、嫌がり続ける6才の頭を3回たたいた。めったにたたくことなんてなかったのに。(茨城県、医師)
1998年4月25日
5歳の誕生日の朝。背が伸びているかと思って身長を測った。(茨城県、29歳、会社員)
2023年4月28日
同じ職場の先輩が、私の講師時代の教え子だったことを知った時、私にとって黒歴史なので、仕事へ向かうのが少しゆううつになる。(茨城県、33歳、事務員)
2023年4月29日
ほいくえんのともだちにあいました。(茨城県、7歳、小学生)
2023年4月29日
水戸芸術館でアルゲリッチのコンサートを聞いたこと。ずっとずっと昔からききたかったピアニスト。残念なことは小澤せいじさん、体調不良で舞台に出られなかった。(東京都、75歳、無職)
2023年4月29日
「戦争さえなければ良かった」と故き母が言っていた。(東京都、75歳、アルバイト)
2023年4月29日
久しぶりに水戸にやって来た。バスで駅前から芸術館への行き方がよくわからなかった。わりと風が強い。いい天気ではある。展示を見てる。今を思い出してなんか書いてる。ちょっと眠いなあ。(千葉県、36歳、アーティスト)
2023年4月30日
小さな頃、昼寝から目が覚めたら、部屋が真暗で大声で泣いて、扉の前で立ちつくしたこと。(東京都、52歳、自営業)
5月
2018年5月1日
夢であった「医者になる」ことをあきらめ、違う道に進もうと決めた。(茨城県、24歳、建設業)
2014年5月3日
友だちと逗子にあそんだこと。カイセンにかかって毛がぬけたアライグマをみつけたこと。海さえあれば何もいらないと思ったこと。(神奈川県、33歳、学習支援員・ライター)
2014年5月4日
会社を辞めることを妻に告げたこと。反対すると思ったら、あっさり「OK」。でも「生活費はまけないよ」と言われました。(東京都、自営業)
1980年5月5日
両親の結婚式の日。自分は未だ生まれていない。2人は若々しく、笑顔で首から花の飾りを下げて新婚旅行に沖縄へ向かった。(とアルバムにあった)(東京都、42歳、会社員)
2023年5月5日
子どもがうまれて7~8年後に子どもを連れて実家に帰省した。(東京都、62歳)
2023年5月6日
義母がはじめて私に会ったとき私のすれた草ブーツをみて「ぜいたくをしない子だから早く結婚したほうがいい」と夫にいっていたこと。(東京都、41歳、主婦)
2023年5月7日
子どもの誕生。妻と病院へ直行し、手続きをするためペンを持つが普段スラスラ書ける名前が書けずふるえが止まらなかった。喜び、嬉しさ、緊張、いろいろな思いがあったと思う。(茨城県、44歳、公務員)
2014年5月10日
結婚届を出しに行くことより、友達とのお茶の約束に遅れそうなことが気になって、元夫と別れて、1人渋谷に向かった。(福島県、38歳、デザイナー)
2020年5月10日
絵を描いていた親せきが亡くなった日。家に帰ると、母は涙が止まらなかった。彼が好きだった曲がラジオから流れると、母は彼が近くにいることを感じる。(神奈川県、24歳、助手)
2013年5月12日
父が亡くなった日です。(神奈川県、63歳、ライター)
2010年5月13日
地元をはなれて2度目の誕生日に祖母からメールが来た。「誕生日おめでとう。今年も庭のスズランがとってもきれいです。」うれしいやら何やらで涙が出た。(宮城県、31歳、団体職員)
2008年5月16日
ヤマハのピアノ教室に通っていました。母が送迎をしてくれていて、当時母のはまっていたラップのアルバムが車でずっと流れていました。私も練習が嫌で、ピアノ教室に通うのはずっとめんどうだと思っていました。小さいうちから、音楽が楽しいと思えていたらどんなによかったかと思っています。(22歳、学生)
2014年5月17日
生まれて来なかった、私の第一子の出産予定。初めての妊娠でエコー写真に記されたこの予定日は、現在2人の子育てに追われ、忙しい毎日を送っていてもカレンダーにずっと印をつけています。(東京都、40歳、学生・自営業)
2006年5月20日
小1の息子が学校を脱走しました。先生方が手分けをして捜索。その間私は仕事で携帯の電源を切ってました。夕方ONにしたら、おびただしい数の夫からの着信が…。何事かと電話したら「まあいいから。菓子折り買って帰ってきて」と言われました。(東京都、53歳、団体職員)
2022年5月23日
私の母が亡くなってちょうど半年後の月命日のこと。その日は仏壇を拝むために実家に帰省しました。母が亡くなり、1人暮らしになった父は押し入れに向かってアルバムの整理をしていました。途中で、「ほらみて」と父が私に渡して来たのは、私が小さい頃かいていた絵と物語が描かれた冊子。当時、絵本作家になりたかった5歳児の私の横で、母が私の話したことを文字起こししてくれていました。物語の途中で、「お母さんが笑った。」とかいていました。フィクションの世界に母が登場。母が実在していたことに、愛のほほえみに、涙がとまりませんでした。今でも私の想像の世界に、母はずっと存在し続けています。(山形県、22歳、大学生)
2019年5月26日
友だちのバンドの付き添いで、タイのバンコクに行った。音楽フェスの次の日のベニューはカフェの1階だった。地元のバンドが2階から飛び降りて骨を折ったと聞いた。サウンドチェックを終えて、会場の近くを歩いていた。熱や音を奪うように、届けるように吹いた。強い風はぼくを立ち止まらせた。(茨城県、48歳)
2018年5月29日
30代に突入するにあたってやり残したことはないか考え、左耳にピアスを開けました。スノーボードハーフパイプの平野歩くんがカッコイイなと思ったんです。あの活躍(ピョンチャンでの)とピアスを見て、僕も開けたくなったんです。(東京都、34歳、学生)
6月
2016年6月4日
夕刻。以前より家の敷地内に出没するのらの子が家に侵入。冷蔵庫の前をくるくると回って、4匹の子猫を出産!! あまりのことに成すすべもなく気を遣って部屋の電気を消すのがやっとだった。落ち着いて、こちらも気を使って部屋を離れようとすると「見ておけ」と言わんばかりにシャーと強く泣いた。以降4匹と1匹は我が家の住人となる。不思議な体験だった。(茨城県、40代、自営業)
2022年6月10日
人生最大に調子にのっていた時期の、最初で最後に起きたキセキ。(茨城県、32歳、研究者)
2017年6月23日
この日の未明に母が亡くなったと父から連絡があった。もともと余命2ヶ月と言われて病院から自宅に帰ってきたので、いずれはと覚悟していたがちょうど2ヶ月だったことにお医者さんってすごいと思った。よく24日通夜、25日が告別式&初七日で、25日は弟の誕生日。ピザでお祝いし献杯した。不思議だと思った。(兵庫県、40代、主婦)
2021年6月24日
大切な友人の母からメールが届いて、友人がいまICUに運ばれ意識不明になっていたこと。(東京都、29歳、学生)
2022年6月26日
甥っ子が生まれた。両親にとっては初孫だった。その時、兄嫁という血の繋がりがない人が、兄の血を受け継いだ甥っ子の誕生によって、私と親族になったことを実感した。後日、対面した赤ん坊は小さくて、買っていた犬よりも何を考えているのかわからない、まだ人間というよりも動物で、生命体だと思った。(茨城県、29歳、アーティスト)
2002年6月28日
初めて父親を実感した日。長男の誕生、妻は自然分べんと頑張ったが、午後帝王切開になる。長男、妻とも元気に出産できた。長男の顔を見て、この子のためなら死ねると実感。はっきりとした日付と記憶が一致することは数少ない。(神奈川県、63歳、グループホームヘルパー)
7月
1962年7月4日
鬼が向こうの路を。鬼が引き戸に映っていた。(茨城県、64歳、ミュージシャン)
1997年7月7日
初めて母になった(1995)。2回目の出産(1997)。2回目は7/7七夕に生まれておいで!!と前日おなかをさすっていたらその通りになった。2週間早い出産。小さかった。鳴き声も小さかった。2週間過ぎたら声も大きくなった。(茨城県、55歳、講師)
2022年7月8日
安倍元総理にいきなりの悲劇が起きたこと。(東京都、12歳、学生)
2012年7月10日
娘に「トイレに行く」と言われて、急いでトイレトレーニングに必要なものを買いに行った。1歳6ヶ月でまだまだオムツで良いと思っていたのに…。(茨城県、46歳、会社員)
2016年7月10日
ひいおじいちゃんが死んだ。(茨城県、14歳、中学生)
2021年7月10日
不器用に指輪をさし出してくれたこと。(茨城県、32歳、会社員)
2022年7月10日
初めて受けもった教え子が飛び降りた…と連絡を受けた日。(埼玉県、32歳、元教員)
2014年7月13日
友達がはじめて声をかけてくれたこと。(茨城県、14歳、学生)
2022年7月15日
まさか自分が。診断書をもらい、気持ちが軽くなった。(新潟県、32歳、無職)
2022年7月16日
私の結婚式の前日に、家族で久々に集まった。西日本にある実家に住む両親と弟、東京に住む私ともう一人の弟が渋谷の居酒屋に集まっているのが不思議だった。コロナ禍で帰省もひかえていたので、全員が一堂に会すのは2年ぶりだった。皆で外食したのも、もっと前までさかのぼる。結婚式を翌日に控えた高揚感と久々に家族の顔をも見られた安心感を改めて思い出した。(東京都、33歳、会社員)
2018年7月19日
娘と初めて目が合った日。あまりに不思議でどう感じて良いかわからなかった。(山梨県、36歳、学芸員)
2002年7月28日
芸術館のカクカクの下の芝生で駆け回り大きい岩のところで水浴びしてびしょびしょになったこと。石畳の灰色と芝生の緑と水しぶきのきらきら。(東京都、25歳、フリー)
1999年7月31日
ノストラダムスが予言した恐怖の大魔王が地球にやって来ず安心したこと。(東京都、41歳、経営者)
8月
2020年8月1日
コロナ禍になって、また社会人になって初めての夏。長らく引きこもってばかりいたが、久しぶりに学生時代の友人たちと会い、大きなフルーツパフェを食べて花やしきで遊んだ。コロナ禍で最初の、いちばんまぶしい夏の思い出である。(東京都、25歳)
2022年8月1日
台所に立っていた父が「今日はアニバーサリーやで〜」と話しかけてきた。なんのことかとおもったら父が心筋梗塞で倒れた日からちょうど一年だった。なんてのん気な人なのだろうと思った。(東京都、24歳、フリーター)
1980年8月4日
期待されてフルートを習ったけど結局やめてしまった。毎週ボランティアで来てくれた先生に申し訳なかったな。(51歳、パート)
2011年8月7日
初めて我が子を出産した日。無事に娘が産まれて安心したのと同じ位、強い気持ちで、自分が死なずに、生きていられたことに本当に感謝しました。難産だったんです。自分が死んでしまうかと思いました。自分のこの命も、もちろん自分自身の命も大事です。このとき私は「しっかりした」んだと思います。(茨城県、42歳、パート)
2003年8月10日
息子が生まれてからアトピー皮フ炎であちこちの病院に行き、なかなか良くならず、最後に行ったあやしい皮フ科で体中白い薬を塗られて包帯をぐるぐるまきにされた息子をみたらかわいそうで、泣けてしかたなかった。(神奈川県、58歳、パート)
2022年8月10日
母が亡くなる。夏の日の朝方だった。天から挿し込む光のようにベッドが明るくふくらむ中で呼吸を段々と荒げてなくなった。母の顔にはやすらかな笑みがあったと思いたい。母の最期。私の芸術だった。(東京都、49歳)
2017年8月12日
父、母と取手の花火大会に行った。そのときに偶然撮れた花火の写真がスパンコールのようできれいだった。(茨城県、20歳、大学生)
1988年8月13日
家族でキャンプに行った時。夜中でも明るい自宅を離れて山の中で一泊する初めての夜。街灯もない山の中が恐くて恐くて家に帰りたかった。(栃木県、41歳、心理カウンセラー)
2018年8月13日
元妻が事前に何の話し合いもせずに10ヶ月の子供を連れて家を出ていったこと。子供の意思とは関係なく、略奪のために出て行かれたこと。その日から人生が180度変わってしまった。それ以来娘に一度も会えず、毎月養育費を支払うのみ。娘はどうしているだろうか。娘は父親という存在をどう思っているのだろうか。(東京都、40歳、会社役員)
1997年8月16日
誕生日はいつも夏休みでよく大風だったこと。学校がないので友達に祝ってもらうことがなくてホッとしていた。(愛知県、36歳、会社員)
2022年8月19日
プールは楽しい。(茨城県、10歳、学生)
2018年8月21日
長男が生まれた日。仕事をしていたが、妻から連絡が入り、すぐに病院へ。生まれる5分前に手術室に入った。(兵庫県、35歳、公務員)
2018年8月23日
のうこうそくになった。(秋田県、42歳、自営業・アーティスト)
2008年8月24日
6歳上の兄とピアノの前で「海」をテーマに一緒に不協和音を鳴らした小学6年生の夏休みの夜のこと。(広島県、25歳、フリーター)
2022年8月27日
好きな人に誕生日プレゼントを渡したこと。(茨城県、17歳、学生)
1949年8月28日
長女を産んだ時の事。うれしくもあり……?(埼玉県、75歳)
9月
2018年9月7日
友人のアパートで、携帯電話とタブレットの充電をしていた。断水でトイレの時に近くの小学校の体育館に行った。大学の先輩と久々にそこで会った。(茨城県、31歳、会社員)
2000年9月8日
保育園に入り1週間後の生後6か月の長女、母乳に慣れていたため半分ミルクを受けつけず保育園では泣いてばかり。1週間での体重の減少に気づき、不安で一杯になった土曜日の朝を思い出しました。(埼玉県、51歳、会社員)
2000年9月11日
はじめての…出産。長い長い…時間でした。(茨城県、50歳、主婦)
2001年9月12日
青空の澄みわたった朝の7時。今日は子どもが生まれると感じて、夫の車で入院しました。なかなか陣痛が来なくて、時が過ぎて行きましたが、その後22時に無事出産。本当にホッとしました。(茨城県、52歳)
2017年9月12日
アメリカへ初めての一人旅。おどおどしながら入ったNYのスーパーで買い物を終えると、レジに立っていたおじさんが投げキスのしぐさをしてくれた(アメリカの手話でありがとうの意)。慣れない異国で初めて安心した瞬間だった。(東京都、29歳、教員)
2022年9月12日
子を出産し終え、病室(4人部屋だけど私1人だった)に車いすでつれて来てもらい、「今日はいい天気ですよ」とカーテンをあけて外を見せてくれた。これからの日々、まっさらで始まるような、そんなふしぎな、いい天気だった。「運動会日和よ」と看護師さんが言っていた。それからたった数ヶ月のうちに様々なことがあり、今、半年になる子とふたり楽しくいられている。これからのことも分からない。(茨城県、37歳、自営業)
2021年9月17日
山形の合宿面免に行った最終日の帰りに胃腸炎で倒れ、夜行バスに乗れず、お父さんが片道4時間かけて迎えにきてくれたこと。(神奈川県、20歳、大学生)
2019年9月22日
夢と夢を繋げると、現実になった。メタバース、VRSNSなどと呼ばれるサービスの1つとされる「VRChat」のクライアントソフトを初めてインストールした日。(茨城県、26歳、大学院生・ビデオグラファー・VJ)
2022年9月24日
国際芸術祭あいち2022で《ドライブレコーダー》をみたことを思い出しました。仕事で個人の日記資料を読んだり、プライベートで日記をつけたり(つけなかったり)していたので、日記を読み直したくなりました。(東京都、30歳、学芸員)
2010年9月26日
歩行器を使って家中をうごきまわっていたこと。さながらUFOだった。(茨城県、29歳、学生)
2020年9月27日
逆子が治らず予定帝王切開だった。が、やはり、予定は未定で予定は予定ではないのだ。予定日の2日前に破水からの緊急手術となった。夜中病院へ行き、「昼ぐらいに手術しましょう〜」とのことだったがあれよあれよと陣痛の間隔が早くなり、看護師が焦りだした。夜中、しかも日曜ゆえ医師が不在。「早く先生呼んで〜!!!」の声が陣痛の痛みの中聞こえていた。痛みに強い私でもなかなかの辛さ。手術台へ上がり、手術の為の麻酔を打ってもらうとさっきまでの痛みが魔法のごとく消え、感動した私は「麻酔すごいです〜」と言うと爆笑する先生たち。切られている感覚の中、彼はあっという間に出てきた。みせてくれたが視力が0.01の私は裸眼で血で赤くなった塊にしか認識できず、感動できずであった。メガネをかけ、彼を抱いた時、私ではなく主人とそっくりな彼を見て、泣いた。主人と一緒になり、彼が生まれた。こうして家族となってゆくのだ、と思って、泣いた。(茨城県、40歳、レセプション)
10月
2003年10月1日
2人目の子どもを帝王切開で産んだ。すぐに抱っこさせてもらう約束だったのに、私の血圧が上がってしまいそれどころでなく死ぬかと思った。(東京都、60歳、教員)
2022年10月13日
友人と寝る前に電話をしていた。眠たくなったので、電話を切ろうとしたら、友人の「おやすみ」という声色がやさしくて、夢も見ずにねむった。
2017年10月15日
レストランでプロポーズをしようと思ったが、給仕さんや他のお客さんがいるのでできなかった。終電間際で路上で伝えたら、後の妻にぶち切れられた。(東京都、40歳、公務員)
1986年10月17日
3歳のたんじょう日の夕方。母親にだかれながら電話をしている母の顔をながめていた風景を思い出しました。(東京都、39歳、会社員)
2014年10月19日
我が子が生まれたときのこと。(茨城県、42歳、パート)
2020年10月19日
仕事終わりにツイッターを開いたら好きな人の名前がトレンドに上がっていた。彼女は自ら命を絶ったらしかった。一方的によく知った気になっている人が死ぬことをどう処理すればいいのかわからなかったが、そういうどうしようもないときに聞きたいのが彼女の曲とラジオだった。(東京都、27歳、会社員)
2022年10月20日
ずっと憧れだった人と握手できたこと。少し手が湿っていたけど嫌じゃなかったこと。(茨城県、22歳、学生)
2022年10月22日
コロナ下の環境の変化からめったに人と会わなくて、この日参加した対話形のセミナーで、人と何かなにげない事を話す感かくを思い出しました。(東京都、36歳、Webエンジニア)
2000年10月23日
大学の授業中に入った連絡。何気なく出たら、私の“育ての親”の方が亡くなったという連絡。癌を患っていたので、いつかは、と思ってはいたけどその電話の後、何を聴いて感じたら良いのかわからなくなっていた。友人が「仏様みたいな顔してどうしたの」と声をかけてくれたこと。(東京都、43歳、自営)
2008年10月23日
エレクトーンが嫌になった息子に、この曲が上手に弾けたらやめていいと言ったら、一生懸命練習して、先生に「こんなに上手に弾けるのにやめるの?」と言われたこと。(茨城県、56歳、期間雇用社員)
2017年10月24日
思いを寄せる人が自殺した。どうしてそうなったんだろう? そうならなかった為に自分にできる事があったかもしれないと悩んだりもしたけど、この世がもしかしたら似合わなかったのかもしれないので納得もしている。(和歌山県、30歳、ダンサー)
2022年10月25日
明日出産のために、産院へ入院する予定の夜。前の日に安売りしていた大量の栗があったので、なぜだか旦那さんと二人で夜な夜な栗をひたすらむいて謎に4合分の栗ご飯を炊きました。炊き立てを二人で食べていたら陣痛がきて、朝になって入院、出産。大量の栗ごはんはわたしが入院中に旦那さんが頑張ってたいらげてくれました。(茨城県、34歳、販売員)
2018年10月27日
私が母と二人で布団に入り、話している際、「寝たように死ねたら幸せな死に方だ」と言った。それから3年後、よくわからんが、先輩が亡くなった。心不全らしかった。(茨城県、15歳、学生)
2022年10月28日
関ジャニ∞・丸山隆平主演舞台「パラダイス」を母とみにいった。(茨城県、20歳、学生)
2020年10月29日
母の誕生日。早朝から救急車に運ばれていったこと。「心配しなくていいから学校に行きなさい。」と言われた。母について行きたかったけど学校に行った。顧問の先生に放課後は母の見舞いに行きたいと言うために学校について走って言葉をつまらせながら先生に言おうとした。「救急車」という言葉を言っただけで状況をさっしてくれた。母は、命を取りとめた。あの時は先生に感謝した。母のバースデーケーキは一週間食べた。(茨城県、10代、学生)
2018年10月30日
会社に行こうと準備をしていたのに気がついたら、窓の外の手すりにぶら下がっていた。家族と近所の人に助け出され、気がついたら県立こころの医療センターの病棟にいた。そこから長い闘病生活が始まった。(茨城県、29歳、無職)
2007年10月31日
朝早くに子どもが生まれたこと。(大阪府、団体職員)
11月
2001年11月1日
息子を出産した日、くもり空だったこと。(東京都、54歳、グラフィックデザイナー)
2012年11月1日
がん末期の母、自宅のソファでいつも横たわっている。その日は「もっと生きたいよ、死ぬのはやっぱりこわい」と言って泣いた。その11日後、母は昇天した。(埼玉県、44歳、医療・介護従事者)
2011年11月2日
長女と温泉出て庭で遊んでいたら「人生で一番幸せな時だね」。老女が声を掛けてくれた。誰に対してだろうと思った。(埼玉県、46歳、会社員)
2022年11月2日
うんどう会で二いだったこと。(茨城県、8歳)
2003年11月6日
飼犬が私の誕生日ケーキを食べてしまった。(千葉県、26歳、飲食業)
2022年11月8日
ほとんど何も予定せず那智の滝に行った次の日。帰りたくなくてのりかえで降りた新宮駅で、足はくたくたなのにひたすらまちなかを歩いた。たぶん何かの城の跡のような山を登りながら、これはわたしがひとりだから出来ることなんだ、と思った。ひとりで身軽でさみしいからできること。(岐阜県、30歳)
2017年11月9日
娘が生まれた日。土浦の病院で出産した。夫、父、母のつきそいがあったけど、いたすぎるし集中したいしみられるのがはずかしい?のでみんなでていってもらった。助産師さんと看ゴ学生さん、Drだけでさいごはおなかを押されて産んだ。かわしい目がパッチリした女の子がうまれてくれた。今も毎日かわいい。(千葉県、38歳、パート)
1998年11月18日
わたしが生まれたという日。母は病院で有名になるほど大泣きして、大さわぎしてわたしが生まれたらしい。あのかわいい子の母親はだれ?となって、あの大さわぎしていた人だっていわれていたと母は何度もうれしそうに話す。(神奈川県、24歳、舞台美術制作)
2022年11月21日
友人の死で、人はなによりその存在がいちばん大切なことを思い出した。話せなくても、いれば会える。(46歳、福祉関係)
2014年11月22日
初めて付き合った彼女との記念日で、部活の朝練終わりに告白されて付き合って、死ぬほどうれしかった思い出。(茨城県、22歳、大学生)
2022年11月24日
母が、「お母さんな、大腸がんになってん。」と電話をかけてきた夜。ショックで大声で泣いたが、新宿はうるさくて、全てかきけしてくれた。(東京都、26歳、無職)
2020年11月26日
歩き始めたばかり、人見知りな1歳児のあなたが、世田谷八幡でわたしの人差し指をぎゅっとにぎりながら歩いたイチョウのじゅうたんの上のあとうれしさを。(東京都、29歳、保育士)
2022年11月26日
40年近く大好きだったバンドが解散した。心がからっぽになった。他のライブで楽しんでも「ああもう私の命のバンドはもう観られないんだ」と思ってしまう。でも、先日そのバンドのVOの人が働いているところを見て、なんだかもやもやが消えた。辞めたバンドの皆さんが一番つらいし、私はそのバンドにもらった良い思いを大事にして、がんばる。(茨城県、54歳、アルバイト・パート)
12月
2020年12月2日
大学を休学し、はじめての一人暮らしを札幌でし始めた日です。机もベッドもなく、床でセイコーマートの豚丼を食べました。鍵をなくさないように気を遣いすぎておどおどしていたことを思い出します。(神奈川県、24歳、会社員)
2016年12月3日
この世でいちばんかよわくちいさなものをはじめて我が子と呼んだ日。(茨城県、30歳、主婦)
2020年12月3日
一番素敵なものを見つけることができたこと。(20歳、学生)
2019年12月5日
渋谷ヒカリエで、ある人のトークイベントに参加した。その人は、全身まひで、車いすでの移動か、介助がなければ移動できないのだけれど、その、混んでいる渋谷の、ヒカリエの上の階の、寒い日に、「私はここまで、車椅子で来ました」と、言っていたこと。(千葉県、25歳、福祉職)
2021年12月6日
子が生まれてからはじめての家族旅行。奮発して沖縄のリゾートホテルを押さえたのに前日に子がはじめての発熱。小児科であわてふためきすぎて先生にたしなめられたこと。(東京都、34歳、会社員)
2022年12月8日
ももいろクローバーZのライブにはじめていった。5才のときにファンになり、それからずっといきたかった。ねんがんのライブ。本当に楽しかった。神が私に味方してくれた。(埼玉県、9歳)
2019年12月10日
我が家の父は酒ぐせが悪く、何かにつけてどなり、子どもへのしつけも厳しく何かあるとすぐお尻を叩く親でした。自分が中学2年生の時、両親は離婚しましたが、それでも土・日(月に1度ほど)は会っていて、その時もお尻ぺんぺんのお仕置きが続いていました。自分が中学3年生、妹が中学生にあがる時、僕は父と約束をしました。「妹は叩かないで、妹の分は全部自分が受けるから」。それから、高校、大学、社会人と、はずかしい話ですがちょっとしたことで僕は父からお尻ぺんぺんのお仕置きを受けていました。2019年12月10日。父と酒を飲んだ時に言われました。「もうお前を叩けないよ。お前がキレたら、オレ殺されるかもしれねえし」。父は笑っていました。多分僕も。ただ、父と別れた車内で我が家に帰る時、僕は声を出して泣きました。(茨城県、35歳、福祉施設職員)
2020年12月15日
呼吸がうまくできなかった。初日から入院した。私は急激に父になった。(東京都、36歳、会社員)
2008年12月23日
母の手づくりのアンパンマンケーキ。(茨城県、18歳、学生)
2022年12月24日
サンタさんに手紙をかいて、サンタさんから返事をもらった。そのないようは、こういうものだった。「おおゆきで日本に行けないから、日本の人にたのんだ」といったものだ。(茨城県、9歳、手つだい・小学生)
2012年12月26日
息子が産まれた日のこと。いたみから開放された安心感と、無事に産声が聞こえてきた安心感。(茨城県、40歳、自営業)
2020年12月27日
どうにもならない、思うようにいかない人生で、なにかを、なにか変われと、留学に。コロナの影響で、現地についてすぐにロックダウン、行き場所を失った…でも、こうして今日もここにいる。(茨城県、26歳)
2018年12月28日
被災地を歩くことからの流れで「やっぱ四国遍路かー」と初めて計画して、全て12/27にスタートの計画を立てたら 生徒指導の会議を急に入れられて、全計画1日ずらされて駅で前日の会議のあらましを誰もいない待合室で委員会に報告したこと…w 今では37番岩本寺までたどりつきました…w(54歳、教師)
2022年12月28日
別居したいと切り出された。仕事のためかと思ったら、離婚のためだった。泣きすぎて目の病気になった。週の半分は今も一緒に住んでいる。(東京都、38歳、デザイナー・大学講師)
2008年12月31日
メキシコのホームステイ先でホスト家族と騒いだカウントダウンをしたこと。(茨城県、37歳、会社員)
2010年12月31日
24時になる4時間前、当時14歳。使命感を感じ家を飛び出す。レンタルビデオショップGEOへと自転車で向かう。田畑を通って向かう。帰り田んぼへ落ちる。(東京都、26歳、大学職員)
2010年12月31日
自分がひきこもりだと知った。(神奈川県、44歳、美術家)
2019年12月31日
父が中国へ単身赴任する前日、家族全員で食事会に行った。まさか、その後コロナの感染拡大によって父が日本に戻ってこれないことになるとは考えもせず、楽しく過ごした日常がなつかしい。(茨城県、22歳、学生)
日付のあいまいなエピソード
1957年か1958年 寒くない季節だった
目が覚めると隣にいたはずの母親がいなかった(→大泣きした)。(茨城県、70代)
1960年(たぶん冬)
その女性教諭は、明らかな差別主義者で新米右翼だった。「日本の国の中にアメリカがあるなんていいわね」と言ったのだ。基地のことである。小学4年生は彼女を投票により、リコールしたのだった。小学4年生にくっきりと記憶を残すこの人物、60余年経って記憶に残るこの人物はなんだろう。小学4年生がリコールした事実が残っているのかも知れぬ。そんな時代があった記憶。中野区〇〇小学校の記憶。(茨城県、73歳、フリー)
1971年4月
弟が誕生し、数日して、家に戻った日。ずっと母のお腹にいる時に読んでいた名前と異なる命名がされていて、妙にさびしかったことをありありと思い出します。ただそれは、日付けと強く結びついているわけではない、強烈な1日の記憶です。(埼玉県、55歳、看護師)
1987年9月
百里基地で行われた航空祭に私と友人とその父の3人で行った。飛行機を見ていると、友人の父にその場においてきぼりにされ、約10kmの道のりを友人と二人で歩いて帰った。道の途中、のり捨てられた自転車(大きいもの)があり、それをひろって友人と二人のりをして帰った。タイヤはパンクしていたがガタガタする音と振動が心に残った。(茨城県、43歳、自営業)
1991年7月10日ごろ
家の玄関で母と昼寝をしていた時のこと。その頃の自分は夜なかなか眠れなかったのに、この日はとても気持ちよく眠りにつけた。明るい日差しで、風にカーテンがゆれていて、たいしたふとんもかけずに眠っていたので、たぶん7月頃。(東京都、38歳、大学院生)
1992年
古いアルバムに写る若い母親が生まれたての自分を抱いている様子。(東京都、32歳、会社員)
1993年
アナザーワールドというすばらしい水戸芸での展示。
199X年2月3日
幼いわたしは階段から落ちて、下の前歯を2本失った。自分では記憶がないのに、毎年この日になると母が謝ってくる。もう気にしなくていいよ。(福島県、30代、フリーランス)
2000年
台所の床がタイルだったこと。(埼玉県、24歳、大学院生)
2004年2月ごろ
大学受験の合格発表。第一志望に落ちた。一緒に発表を見に行った母はなんだか嬉しそうだった。(母は親が離婚し片親になったため大学に行けなかった)。(和歌山県、35歳、公務員)
2004-6?年5月12日
幼稚園の送り迎えをしてくれる園バスの中から眺めていた、いくつかの曲がり角や、渡ったことのない橋の向こう側。そこが世界の端っこのような気がしていた。(茨城県、22歳、大学院生)
2006年4月X日
小学5年生のミッキーマウスマーチの演奏をさいごまでききたくて、入学式でもらした。アコーディオンを初めてみたんだもん。母はあせってたけど、私は冷静だった。初めてじゃないからね。(千葉県、23歳、会社員)
2006年4月
自分の小学校の入学式。桜がさいていた。ピンクの服をきていた。(石川県、23歳、大学院生)
2007年5月頃
アイスを食べたいって言ったのに、持病のせいで氷しかもらえなかったこと。(茨城県、17歳、学生)
2008年
愛犬が亡くなってしまった。(茨城県、19歳、学生)
2009年 高校2年生のある日 さむくもあつくもない日
父がはじめて入院をして、当時付き合っていた彼氏と会うことをやめたこと。(東京都、30歳、PR)
200?年?月?日
竹の塚駅近くの住宅街で2人で歩いていると、彼女は耐えきれずムズムズすると、上着をぬぎすてて、泣きながら、くつを放り出した。はだしであるく彼女をひきとめつつ、タクシーを探した。戻ってくると彼女の姿はなく、必死で探した。別の通りでみつけた。時折、住宅街の公園を見かけるとこの時のことを思い出す。(49歳、会社員)
2010年4月?日
小学校の校庭の桜がふわーっと散っていたのを後者の3階の廊下の窓からみたこと。(東京都、21歳、学生)
2011年3月15日?
井戸で水を汲んだこと。(京都府、22歳、学生)
2011年3月15日くらい
地震前に母が送って来たマンゴーパフェの食品サンプルが届いた。(東京都、39歳、デザイナー・大学講師)
2011年3月20~30日あたり
当時鹿児島に住んでいた小6の私は4月から中学生になるところで、「同じ地区に住んでいるおじさんが東北に物資を届けにいくらしい。もう卒業して使わなくなるランドセルを預ければ向こうでランドセルを失った子のもとに届けてくれる」という噂を聞いたことを思い出した。私は結局ランドセルを今でも実家にとってあることを思い出した。(東京都、24歳、学生)
2011年3月某日
大学2年生だった年。震災で学位授与式が中止になった。合唱サークルに所属していた自分は仲間の声がけで大学に行き、勝手に校歌を歌った。集まっていた卒業生が聴いていたか覚えていない。あの状況で自分にできることをやろう、と思っていた気がする。(東京都、32歳、会社員)
2011年3月某日
水戸から東京の実家へ2ヶ月の次男と5才の長男をつれて避難した。両親は危機感がなく、長期滞在する私たちを次第にうとましく思っていることがわかったこと。(茨城県、45歳、会社員)
2011年3月?日
友達の家にあそびに行き「こんなときになにしてるんだ」とおじいちゃんに怒られた。一番怖かった。今はもう会えないのがおしい。(茨城県、19歳、学生)
2011年3月?日
震災後の余震が続いていた日々。新宿の夜、大きな揺れに再び恐れ、店の中から外へと出たこと。
2011年3月
暗やみの中であなたにおっぱいをあげたこと。(埼玉県、44歳、翻訳者)
2011年3月
机の下でふがしを食べていたこと。(埼玉県、14歳)
2011年3月
3年生と保護者、先生だけの泣くひまもなかった卒業式。(神奈川県、26歳、学生)
2011年4月7日?だったかな
311からの生活がやっと少しおちついてきて、また大きめの地震におそわれてガスが数日前に復旧したのにまたダメになる?とガッカリしたこと。(結果大丈夫でした)やっと復旧したガスのことで頭がいっぱいで、ゆれがおさまってまずしたことはコンロの火をつける、でした。(やってはいけないのはわかっております)(茨城県、45歳、個人事業主)
2012年7月X日
初めて子供が熱を出し、鼻がつまって苦しく眠れないので、一晩中、たてだきにして心配したこと。(神奈川県、46歳、学生)
2012年ごろ
日記を意識して書き始めたこと(私も日記をつけていたので。当時中2くらい)。(東京都、27歳、会社員)
2017年8月?日
一人旅で行ったNYのスーパーで買い物をしていたとき、店員さんからなげキッス(ASLで“ありがとう”の意味)をされたこと。(東京都、29歳、会社員)
2017年頃
となりの家が火災保けんに入りすぐ放火して私の家も焼け跡になってしまった。(茨城県、91歳、無職)
2019年10月?日たぶん…
私が単身で上京した家を、来年には結婚に伴い引き払って茨城に行くというとき、母が家にあそびに来て、数日間2人だけですごした。ときに母が「めちゃくちゃでかいれんこんとさつまいもをもらったから」と、わざわざ大阪から持って来た。重たくてでかいいも。(茨城県、30歳、会社員)
2020年3月20日?
すべりだいをのぼった足。コロナ第一波の時に保育園がお休みになって、1カ月ずっと公演で過ごしていた。(東京都、43歳、美術家)
2020年9月
コロナ禍の最中に保育園を転園した。先生たちも常にピリピリしていて冷たかった。仕事が終わってお迎えに行くと、担当保育士がつかれきった顔でいった。「この子はふつうじゃない」「この子はおかしい」と。それが、息子の発達障害についての1番古い思い出だ。必死で忘れようとしない限り、あの嫌な気持ちを毎瞬間思い出す。彼女は私に一生残る傷をつけた。
2020年10月?日
お母さんが乳がんにかかったことを知って泣きくずれたこと。それでサボっていた大学受験勉強を全力でやって、ギリギリ合格して泣いたこと。そしてまだお母さんが元気に生きていること。(神奈川県、20歳、大学生)
2020年
息子と幼稚園の帰りにリュウソウジャーの撮影現場までチャリを飛ばして見に行ったこと。あの時は身軽にいろいろなところに息子と言ったな。子育ては大変だけど思い出すといい思い出ばかり。(東京都、48歳、パート)
2021年
妻が泣いている姿。(福岡県、40歳、会社員)
2022年?月?日
祖父が亡くなった日。母から電話があり最初はとれなかった。仕事中だった。しかし、行って祖父の姿を目にしても、何も変化がなかった。ソウシキのことと、あと、残してきた仕事のことを考えていた。感情がはなれて、なくなってしまったかのように回想している。涙もなく。(京都府、29歳、イベント運営・広報ほか)
2022年
娘と岡山へ旅行に行き、「道の端は崖だからあぶない!」、ふりかえるたびに「真ん中、真ん中」と言われた。大笑いしながら歩いた。(東京都、80歳、主婦)
2023年2月17日〜2月18日
スキーの日。(茨城県、9歳、小学生)
2023年3月
あかねちゃんが初めて自転車を乗れるようになったシーンで、自分が子どもの頃、母がベランダからいつも見送ってくれたことを思い出しました。私が方向音痴なので、曲がり角を右に行くか左に行くかを心配してくれていたのかもしれませんが、その後高校生になっても、見送りつづけてくれていました。(東京都、29歳、会社員)
2023年3月
恋人のあたたかい右手に握られた。左の指の力が抜けた。それまでの数ヶ月間は、私の右手と恋人の左手で、手をつなぎあっていた。(25歳、美術作家)
202X年4月29日
妹がきらいだったこと。
20??年?月?日
知らない未来を思い出した。私が出産したら、私は何を思い出すのかな〜って。(茨城県、21歳、無職)
3月15日
100じょう薬をのんだ。母はその日を覚えていないといってた。ずっとケアしてくれていたのだろう。(茨城県、20歳、学生)
幼稚園生の頃
襖の中に秘密基地をつくったこと。(茨城県、20歳、学生)
日付なし
私が生まれた日の母の日記に「もう、この子だけで良い」と思った、ということが書いてあったこと。(東京都、28歳、学芸員)
日付なし
母にも生涯があったのだということ。父の暴力に耐えきれず絶縁実家、母は母の人生をあゆんでいるだろうか。(栃木県、30歳、公務員)
日付なし
嫌いな食べ物が好きになった瞬間。(東京都、25歳、美容師)
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