あえかなる話
歴史小説を書いていると、
「この言葉、使ってもいいかな」
という問いに、三行ごとぐらいに突き当たります。
そういうときは、みんなの味方、『日本国語大辞典』(小学館)。
詳細・的確な説明とふんだんな用例のおかげで、
調べたい言葉がいつからどのように用いられてきたか、
この辞書を使えばすぐにばっちりわかります。
(しかも私は海外在住で日本の図書館に行けないので、
ジャパンナレッジ様の個人用プランに課金しています。
『新編日本古典文学全集』も入ってて、これがないと生きていけない。)
で、辞書を引いて、
「なるほどね、古くても日葡辞書ごろか…」
(↑鎌倉時代末期の小説を書いてる)
「…ま、300年ぐらい誤差だろ」
といった具合に、その言葉を作中で用いるかどうかを決めます。
ちなみに、気にするのはせいぜい登場人物のせりふのみで、
それも調べた上で使ってしまうことが大半だし、
地の文に関しては、「まあ、俺が書いてるからな…」と
開き直ってどんな言葉でも平気で用います。私の場合は。
そんないい加減な用語感覚なのですが、ときどき、
「ここは現代語より古語のほうがしっくりくる」
と思うこともあります。
今作『世尊寺殿の猫』で特に印象に残っているのは、
「あえか(なり)」という言葉。
なにか弱々しいような、でもその弱さが美しいような、
そんな言葉を探していて、ふとこの言葉が思い浮かびました。
よく『源氏物語』とかに出てくるかんじ。
ゆうてもどういう意味かはっきりわかってない、
そういうときも『国語大辞典』でしらべる。
すると。
こんなかんじ。
え、なにこれ。
「触れれば落ちるよう」って、いろんなケースが考えられるよね?
とりあえず、辞書の定義にしては、
曖昧で文学的すぎる上に、色っぽすぎやしませんか?
そもそも、例文を見るに、①と②はそんなに遠くない。
なんで、①を、別立てにしたの??
ほかにジャパンナレッジに入っている
『デジタル大辞泉』や『全文全訳古語辞典』も参照したけど、
①みたいな説明は、一切ない。
でも、『国語大辞典』的には、これが「あえか」の第一義なんだな。
いい。すごく良い。
ということで、新作『世尊寺殿の猫』の中では、
『日本国語大辞典』へのオマージュとして「あえか」を用いました。
どこにあるか、誰のどんな様子を描くのに使ったか、
ぜひ手に取ってお確かめください(立ち読みでいいです)。