ファッションと社会への抗議 2023年11月【5】
ここ数年レディースファッションに挑戦している。しかし女装しているつもりはない。単にレディースを着ているだけだ。
女装というのは、男性が女性に見えることを目指す。だから少しでも男性の要素が見えたら減点。常に自分の性別を隠し続けなければならない。これは私のしたいことではない。
女性に比べて男性は、簡素で動きやすい服を着る。着飾って動きにくい女性と、簡素で動きやすい男性。私はこの差に苛立ちを覚える。男性が女王様やお姫様に仕える存在のように思えてしまうのだ。女尊男卑の感覚と言える。
スカートやヒールといったレディースファッションは、見た目の美しさを重視したアイテムであり、機能性も保温性も低い。
女性である時点で男性より体力が劣るのに、その上に動きにくく防御力の低い服を着る。更に弱さをアピールしているように見える。「私は女性です。弱くて動きにくいです。男性の皆さん、手を貸してください」というメッセージに見えるのだ。
女性は誰かに助けてもらえるが、男性は誰にも助けてもらえない。私は助けてもらえない性別に生まれた。なんという不平等か。私はそういう怒りと悲しみを抱えて生きている。
この世界の人々は、困っている私に、私が男性であるという理由で自立を強いる鬼のような存在。こういった不信感を抱えている。
もちろんここには被害妄想が含まれている。ファッションで弱さのアピールをする女性は一部であり、大半は単に着たいから着ているだけだ。
社会が男性に危険な目に遭わせるのは事実だが、他人がみんな鬼という事実はない。捨てる神もあれば拾う神もある。男性だろうと意外に助けてもらえるものだ。
それでも私は、社会への不信感がなかなか払拭できない。社会にはびこる様々な差別のうち、特に男性差別に敏感になっている。
私がレディースを着る背景には、こうした心理があるのかもしれない。自分のことなのに「かもしれない」と言うのは、あくまで深層心理だからだ。今回記事を書くにあたって、自分の潜在意識を探っているのだ。
私は深層心理で、自分は男性だから助けてもらえないと考えている。だから女性の格好をして助けてもらおうと画策する。つまり生存戦略として女性の見た目を取り入れようとしている。
男性は、女性より体力があるという理由で力仕事、長時間労働、危険な仕事を命じられ、徴兵されて戦場に送られる。つまるところ、女性よりも死にやすい環境を強いられる。
この世界には、男性は妻子を守るべき、組織を守るべき、国を守るべきといったメッセージが蔓延している。男性であることから降りないと、家族や組織や国から命を奪われる。私は社会に対してそうした不信感と危機感を持っている。
レディース服を着ればそうしたものから逃げられると考えた。でもそれは幻想だった。骨格に合わない服を着ることによって、かえって男性の肉体が浮かび上がり、より一層自分の性別を意識させられた。
私のタンスやクローゼットはレディース服で溢れている。見境なく購入してきたツケだ。整理がまるでできていない。「あの服を着よう」と思っても、埋もれてしまって見つけられない。自分のクローゼットが醜い。
美しく着飾った女性たちが次々に目に入ってきて、心をかき乱される。でも私は彼女たちのようにはなれない。レディースを着ても体は男性なのだ。肩幅は広く、胸は平ら、体全体が直線的で、膝はゴツゴツしている。
まず現実を受け止めよう。レディースを着ても男性であることからは逃れられない。男性差別への抗議方法は、何もレディースを着ることだけではない。
女性の美しさに憧れて服を買うのではなく、自分を美しく見せるために服を買うのだ。
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