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ひきこもり問題の解決策 2024年2月【1】

私はもう6年ぐらい無職で、親に養われて暮らしている。私は「ひきこもり」なのだろうか。

多くの時間を自宅や近所で過ごしているが、Zoomで趣味の勉強会に参加したりもする。街歩きや博物館・美術館めぐりも好きで、外にいる時間も長い。先日は公募展の受付の人と長々とおしゃべりした。好きなことならコミュニケーションも苦ではない。

私がどんな話をする人が知りたい方はこちらへどうぞ。

YouTubeチャンネル「あぎるラジオ」

ひきこもりではない気もするが、ひきこもりのような気もする。つまりひきこもり問題について、当事者意識はある。

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YouTubeのおすすめ動画に、ひきこもりのドキュメンタリーが出てきた。50歳のひきこもりが同居の親に暴力を振るうので、支援団体を呼んだという話だった。

実は私はこの動画を観ていない。ただコメント欄に目を通した。ほとんどがひきこもりを非難するものだった。人格攻撃が目立つ。親に対しては同情が多かったが「甘やかした結果」と非難するものもあった。

かつてひきこもりだった人のコメントもあった。さすがに人格否定のような攻撃的なものではなかったが、過去の自分を反省し「支援者につながりますように」といった内容だった。

感想は人それぞれだろう。ただ私はどうしても気になった。誰ひとりとして、ひきこもりの内面に触れていないのだ。

私も暴力は大反対だ。ただそこに至るまでの心の傷に、誰も言及しないという事実に愕然とした。このコメント欄が世の中の縮図でないことを祈るばかりだ。

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この動画を観ていないと書いたが、この先も観るつもりはない。私は基本的に、ひきこもり支援団体というものが好きではない。

この社会がひどすぎるからひきこもるのに、引っ張り出そうとするとは何事かと思うのだ。彼らはひきこもりを、形だけ「社会」に「適応」させればいいと思っている。労働に結びつけたら「めでたしめでたし」。

そして「彼(彼女)は今では〇〇会社の☓☓担当として働いています」などという後日談を載せる。本人やその家族から「支援してもらえてよかった」といったコメントを引き出して、掲載する。

本人や家族が幸せになったのなら結構なことだ。ただ私は、社会に適応することをゴールとすることに抵抗がある。現行社会への適応をゴールとしてしまったら、この社会が温存されるばかりではないか。

ひきこもりの「支援」をして、彼らを「社会」に「適応」させる。この営みを支持する人は、ひきこもり問題を、適応できない側の問題と捉えていないだろうか。

自然の中で育った人が都会に来たら、空気の悪さで具合が悪くなる。そういう人を、無理やり都会に慣れさせることがゴールだろうか。断じて違う、と私は考える。

ひきこもりが悪いのではない。ひきこもりを生み出す社会が悪いのだ。

この社会は、人間にやりたくないことばかり強いる。私たちは生まれた時からずっと、したくないことばかりさせられる。

好きな時に排泄できない、好きな時に食べられない、好きな時に寝られない。肉を食べたいのに野菜を食べろと言われる。遊びたいのに遊ぶなと言われる。勉強したくないのにしろと言われる。

着たい服を着たいと言っても認めてもらえない。着たくない服を着ろと言われる。髪を伸ばしたいのに切れと言われる。染めたいのに染めるなと言われる。

大人は子供が、したくないことをするとほめる。泣きたい時に泣かずに我慢するとほめる。人間はほめられたい生き物だ。こうして子供は、親の顔色、教師の顔色を見て、彼らがほめることを率先してするようになる。

心のスイッチを切らなければならない。切ることを強いられる。したいことができず、したくないことばかりさせられるのだ。そうでもしないと、つらくて生きていられない。

心のスイッチを切っているので、したくないことでもすることができる。それゆえに、したいことがわからなくなっていく。

でもそれは大した問題ではない。小学校から大学までは、大人に従っていれば生きていける社会だから。

就職する頃になって、大人たちは突然「あなたがしたいことは何ですか」と尋ねてくる。わかるわけがない。そんなことは考えずに生きてきたのだから。

考えずに生きるしかなかったのだ。私たちが生まれた社会は、したくないことばかり強いる社会なのだから。

「したいことは何か」などと、どの口が尋ねるのか。何を今更、ふざけるな。そう叫びたくなる。でも、叫んだところでどうにもならない。

本来自然は美しい。人との交流も楽しいものだ。それにもかかわらず、多くの人がひきこもる。なぜだろうか。

生きたいからだ。ひきこもらないと死んでしまうような社会だったから、ひきこもったのだ。彼らは生きたいからひきこもったのだ。

それを引っ張り出して、会社に勤めさせる。続かないようなら、励まして続けさせる。それは果たして良いことなのだろうか。

ひきこもりを就職させるという行為は、いじめっ子と握手させるようなものではないだろうか。

悪いのはいじめっ子のほうだ。ひきこもりを就職させても、社会は良くならない。悪い社会が温存されるばかりだ。

そしてかつてのひきこもりは結婚して、子供を産む。その子らがまたひきこもりになる。社会の空気は淀んだままだからだ。

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【対案】
ひきこもりといっても千差万別だから、万人にとっての解決策はわからない。ただ私としては、一般企業での就労に至れば問題解決というのは受け入れがたい。

どうしても私に労働させたいなら、絵の具と絵筆とキャンバスを支給するといい。それで月に1回、担当者が作品を受け取りに来る。それをどこかで展示販売する。

売れようが売れまいが関係ない。私は1ヶ月、世の中への提供物を制作してきた。社会の一員としての務めは果たしている。もはやひきこもりとは言えない。

これで私のひきこもり問題は解決。「それでは食べていけない」というのは、また別の問題。

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著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…

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