禅問答:仕事って何ですか?
久しぶりの更新です。
という導入で始まる記事を何度も見たことがあるけれど、知り合いでも何でもない人のこの言葉ほど「知らんがな」なことはない気がする。
自分も以前は一日おきに一回のペースで投稿を一年間続けており、いつものぞいてくれているんだろうな、という人はいたけれど、それに託けて「いつものアレですw」みたいなノリで記事を書くという驕り方だけはしないように心掛けてきたつもりです。
常に自分のことを一切知らない人に読まれているつもりで(友人の一人を除いて全フォロワーが知らない方なので実際にそうなのだけれど)文を綴る謙虚さが大切です。自分のような素人は特に。
そんな切り口で始める話では決してないのですが、今回久しぶりに筆を執ったのは、「仕事」について思うところがあるからです。
新入社員として現在の部署に配属されてから、早いものでもう二ヵ月が経とうとしています。
本を中心とした文化の発展に寄与する会社で、自分はそのなかで新しい書店の業態開発や文具雑貨の企画・開発といった仕事に携わりたかったのですが、動機もたくさんいる中で全員が希望通りの配属になるはずもなく、ご多分に漏れず自分も希望外の部署に配属となりました。
その部署というのは、本のインフラ、つまりは物流部門でした。会社的にも、社会的にも必要とされるべき大切な仕事であるということは痛いほど理解していましたが、配属発表直後は絶望に明け暮れ、一寸先は闇という感じでした。
それでも、配属が思い通りにならなかったからといって何もしないような人間は、どの部署でも活躍が出来ないと思うし、そもそもまだこの先部署移動はいくらでもあるので、最初の数年は修行だと思って気持ちを切り替えました。
その甲斐あってか、周りの人に恵まれたこともあってか、今はそれなりに楽しく働くことができており、業務時間外の自分の時間もしっかりと確保できています。
自分が行きたかった部署に配属となった同期は、企画系の仕事とあってか忙しいようで、オンラインで一度飲んだ時には誰よりも疲弊しているように見えました。一方自分は、プライベートの時間を充実させているからか、「なんかめっちゃ元気そうでよかった」と言われる始末。結果オーライとでも言うべきでしょうか。
そんな訳で、配属直後の絶望はなんとか乗り越えたわけですが、実は今回本当に書きたかったのはこのことではありません。
というのも、配属が決まる前の研修、いや就活期にまで遡ります。
誰もが一度は抱くであろう「働くってなんだろう」という問いを例にもれず自分も抱いていました。というか、今でもずっと考えています。
先程、書店の業態開発や文具雑貨の企画をやりたかったと書きましたが、これらの仕事に対してでさえ「これらは本当に自分がやりたかったことだったのか」「仮にこれらの部署に配属されていたとしたら、何の不満もなく働いていたのだろうか」と思ってしまいます。それは、疲弊しきって自分のための時間をあまり作れていない同期の姿や、先輩と話すことで研修では見えてこなかった各部署の実態を見聞きしたからということ、そして慢性的に抱えていた「仕事」という概念に対する小さな歪みにようなものが、そういう考えにさせているのではないかと思います。
そんな折、こんな動画を見つけました。
91歳とお年を召してもなおフルタイムで働くという女性、玉置さんの動画です。
この動画を最後まで見ていただければ分かるのですが、先の問い「働くってなんだろう」に対する、一つの正解をこの玉置さんは口にしています。
「仕事というのは誰かの役に立つことじゃないとならない」
「私は、『会社にいる』ということは必要とされると共に、誰かの役に立てるというのが私が会社に存在している意義だと思います」
このような台詞は、言ってしまえばどこかで似たようなものは見たことはありますが、会社勤めを65年もしている玉置さんがそういうのであればそうなのだろうと、妙に納得してしまいます。
ここまでなら、「なるほど、仕事頑張ろう」で終わるのかもしれませんが、久しぶりにnoteを開いてわざわざ記事を書こうと思わせる何かがそこにはあったのです。
つまりここで、自分の中に新しい問いが生まれたわけです。
「自分は誰かの役に立ちたいのか?」
これまで、仕事をする意味などについては再三考えてきましたが、今回玉置さんの「仕事は人の役に立つこと」という一つの正解を聞いたことでこれまで考えたこともないこの問いがぽっと浮かんで来たのです。
当然と言えば当然なのですが、企業というのは、何らかの形で社会に役立っているから企業たるのであって、それが企業の存在する意義だと自分は考えています。
その中で、自分は果たして誰かの役に立ちたいと思って仕事をしているのだろうかと考えたところ、どうもそうとは言い切れないのです。
というのも、自分は結構自己中心的で承認欲求が高いエゴイストだと思っていて(就活期直前、思い詰めて禅問答のように自己分析を行った結果出た答え)、自分さえよければと思ってしまうことはよくあるし、自分のやったことに対しての評価がかなり気になってしまう質です。
だから、よくよく考えたら新しい書店の業態開発は「本という文化をより発展させたい」というよりは(もちろん面接ではこれを言ったけど)、「面白い本屋を考えた俺を見てほしい」気持ちの方が強いし、文具雑貨の企画も「役に立つ、面白いものを作ることで人々の生活を豊かにしたい」というよりも(もちろん面接ではこれを言ったけど)、「アイデアを持ったセンスのある俺を見ろ」という気持ちが強いのです。超エゴイストです。
で、そのアイデアやセンスがまだロクにないから、ウダウダと講釈を垂れることしか出来ないということになるのです。
あれだけ頑張った就活も、行きたいと思って入社した会社も、結局は自分をよく見せたいだけの手段の一つに過ぎなかったかもしれないという事実に気付いた時、自分のことが心から恐ろしくなりました。
そして、一旦は分かりかけた仕事の意味も、むしろもっと分からなくなってしまいました。
本当にやりたいこと、本当に自分に向いていること。それは一体何なのか。
もしかしたら、今の配属先の仕事なのかもしれないし、やっぱり最初から志望していた業態開発や企画系なのかもしれない。はたまた全く違う分野の仕事かもしれない。
それを見つけるためには、まだ時間がかかりそうですが、少なくともこう複雑に絡み合った考えを整理するためには、文章にするという行為が一番性に合っているような気はずっとしています(クオリティはさておき)。
これがそのうち自分にとって一番の武器になるのかどうかも分かりませんが、少しでもその方向に持っていくための努力をしてみるのも楽しいのかな、とか思ったり。
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