「ですよ」は、上から目線になる ~コメントって難しい~
SNSを使っていて、ちょっとモヤモヤした話です。
コメントをもらえることは嬉しいのに
私もそうだし、きっと他の人も同じだろう。
自分の記事や投稿に、反応してもらえること自体は素直に嬉しい。
発信をしている人は誰しも、手ごたえが欲しいと思っている。イイねにしてもリツイートにしてもコメントにしても、リアクションが欲しい。そういう人が多いと思う。本当に閉じた環境で、誰の反応も欲しくないと思っているのなら、Xなら鍵垢にすればいいし、コメント欄を閉じたり、自分のパソコンの中のメモ帳に書いたり、日記帳に書いたり、知り合いだけと繋がっているFacebookで限定公開で書けばいい。
だから反応の内容に不満を持つのはワガママかもしれないけれど。
でもね…、
コメントにも色々ある。
結局、記事を投稿した本人が嫌な気持ちにならないコメントなら構わないけど、相手の気持ちをあまり考えないんだろうなぁ…と思われるコメントもよく見かける。
「~よ」より「~よね」が無難
私がコメントする側として特に気を付けているのは、上から目線にならないことだ。
悪気なくやってしまう人、多いのかもしれない。
〇〇ですよ、
した方が良いですよ、
それはアドバイスになる。
えっ…、いろいろ考えて(場合によっては調べて)時間をかけて記事を書いている人よりもコメント者の方が、その業界に詳しいとは限らないのに、わざわざアドバイス?
そんなに言いたいことがあるのなら、自分で記事を書けばいい。発信すればいい。
よほど目に余ったことがあったとしても、アドバイスをするのは我慢した方が良い。たいていの場合は。SNSは、発信者の自己満足だって別に構わないのだから。
見ず知らずの人たちにアドバイスを求めて記事を書いている人は少ないだろう。
Twitter(X)などの短いつぶやきなどは特に、
自分の感想や
思い
愚痴を
投稿しているだけであって、
そこに根拠はないかもしれない。根拠がなければ投稿してはいけないわけじゃない。論文発表じゃないのだから。
間違っているとか、正しいとか、そういう話ではない。
ちょっと笑える、ちょっと和む、「あるあるー」という反応を求めている。そういう投稿が多い。
そりゃあ、発信者が「医療関係者です!」とか「これが絶対正しいです!」といって間違った情報を拡散していたら問題だろうけど、
それを指摘するとしたら、それこそ私たちコメントをする側にも明確な根拠やソースが求められる。責任が生じる。そこまでの覚悟でコメントをする人は少数派だろうし、SNSで、一人がコメントしたくらいで正せるのかも疑問。
多くの人に害を与えるような、
本当に間違った情報が広まっているのなら、
反論も大々的に拡散しなければいけないから、
場を改めて設けるべきだ。
影響力のある企業やプラットフォームを巻き込んで行うべき。
だからSNSでは、
基本的に、
「共感」「応援」「ねぎらい」などの味方的なコメントは誰しも嬉しくても、
「余計なアドバイス」は書く側からすると攻撃的な印象を受けてしまう。求められていなくても、他人にアドバイスしたいだけの人なんだろうな…と思ってしまう。周りから見てもそう。そう見られている。
下手にバズって、たくさんの人からアドバイスに見せかけた批判をされ始めたら、余計にうんざりしそうだ。
多くの人に
「大変でしたね」「偉いと思います」「何もできませんが、ゆっくり休んでくださいね」などの言葉を投げかけられて辛くなる人はいないけど、
「それは、~ですよ」「~した方が良いですよ」「~じゃないですか」「~では?」などという、言葉が飛んでくると、うわー…となる。
えっ、皆…先生気取り?私、見下されてる?
と思うからだろう。
年上年下という問題じゃない。
皆の年齢なんて知らない。
相手のことを私が尊敬しているという関係性なら別だけど、
見ず知らずの誰か分からない人(自己紹介もしていない)に対して、上も下もない。
共感が無難
「ちなみに私は〇〇の方法でしています^^」
「〇〇もいいですよね」
そういう言い方なら、同志って感じ。感想の印象が強いから、上から目線の感じはしない。
(「ね」の一文字は大事)
インフルエンサーの、
という、何気ない投稿にも、
見知らぬ人から
「自分の友達が来たなら、自分で後片付けするべきですよ」
などというコメントがつく時代。
「いや、余計なお世話で草」というリプに強く共感。
ホントそう。なんでそんな偉そうな言い方できるの…?有名人を批判して自分が優位に立ちたい人なの?と思ってしまう。
名前や顔を出している人が、そういうコメントをしていたりしてビックリする。悪気はないのだろうな…と思うけど、だからこそ、質が悪いな…なんて思ってしまう。SNSだから、悪気ないコメントも拡散されてしまうのだ。同じように有名人に嫉妬したり、批判したりしたい人が一定数いるから。そしてリツイートされたりイイねを集めていい気分になって、自分が正しいかのような錯覚に陥っていく…。
怖い時代。
上記の投稿で言えば、
その夫婦には、その夫婦のスタイルがあって、
旦那さんが嫌々やってる様子なわけでもないのに、
身内がネタとして「いいなー、甘えすぎー。笑」などと
愛のあるイジリとして書くならまだしも、
部外者が書くコメントではない。
くらいのコメントを想定して(旦那の株を上げるくらいの意図で)、何ならネタとして投稿しているくらいの、つぶやきなのに、
いちいちそんな斜め上からの批判をしなくても・・・
「~ですよ」「〇〇では?」って、結構キツい言葉。
教えてあげてる感が強い。
自分が上ですよ、感が。
いやそんな、マジレスいらない…
って、感じだろう。
明らかに困っている場合は、例外
ちなみにこれは、当然ながら、発信者が質問している場合は構わない。
というスタンスの時は、
自分が教えてもらう側なのだから、
上から目線で言ってくれていい。
〇〇は、~すると良いですよ
というコメントは自然。
そうでない場合は、気をつけなきゃ。
私だって、自分が得意としている分野についての記事に、
「〇〇も良いですよね」
なら良いけど
「〇〇した方が良いですよ、〇〇がおススメです」
というコメントは、
少し…しんどくなる…
なんで、私がそれを知らない前提なんだろう…
記事に記載していることが全てじゃない。
書いてない=知らない とは限らない。別に「教えてあげなきゃ!」と責任感を感じてくれなくていいのに…、って。
誤解されやすいと損をする
私がコメントする時も、だから気を付けている。
余計なお世話にならないように。
人にアドバイスをしたくなった時は、言い方にすごく気を付ける。
~もありますよ、
という言い方だと上から目線だし、営業・宣伝?いらないけど?って感じだし。
そんなコメントなら、しない方がマシ…ってならないように…と思うと難しい。失礼な言い方になってないかな…と考え込んでしまう。
この記事にはコメントしたい!って思うような深い記事でも、書くべきか悩む。表現方法が難しいと躊躇する。心が動いたからこそ何か書きたくなるのだけど、誤解されるような表現しかできないのなら、下手に書くくらいなら…、イイねだけにしとこうか…って迷ったりする。
けど、発信する側の気持ちも分かるから、暖かい言葉ならイイねだけより嬉しいよね…と悩む。イイねはもちろん嬉しいけど、個性は出ないから、気持ちは伝わりにくい。感動した!という意味なのか、読んだよ!という意味なのか、めっちゃ良いね!響いた!ということなのか、ワクワクしてきた!ということなのか。そりゃあ、言葉の方が伝わるし嬉しくなる。
どう考えても愛しかないような
コメントは感想であり、メッセージだ。
相手の心を癒す、言葉遣いをしたい。
見ず知らずの人相手の場合は余計に、冗談は通じないし、誤解もされやすい。基本的に、どんな表情でコメントしてるかもわからないんだから、言葉の情報しかないんだから、デフォルトとしては無表情なイメージを持ってしまう。悪い方に受け取りやすい。感情が感じられないコメントは、基本的に冷たく感じる。
どう受け取っても、優しさしか感じないようなコメントが、いつもできたら良いのに。