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ショートショート#3「真夏の訪問者」

妻と結婚してもう何年経つだろう。
一人娘も無事に就職・自立し、久しぶりに妻と二人の時間を過ごすことになった。無口で無愛想な私に、そっと寄り添ってくれる妻にはとても感謝している。

出会った頃、私は28歳、妻は23歳。勤務先の同じ部署に、新卒で配属されたのが彼女だった。

物怖じしない性格で、テキパキと仕事をこなし、明るく、聡明、それでいて謙虚。当時の男衆は皆、彼女のことが好きだったのではないだろうか。私もその一人である。

共通の趣味であるコーヒーをきっかけにだんだんと距離を縮めていき、交際へと発展。二人で色々な場所へ出掛けた。定番のデートは喫茶店巡りだった。結婚後は、どんなに忙しくても年に1度は必ず家族揃って旅行へ行き、たくさんの思い出を作ってきた。

日曜日、写真の整理をしながら妻がポツリとつぶやく。

「まぁ、素敵な写真!お父さんもいい笑顔で!前に行ったあの、ほら…えっとー、なんて場所だっけ????あぁ、金沢の…んー…なんだったかしら???有名なお庭で…」

だめだ、思い出せない。以前訪れた、石川県金沢市の兼六園がパッと出てこない。とても感動して、「いつかまた来よう」という会話もしたのに。「もう若くないわね。」なんて笑う妻は、どこか寂しそうだ。

ピンポーーーン

誰だ?日曜昼下がりの訪問者など、ろくなもんじゃない。「居留守でいい」と妻に声をかけようとしたが、それよりも早く彼女はインターフォンへ飛びついていた。そうそう、彼女は誰にでも優しいのだ。

「はーい、どちら様ですか?」

「あっ、わ、わたくし、株式会社ロジックメモリー新入社員の鈴木と申します。えー、今ですね、このあたりにお住まいの方へ、”思い出に関するアンケート”を実施しておりまして。あの、お時間ございましたら、ご協力いただけないでしょうか?只今限定で、えっと、素敵なプレゼントをお渡ししております。ご協力お願いします!!!」

妻の後ろから、モニターを覗く。カメラに映る若者は、画角に収まらないほど深々とお辞儀をしている。かろうじて見える背中は、汗で色が変わっていた。日差しの照り付ける炎天下に、この住宅街を一軒一軒回っているのだろう。”思い出に関するアンケート”なんていかにも怪しいので、まともに取り合ってくれる人はいなかったのではないだろうか。

「あら、もちろん協力させていただきます。ただ、今ちょっとバタバタしてるから、家の中で待っててくださる?冷たい麦茶とスイカでもごちそうするわ。」

「本当ですか?!ありがとうございます!!いくらでも待ちますのでよろしくお願いします!!!」

若者は素早く顔を上げ、心底嬉しそうな顔をしている。やっとアンケートに答えてもらえる喜びと、一刻も早く涼んで喉を潤したいという欲望が彼の顔からうかがえる。暑さで思考は停止しているのか、”家に上がり込む”という失礼にまで気が回っていないようだ。

「今日は暑いもの、ゆっくりしていって。さあ、上がってください。」

妻の物怖じしない性格にはいつも驚かされる。怪しい若者に対しても堂々としており、お情けまでかけてしまう。そうそう、そういう所に惹かれたのだ。

若者をリビングへと案内し、約束通りキンキンに冷えた麦茶とスイカを出した。大きな声で礼を言う若者。グビグビと麦茶を飲み、ガブガブとスイカに食らいつく姿に、若さの輝きを思い知る…。私は、妻たちから見えないように、彼らに背を向けているソファーに深く腰掛け、黙って盗み聞きすることにした。

「ごめんなさいね、バタバタしてて。あ、アンケートね、お答えするわ。」

「お忙しい所申し訳ありません…。えっと、まず、弊社のご説明をさせてください。株式会社ロジックメモリーと申しまして、記憶に関する研究・サービスを提供している会社でございます。えー、今後ですね、”思い出”を扱ったサービスの展開を予定しております。よりよいサービス開発のため、アンケートにご協力お願いいたします。」

無形商材もついにここまで来たか。時代も変わったものだ。私は聞き耳を立てながら感心していた。

「へぇー思い出がサービスになるの??すごい時代ね。お役に立てるよう、しっかり答えさせていただきますね。」
「ありがとうございます。では早速、こちらの用紙にご記入願います。」

そう言って若者は妻に一枚の紙を渡した。

Q1 最近、記憶力の低下を感じることはありますか?
 はい ・ いいえ ・ わからない
→Q2 Q1で「はい」と答えた人にお聞きします。
どのような時に感じますか?
(                   )
Q3 現在覚えている思い出はどのようなことですか?
(                   )
Q4 思い出はどのような感情のときに残りますか?
(                   )
Q5 どのようなタイミングで思い出に浸りますか?
(                   )
Q6 忘れていたことを思い出す瞬間はどんな時ですか?
(                   )
Q7 忘れたくないことはありますか?
 はい ・ いいえ ・ わからない
→Q8 Q7で「はい」と答えた人にお聞きします。
それはどのような事ですか?
(                   )
 ご協力ありがとうございました。

悩みながらも回答を進める妻。時折、遠くを見つめては何かを思い出しているようだった。

「はい、出来ました。これでいかがでしょうか?」

「あ、ありがとうございます!いやぁ、丁寧にご回答いただきまして恐縮です。…最近、記憶力の低下を感じているんですか?」

「えぇ、ついさっきも、夫と一緒に行った有名なお庭の名前が思い出せなかったのよ。ほら、えっと、金沢の…。」

「あぁ、兼六園ですね。僕も行ったことあります。四季折々、季節の移ろいを感じられる素晴らしい場所ですよね。」

あ!そうだ、兼六園だ!さすが若者、パッと答えがでてくる。妻たちに顔が見えなくて良かった。今の私は、とんでもなく間の抜けた表情をしていることだろう。

「そうそう、兼六園!あぁ思い出せてスッキリした!そうなの、その時の写真をさっき見てて、これなんだけど。皆いい笑顔でしょ?娘と3人で行ってね、この日のランチを娘が初任給からご馳走してくれたのよ。とっても感動して。いつも無口で無愛想な夫も、ワンワン泣いてねぇ。あんなに泣いてるところ初めて見たもんだから、娘と二人で大笑いしちゃったわ。で、そのあとに撮ったのがこの写真なの。
…こういう思い出はやっぱり、いつまでも忘れたくないし、忘れられないわね。」

そうだ、あの日は、あんなに小さかった娘が社会人となり、人様のために働いているなんて、立派に育ったなぁと感心していたのだ。そりゃ涙もでるだろう。ただ、確かに泣きすぎだった。今思い返すと耳が赤くなる。妻たちに顔が見えなくてよかった。

「素敵な思い出ですね!やはり感動したり、大笑いしたり感情が揺れ動くとより濃く、思い出に残りますからね。とても幸せな思い出ですね。」

「でもね、何気ない日常にも些細な幸せってあると思うのよ。例えば、なんでもない日に夫が買ってきてくれるスイーツとか、娘と同じタイミングで同じ話をしようとして”親子だねぇ”なんて言い合うときとか、喫茶店で一人ボーっとして過ごす時間とか…ちょっとした感情の動きにも、幸せは詰まっているんじゃないかな。それも大切にできるサービスがあると嬉しいわね。」

妻の笑顔は私の癒しだった。あの笑顔が見たくて、柄にもなくスイーツを買ってみたりした。おしゃれな洋菓子店に入るのは緊張したが、妻の笑顔が見られるから、頑張って入店できた。妻には笑っていて欲しかったのだ。堪え切れず涙が溢れる。あの時より酷い顔だ。妻たちに顔が見えなくてよかった。きっと大笑いされるに違いない。…笑顔ならいいか。

「とても身が引き締まるようなお言葉です…”サービスで幸せを!”というのが弊社の社訓です。奥様のおっしゃるように、些細な幸せも大切にできるサービスを今後考えていきたいと思います。本日は貴重なお時間をありがとうございました!おいしい麦茶とスイカまでいただいてしまって…。お陰様で元気になりました。ありがとうございます!あ、ご協力いただいた方にお配りしておりますプレゼントを…」

未だひっそりと泣き続ける中年をよそに、若者は紙袋から粗品を取り出す。

「”よく見えるメガネ”です!本当によく見えると評判なんです。よろしかったらお使いください。」

「嬉しいわ!最近目が悪くなってきて困っていたのよ。大切に使わせていただくわ。ありがとうね。素敵なサービス、楽しみにしてますね。気を付けて帰るのよ!」

妻の別れ際まで人を気遣う姿に、また涙が溢れる。
あの日も「すぐ会えるから、大丈夫よ。あっちでも楽しいこと探しましょうよ。…本当にいままでありがとう。すぐ会えるから、心配しないで。」そう言って私の手を握ってくれたっけ。あの時ばかりは泣かせてしまった。私の顔はより一層、ぐしゃぐしゃになった。

「はい、ありがとうございます!では、失礼します。」

若者を見送り、妻はリビングへ戻ってきた。ぐしゃぐしゃの顔面を拭いながら見上げると、先程貰ったばかりのメガネをかけた妻と目が合った。

「…あれ、あなた帰ってたの?あぁ!お盆ですものね、早めに迎え火しておいて良かった。…まぁ、酷い顔して…ふっ、ふふふ、ふふっ、あっははは!あなた、なんだか懐かしい顔してるわね!いつぶりかしら、あの子にも見せてあげたいわ!あはは!……」

妻はひとしきり笑い切った後、今にも消えそうな声でつぶやいた。

「……おかえりなさい。」

「……ただいま。」


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