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習い事という名のDV

自粛ごもりで子供と過ごす時間が多くなるにつれ、ストレスが増して大変だと思う。本当にお疲れ様でございます。だがこの時期こそ子供とその将来にとっては最高の時期だと腹を括って向かい合って欲しい(息抜きは当然必要)。 子供にお金を与えてはならない。与えるべきは環境と栄養と愛情の3つしかない。親は子供をしつけなければならないが教育してはならない。教育に関しては親は素人であり偏見とエゴを押し付けてしまう危険の方が強い。習い事がその典型である。


バイオリンとバレエはポピュラーな習い事だが、残念ながら絵(アート)と異なり、音楽的才能の80%は遺伝であり、バレエの成功のほとんどは骨格で決まる(だからロシアでは早い時期に諦めさせる)。先生の生活を支えるために生徒は嫌々レッスンを続け、無駄な時間と親のお金を費やすことになる。もちろんバレエやバイオリンの習い事を否定していない(叶うなら僕はやりたい)。ただ個性に適合しないのは辛いというだけだ。

その場合、増え続けるのは子供の記憶の奥底に溜まる罪悪感と無能感とトラウマだ。私に限っていえば子供の頃から絵を描いて釣りをしていれば幸せだった。だが実際にはラグビーと空手と水泳と書道と算盤と英会話とテニスとバスケと乗馬と夏期講習とおまけに夏休みはアメリカンスクールのサマースクールに通った。まだあるかもしれないが残念ながらそのすべてがトラウマであり時間の無駄であった。おまけにスパルタ指導とアメリカ嫌いを克服するまでにその後十数年を有した。 ときに親は狡猾であり子供は弱者である。


習い事はDV(ドメスティックバイオレンス)となり得る。親は自分(がやりたかったこと)を投影し、社会関係を勝手に解釈して子供に勧める可能性がある。もちろん親を責めているわけではまったくない。自然にそうなってしまうという危険があると言っているだけだ。


親がやるべきは、精緻な子供の特性の観察であり、その天性に準じた環境の設定である。決定権はドイツの学校経営のように、子供(生徒)、親(PTA)、第三者(教師)が1/3づつ持たなければならない。親はわずか1/3しか議決権がないとキモに命じて欲しい。意外と冷静かつ客観的に子供を観察して正しい方向に導いてくれるのは実は親ではなく適正な距離を保った「近所のおじさん」や「親戚のおばさん」である。私の場合は父の経営する工場で働いていた「中村さん」だった。中村さんは他にも予備校教師をしており、私が麻疹で休んでいた中学時には数学を教えてくれ、高校を卒業後、釣りばかりのニート暮らしをしていた私を自分の甥と偽って特待生待遇で予備校に通わせてくれた。そのため私は半年後に予備校の名前のついた大学の7学部をすべて受験させられ予備校の合格者数の底上げに寄与する羽目になったが人生は繋がった。中村さんは恩人である。


親は大変なのはわかる。栄養と愛情を与えるだけで精一杯だし、小さなモンスターは仕事の邪魔ばかりする。熱も出す。しかし資本主義と損得感情にまみれたこの異常な社会において、唯一、愛そのものと断言できる神さまの贈り物(天使)だ。決して生き方も在り方も押し付けずそっと見守り続けましょう。子育てに嫌気がさしたら連絡ください。1日3時間しか働けない近所のおじさんが有り余る時間とわずかな体力の限りだけど、悪魔(いや天使💦)の相手をしてあげる。

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