学習理論備忘録(16) 動機づけ面接の『是認』
さらに学習理論を離れて『動機づけ面接』の『是認』の話である。いや、動機づけ面接は『応用行動分析』を基本OSとして動いている。だからよいのだ、と相変わらず強引に学習理論のタイトルを冠したまま話を続けるのは、もはや雑談のほうがメインである『行列ができる相談所』みたいである。
さて、となると是認どころか動機づけ面接の話からする必要があろう。本日の勉強会の資料が、この時点でまだできてなくて note なんか書いている場合ではないのだが、いいのである。関連のあることを書けば頭の整理にもなるし、note も毎日のノルマも果たせるのだから。
(どうでもいいけど勉強会の名前どうしよう。『けもの道場』じゃダメかな)
『動機づけ面接』の定義は
人の考えを読み
人の行動を操り
人を幸せにする秘術
である。
・・・
…違います。
やーい、だまされただろー。
(この展開を勉強会でそのままやるつもりだ)
実はこの定義のようなものは、上智大学のとある先生が授業で話していたもので、「心理学の誤解されたイメージ」である。
ただ私は、その先生の授業が心理学の本質をついたすばらしいものであるのを解った上で、あえて反論するのだが
・「人の考えを読む」ことを「学問として」やっているのであれば、それは心理学の範疇に加えざるを得ない
・「人の行動を操る」ことを学問として体系化しているのであれば、それは心理学の範疇に加えざるを得ない(むしろそういう学問だけを心理学と考えるべきだ、というような立場の人さえいる)
・「人に幸せにする」は現代の心理学の主要なテーマである(そういう領域の心理学に対し、「まだ厳密性を欠いている」という意見があるのも知ってはいるが、仮に不完全であってもそれを「心理学ではない」と言うとしたら言い過ぎである)
その先生が「誤解」と言っていたのは、「こういうものこそが心理学だ」と思われているのを正しているのであろう。おそらく、そのような「誤ったイメージ」を持つ人々とたくさん付き合ってきたであろうことは容易に想像がつく。たしかにこれらを心理学そのものとして説明してしまうと、心理学の全体像からはかけ離れてしまうとは思う。
(ロンドンといえば霧、みたいに)
ところでこのニセ定義、『動機づけ面接』にあてはめてみると、やっぱりよく言い当てているように思える。(『動機づけ面接』の真の定義は3通りほどあるが、ここではあえてこのニセ定義を考察する)
まず、人の考えは読む。
ただし、ズバズバと言い当てる、というのとはまったく違う。誤解を恐れずに言えば、「とりあえず読んで」みる。で、相手に確認して、違ったらすぐ改める。
「あ、もしかしてこういう意味で言っていますか?あ、違う?こうこうこうだと。ああ、こういうこと。ああ、そうでしたか、はいはい」
こんな感じだ。
次に行動を操る。これは動機づけ面接がやることのメインだ。
ただ、「人を己の意のままに自由自在に操る」みたいなイメージを持つとしたらそれは違う。
その人が本当は望んでいることを応援するためのツールなので、微塵も望まないことをさせることができるわけではない。
最後に「人を幸せにする秘術」か。
「秘術」かどうかはともかく、「幸せにする秘訣」くらいではある。「幸せにするとは限らないんじゃない?」という反論はちょっと成立しにくい。なぜなら、幸せにするためにやるのでない限り、それを『動機づけ面接』と呼んではいけないことになっているからだ。
さて『是認』(Affirming)であるが、これは動機づけ面接の大事な4つのスキルのひとつだ。
「クライエントの強みや努力を認め、支援し、奨励することである」
(動機づけ面接 第3版より)
などといったことが言われている。
多くの動機づけ面接の学習者は、「是認というものを使って動機づけをする」という、このカウンセリング法の考え方を好む。なんかヒューマンな感じがするからだろう。ただ、それをうまくできるかどうかはまたべつの話だ。どちらかというと学習会では、「是認」よりは「聞き返し」の訓練をする機会ばかりが多いように思われる。
だから、是認するだけでも必死かもしれない。ちょっとひとこと思いついて口にできればいいほうなのかも。ただそれでは大した結果は期待できない。
本当にすぐれた是認というものは、驚くほど相手の役に立つものであるはずなのだ。だから私も、できるだけそういうものを自分がモデルとなって披露するよう勉強会等で務めている。
都立松沢病院の今井先生などは、自身の勉強会で(あの勉強会はすばらしいです)、我らが原井宏明先生のやりとりを録音したものを披露していた。実際の診療の録音ではなく、なんと研修医が患者さんになりきってクレームをつけるのだが、それを原井先生は見事なまでに是認だけで対応してしまう。
お芝居をやっている人ならエチュードをやると思うが、あんな感じだ。研修医はひたすら難癖をつける芝居をするように言われているにも関わらず、原井先生が相手だと、ついついクレームをやめてしまう。演出家に、「おい、もっと真剣に不満を表現しろ」と怒られるところであろう(なんの話だ)。
喩えて言えば、かつてビーストと呼ばれたボブ・サップがムツゴロウさんに「よしよしよし」とされると、急に大人しくなってしまう、というのを見たことがあるが、あんな感じだ(だれに通じる話だよ)。
(なおこれには、『カウンター是認』などという名前がつけられていたが、「抵抗を手玉に取る」などと教えられ、動機づけ面接が武道に喩えられていたときの名残であろう。たしかにニュアンスとしてよく分かりもするのだが、動機づけ面接の過程は協働作業である。
「ああいうなら、こういってやれ」といったニュアンスがある言葉は感心しない。不要の誤解も招きやすいであろう)
テキストの『動機づけ面接 第3版』には、例をあげて是認がさらに分類されているが、細分類がしっかりと定義されているというわけではない。そこには読解力を求められる。そういうわけで是認は、動機づけ面接を学び実践する人々に間違って理解されることが多いポイントともなっている。
例えばよくある落とし穴として、是認を単に褒めればよい、称賛すればよい、「すごい」と言えばいい、というのがある。形だけでこんなことをやって人が救われると思うなら、それはちょっとおめでたい(これでも控えめに言った)。人を弄ぶ小馬鹿にした態度までもが透けて見えてきてしまう。だからよく
「是認をするときは、キャバクラみたいにただ「すごいですねー」とか言うのはやめましょうね」
などと教える動機づけ面接の講師もいる(あれ?それって俺の伴侶か?)。優れたキャバクラ嬢はそんなことで客の気を引くようなことはするまい。
逆に客を見込んで敢えて呼び捨てしてくるような冴えた娘がいたりすると、萌える(、、って友達が言っていました)。
さらに高度な落とし穴としては、厳密には I 主語是認は是認ではなく、You 主語是認だけが是認である(「私はあなたが頑張ったと思います」が×で、「あなたは頑張りました」が○である)なんてのもある。
(これについて、今井先生は「そんなエビデンスはないはずだ」という、 I 主語是認容認派であった。
彼の偉いところは、それをきちんと研究しているところだ(その結果は聞いていないが)。
私はもちろん、「 I 主語是認なんて論外」派だ。
でも私がどう思うかはどうでもよく、本当に役に立つかどうかが重要だ。研究、大事ですね)
さて本稿のテーマが『是認』になったのは、是認のことで仲間から質問を受けたからだ。是認の種類に関する話であった。
正直、よほど誤ったことをするのでさえなければ、現場では細かいことはどうでもいい。役に立てばいい。
とはいうものの、実は、是認の種類を意識することは、動機づける上で非常に重要であると私は思っている。
そこで私は質問してきた仲間に情報提供をするために、自分が作った資料を引っ張り出した。えーと、なになに?それによると…
動機づけ面接 第3版の本から、是認のポイントを4つ抽出してまとめていた。
是認:話し手の強み・努力・意図・価値を伝える
だそうだ。
最後の価値についてはややこしくなるので、今回は省略する。
(ただ、動機づけ面接に少し詳しい人が誤解しないように、ここでは価値観の「価値」のことを言っているのではなく、「クライエントの存在自体に価値がある」というほうの「価値」のことですよ、とだけは述べておく。スピリットの『受容』を参照)
ここでは大事な3つを簡単に整理しておこう。
1 努力(行動、あるいはその産物)
動くもの。
動機づけ面接はざっくり言えば「言葉にご褒美を与える」関わりである。それも特定の言葉に。その観点からは、この「努力の是認」はもっとも重視されそうだ。すでにしていることを褒めて伸ばす。もっともっとするようにする。
(これも細かいことを言えば、1分以上前の行動や、行動の所産を強化することはできない。だがここでは敢えてマクロな視点でざっくり述べることにする)
例)「え?もうタバコやめたんだあ。2週間。壁だった3日を超えて2週間。その間はずっとほかのことをやって過ごして」
「あ、出所してから性犯罪をしないで3年も。どうやってやめたんですか」
うん。ありきたりだ。この程度ならだれでも思いつく。(それでも言う人は少ないけれど)
2 強み
動かないもの。場合によっては本人の能力や努力とはまったく関係ないものでも構わないことになっている
(血筋とか、財産とか、住んでいる場所とか、ありがたい友人がいるとか。強化できるわけではない)
努力ではないゆえに、それは是認には入れない方がよいと考える人もいるが(他の技法の例を出すと、SST(ソーシャル・スキルズ・トレーニング)では、これらものは褒める対象にしていない)、現時点の動機づけ面接ではしっかりと是認として扱われることになっている。
私も、強みの是認は用いる。世話焼きの友人達に恵まれている人には『徳がある』なんて日本語もある。私はそういう話をするのが好きだ。
例)「そっかあ。何度も刑務所に入っても、迎え入れてくれる厳しい奥さんがいるわけだあ。彼女のためならばやめられると。
その気の強い、おいしいナボリタンを作ってくれる彼女が待っている。やめがいがあるわけだ」
どう考えたってこれ、本人のためになるに決まっているでしょ?
3 意図
私は「動機づけ」という観点で、もっとも重視されたほうがよく、かつ是認においてもっとも忘れられやすいのがこれだと思っている。
目的とする行動がまだ表に見えなくても、「しようとしている」という証拠を見出すのだ。その上でそこに触れる。
動機づけ面接ではなくても、人との関わりの中で、動き出していない人に意図の是認をすることは役立つ。
例)「ダイエットを、こうやって何度も話題にしている。口だけでなにも自分はしていないなあ、っていうという罪悪感の中で、ずっとやせるという意思の炎は、絶やさず灯しつづけてきたんだよね。だからまたこうして、話しているんだよね」
とかいうものだ。強力でしょ?
この3つに整理すると、是認のポイントがグッとわかりやすくなると思う。
いかがだろうか?
特に意図の是認には、観察力と練習が必要だ。
仲間がその練習方法を編み出してくれた。たいへんに工夫されていてよいエクササイズなので、今夜の初心者向けの勉強会でも、あえて試してみようか。
参加者に、「要するに褒めろってことですねー」で終わらない、それ以上の宝を持って帰ってもらいたい。(スライドまだできてねーっ!)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?