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みんなと私の『動機づけ面接』ーークライエントとの同行二人指南(10) 『「聴く」は効く』
つづき
クライエントに対するカウンセラーの、まるで大喜利といってもいいとんちんかんな応答例をもう一度載せる。
クライエント「ちょっと困ったことがありまして」
カウンセラー「ああ、お金の相談」(語尾を下げる)
クライエント「ちょっと困ったことがありまして」
カウンセラー「ああ、その体型だと、痩せたい」(語尾を下げる)
クライエント「ちょっと困ったことがありまして」
カウンセラー「荒羽駅に行きたいということ」(語尾を下げる)
そもそも共感のためにする「仮説検証」であるが、共感はクライエントとの関係性作りに大きく影響するものである。仮説を外すことは、「相手が間違い指摘反射に基づいてもっと話したくなるから、良いことなのだ」とされるが、あまりにハズしつづけるとその限りではないことは常識的に分かるであろう。
「仮説はハズしたっていいんだよ」と教えられ、「じゃあハズしまくろう」とするのはカウンセラーとしてはあまりに素朴すぎる。相手の表情を踏まえ、「バカな回答をしてシラけてしまったな」ということくらいには気づいてほしいところである。
そもそもクライエントは基本的に、「話を分かってほしい」と思っているであろう。「あなたは話をよく聞いてくれる」「あなただけは私のことを分かってくれる」はクライエントによるカウンセラーへの最大の賛辞である。
言語条件づけ
ここで共感とはなにか、仮説検証の意義を考える前に、言語条件づけというものについて解説しておきたい。
三田村先生の名著『はじめての行動療法』(*1)で知ったが、臨床において言語行動によって人を条件づける方法は、すでに1950年代から1960年代にかけて研究されていたという。
(*1)なんでも知っている三田村先生の、とんでもなく優れた名著である。よくぞこれだけのものをこんなにも分かりやすくまとめきったものだと思う。応用行動分析だけでなく、行動療法の歴史と位置付け、そこから派生した各種の技法(けっこうマイナーであまり書かれているものが少ないものまで説明されている)、さらには理論の総論的なことまでもが載っているのだ。
ただ、細かく見ると、ちょっと違うな、というところもある。
動機づけ面接を行動分析学的に説明するということを三田村先生は試みているのだが(動機づけ面接を深く勉強している人は自分でも試してみると良いと思われる。原井先生なども、『方法としての動機づけ面接』でやっている)、「チェンジトークも維持トークにも公平に関心を示して強化する」という表現は誤りだ。「標的行動をおこなわなかった場合に関する結果事象についてのタクト」を維持トークと誤解しているようである(よくある)。「変わらないとまずい」という言葉は、チェンジトークである。維持トークは、強化しない。
「動機づけ面接は、応用行動分析を基本OSとしている」とは私がよく言うことである。そこで言語条件づけの前に、応用行動分析について簡単に説明しよう。
応用行動分析では、行動の原理、とくに強化をいろいろなことに応用する。早い話が、ご褒美で人(動物)を動かすということだ。餌を与えて動物に特定の行動の回数を増やすことができる。それはレバーを押すといった単純なことから、イルカの芸のような複雑なことまで、幅広い行動に及ぶ。
これが心理臨床に応用される(臨床行動分析とも言う)。例えばおかしやおもちゃのご褒美を利用して、児童の問題行動をなくすといった具合だ。
ただ、臨床現場ではチョコレートを渡したり、10個たまると特典があるスタンプを押す、といったご褒美はあまり出さない。とくに面接室の中では、ただセラピストとクライエントとが言葉のみのやりとりをするのが普通である。
そこでいっそ、「自然な対話だけでクライエントの行動を強化できないか?」ということで考えられたものが、言語条件づけである。これは単にスキナーが言語行動を行動分析の観点から言及したことを指しているのではない。もっと臨床現場の話である。
例をあげよう。「さすがですね」「素敵です!」とか、「キャバ嬢のさしすせそ」をお決まりで使われるだけでも、単純な男はほいほいとそう言ってくれた娘を指名をしてしまう。まさにこれぞ応用行動分析、言語条件づけである。そう、ヨイショという言語行動自体が、ご褒美(=強化子)に充分になりうるのだ。
動機づけ面接もそれをやっているだけであり、そういう意味では少しも新しいものではない。動機づけ面接をむやみに信奉すると、このことを知らずして、動機づけ面接だけが言葉で人を誘導できるヒューマンで画期的な方法だと思いかねないから、気をつけたほうがよい。
ただ、かつて研究された言語条件づけについては大変に残念なことに、ほとんど忘れ去られていて、それについて述べられている本はほとんどない。
一方、動機づけ面接はその流れを直接に組んではいないが、言語条件づけを新しい文脈で提示した、と言える。うまいこと焼き直した、と言ってもいい。分かりやすく、普及しやすい形にまとめたということである。その功績の大きさは認められてもよいであろう。
では、どんなことが、対話の中でできる強化子になるのだろうか?対話だけで、どんなご褒美を与えることができるのだろうか?
これについて、動機づけ面接では3つにまとめられている。
ひとつは言葉の内容以外の、眼差しとか、注目、うなずきや「うん」「ああ」と言った相槌といったものである。
それより強いものが関心である。これは言語行動としては、質問という形で与えられる。
3つめのもっとも強い強化子だとされるもの、それが共感である。
じゃあ共感しよう!共感いいね。共感!(*2)
……となるわけだが、ではその共感をするにも、共感ってなんだろう?
(*2)勉強会のスライドにさりげなく堀ちえみを出してみたが、誰にも通じなかったことがある。(分かる人だけが分かってください)
共感といえばロジャーズ
カウンセラーの基本的な姿勢は共感だ。これは一般のカウンセリングのイメージにもっとも近いクライエント中心療法(*2)でよく言われるものである。
(*2)Rpgersが創り出し、名前を付けた技法である。
『クライエント中心』って、『国民の生活が第一』ってくらい当たり前なことをわざわざ言っているのでは?とも思ってしまうが、この命名には、そうでないカウンセリングがメインであった時代に生まれたという歴史的経緯がある。
共感するということなら、まず、こちらの頭を、自分の意見や思い込みでいっぱいにしないほうがよい。水でいっぱいの水筒は、相手に注ぐことしかできない。だが相手の水を汲むことのほうが大事なのだ。共感するためには空っぽになることが必要だ。
耳を傾けることも重要である。とりあえずそれを傾聴と呼ぶことにしよう(あまりこの言葉を軽々しく扱いたくはないが)。クライエントが話したいことを話してもらうのである。じっくり傾聴できないようであれば、それは先に述べた「空っぽになる」が充分にできてはないということだ。そこに戻ろう。
え?心が空っぽにならない人はどうしたらいい?そもそもそこから?
それってたとえばアルコール使用障害の患者さんに
「でも、酒は百薬の長でもあるからさあー・・」
とかって言われて
「あーのさー。『酒は百毒の長』ってことわざもあるんですよー」
とか言いたくなってしまうということか?
はい、そういう人は我々の仲間です。たぶんみんなそう。カウンセラーあるあるだ。その証拠に、ワークショップをすると今の質問は必ずと言っていいくらいに出る。
正したくなるのは、動機づけ面接の中で「間違い指摘反射」(*3)と呼ばれるものだ。間違いだと思ってしまうと正したくなってしまうのは、どうしたら良いのだろう?
(*3)こんな言葉は動機づけ面接でしか使われない。この概念を心理学の基礎理論で説明しようとすると、けっこう苦労する。公認心理師の勉強を終えて間もないようなかたなら、ぜひ挑戦してみると面白いかもしれない。
ここでロジャースを出そう。ロジャースは、カウンセラーが心にもないことを言うのは良しとしなかった。喋ることと態度は一致していることを、もっとも重視した(「受容」よりもだ!)。
となると、
「ちょっとこの患者さんの言っていること受け入れらんないー」と思っているカウンセラーが、ふんふんうなずながら「そうですねー」と言うのは、「一致」に反する。
ところが。
一致を優先して「ムリムリ、マジムリだから」などと言ってしまうと「受容」することに反する。
嗚呼!心が空っぽにならない者には、カウンセラーの資格はないのであろうか…?
いや、かつては私もそう思っていた。実際、専門家は、間違い指摘反射が出やすくなるので自分の専門領域の話題ほどカウンセリングに失敗する、というデータまである(なんたる皮肉!)。これは何十年カウンセリングの経験を積んでも治らない。
ただ、これについて動機づけ面接の教科書が伝えるニュアンスは、「心から相手のすべてを受け入れられるようになりましょう」というのとはちょっと違う気がする。どちらかというと
「がまんしてねー」
が近い感じがする。
なんという肩透かし感!だが私はこれに救われた。
「自己一致、できるといいよねえ」
くらいの感覚なのだ。肩透かしというよりは肩の力が抜けるというほうが正しい。はじめはこのくらいの感覚でいいのではないだろうか。(*4)
(*4)心を空っぽにするには、本当はカウンセラー自身がカウンセリングを受けることや、瞑想などのトレーニングをしていくことが必要なのだろう。今回はそこには触れないで、上記のように結論しておく。
ということで、心を空っぽにし、耳を傾ける、までは目指そうとするものとする。だがそこから先がある。「どう理解するか」である。これは、分かったつもりになるだけではいけない。本当に分かってはいないのに分かったつもりになるのは奢りというものだ。
ということで共感とはなんなんだ、という話だ。だがその本質的な答えは次回に回そう。「仮説検証のことだ!」とうっかり答えてしまう人もいるかもしれないけれど、それは違う。先走りすぎだ。仮説検証は方法なのだ。そう答えてしまった人は動機づけ面接に染まりすぎずに、ゼロから「共感」といを問い直してみよう。
こんな問いも課題にしておきながら。
このスライドの原案は、都立松沢病院の今井淳司先生である
2021/4/19 Ver.1.0
2021/4/22 Ver1.1
前回のはこちら
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